年相応に・・なんて、一生なれないだろう。

2021-03-15 21:10:16 | Weblog

一緒に働いている30代の同僚が言う。

「60歳代になったらいつ死んでもおかしくないっすよ~」と、明るく、あっけらかんと。

いや、実は最近、彼の父親(60代半ば)の身体に、致命的な病気の存在が判明したらしくて、

きっとそのショックを隠すために強がりを言っているのだが

半分は本気でそう思っているようにも見える。

 

うーん、どうなんだろう。

そういえば、というか何と言うか、僕の父は68歳で亡くなった。癌だった。

でも身内の素直な感想を言えば、もっともっと「お爺ちゃん」になった父の姿も見てみたかった。

というかストレートに、もっと生きて欲しかったのだ。

 

68歳なら「早世」とか「早死に」とかは、言わないかもしれない。

 

画家だった大叔父は58歳で病気で亡くなっている。

医者の誤診だったそうで、現代ならそういうのって、大問題にされているかもしれない。

その、大叔父が58歳で亡くなった、という話を聞いて

子供だった僕は祖母に、「早死にではないし、悔いはないんじゃない?」みたいなこと言ったら

祖母は少し怒った顔で、「画家の50代なんてね、まだまだこれからだったのよ」と言った。

僕はすごく無神経なことを言ったのだ。

想像力と共感力が欠如していたのだ、子供だったから。

・・・・・・・・・・・・・・・・今でも後悔している。

 

それはともかく、

実の親や、近親者の死んだ年齢、というのは妙に意識してしまうものである。

 

僕もしかし、あと5、6、年もすれば60歳代に突入するのだ。

突入すれば、「いつ死んでもおかしくない」、ということになるのであろうか。

 

そういう風に、意識的に「準備」し始めたほうがいいような気もするし

逆に

そんなこと一切考えず、19歳だった頃の精神年齢のままで死ぬまで、

馬鹿みたいに生きていくほうが僕らしくていいかもしれない。

 

あああ、考えるまでもなく後者だ。

 

 

 

「年相応」に・・なんて、死んだってなれないのだ、きっと。

 

 

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