独白。

2024-05-26 18:06:16 | Weblog

僕はもう96歳になってしまった。

 

昭和3年生まれだから、そんなものだろう。

ちょっと前なら「昭和ひとケタオヤジ」と呼ばれた世代だ。今ではオヤジどころか、後期高齢者だ。

年月の分だけ、人は歳を取るものなのだ。

面倒くさいから今は、何年生まれだから何歳、の辻褄合わせをやらないでおく。

そんなのヒマな奴らにやらせておけばいいのだ。

僕がまだ幼少の頃は、戦争の影などなかった。

世の中は繁栄していく一方で、このままどこまでも行くのだと誰もが

信じて疑わなかった。

「戦前」だ。

でもだんだん、雲行きはおかしくなって行って、いつの間にか戦争することが

当然、ということになっていた。

僕は幸いにも、徴兵されるには至らなかった。その頃・・・・体を少し、悪くしていたからだ。

その代わりに、軍需工場で働かされることになった。

戦争後期には、喰うものなどほとんど、なかった。

ヤミ米、それが全てだった。

僕がいたのは戦闘機を作る工場だったが、戦闘機を作るための資材も、原料も、全然なかった。

当然、燃料であるガソリンもない。

戦争後期と言ったけど、その時には後期だなんて、そんなことわからない。

いつまで続くのか、このまま延々と戦争は続くのだ、と本気で思っていた。

新聞は大本営は発表を伝え、我が国は勝つ、と言い続けた。

でも、じり貧の我々の生活からは、そのことが嘘だと、誰にでもわかった。

我が国は負けつつあるのだ。

戦争が終わった、と誰かが言いだしたときには嬉しいよりは、哀しかった。

遅すぎたのだ何もかもが。

あれから70年近く経ったらしい。

僕には何人も、友達がいた。でもみんな死んだ。

ひとり残らず、全員死んだ。

当然と言えば当然だ。

何故、僕だけが今でも生きているのか、いちばん不思議に思ってるのは僕だ。

歳を取ると、

自分の「死」のことをリアルに考える。

ある程度以上歳を取った人は、誰でもそうだと思う。

これ以上、何も買うまい、と心に決めて、所有物は減らしていくことを心がけるし、

毎日、自分の「死」を想像する。

「死」は怖くはない・・・・が、少しは怖い。

なにしろ、その後どうなるのかが全然わからないからだ。

願わくば、死後は「無」であればいいな、と思う。きっとそうだろう。

戦争後期、そして戦後すぐの頃もつらかったが、

僕には、モノで溢れかえっている今の時代 が幸福には見えない。

腹が減って死ぬことは、もうない。

でもどうしてそれなのに人は、幸せになれないのか?

僕にはとても不思議だ。

あの頃(戦中、戦後すぐ)には

「とにかく飯さえ喰えれば」と思ったものだったのにね。

 

先日、去年生まれたばかりの君と、少しだけ会うことが出来た。

君はまだ0歳だという。可愛かった。

君の見る未来は、どんなものだろう?と少しだけ思った。

君に、様々な分別がつく頃には僕はきっと、この世にいないだろう。

それどころか・・・・明日死んでもおかしくないのだ僕は。

だから君と僕の間に、意思の疎通 といったものは存在しない。

でもいいや、

君と会えたことはとても、僕の中で大きい。

僕はこの後、消えて行く存在だけれども君が生きてくれるのだ、この世界で。

君とは血縁も何もないから、自分のDNAの存続、とかそういう期待も一切ないんだけど。

 

一時流行った、

「生物が生きて行く意味は自己のDNAの存続」っていう説は嘘だぜ、絶対。

 

そんな薄っぺらいものじゃないと思うんだよ、生き物って。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 同時代を生きる、ということ。 | トップ | 嵐の中のライダー。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事