一緒に働いている30代の同僚が言う。
「60歳代になったらいつ死んでもおかしくないっすよ~」と、明るく、あっけらかんと。
いや、実は最近、彼の父親(60代半ば)の身体に、致命的な病気の存在が判明したらしくて、
きっとそのショックを隠すために強がりを言っているのだが
半分は本気でそう思っているようにも見える。
うーん、どうなんだろう。
そういえば、というか何と言うか、僕の父は68歳で亡くなった。癌だった。
でも身内の素直な感想を言えば、もっともっと「お爺ちゃん」になった父の姿も見てみたかった。
というかストレートに、もっと生きて欲しかったのだ。
68歳なら「早世」とか「早死に」とかは、言わないかもしれない。
画家だった大叔父は58歳で病気で亡くなっている。
医者の誤診だったそうで、現代ならそういうのって、大問題にされているかもしれない。
その、大叔父が58歳で亡くなった、という話を聞いて
子供だった僕は祖母に、「早死にではないし、悔いはないんじゃない?」みたいなこと言ったら
祖母は少し怒った顔で、「画家の50代なんてね、まだまだこれからだったのよ」と言った。
僕はすごく無神経なことを言ったのだ。
想像力と共感力が欠如していたのだ、子供だったから。
・・・・・・・・・・・・・・・・今でも後悔している。
それはともかく、
実の親や、近親者の死んだ年齢、というのは妙に意識してしまうものである。
僕もしかし、あと5、6、年もすれば60歳代に突入するのだ。
突入すれば、「いつ死んでもおかしくない」、ということになるのであろうか。
そういう風に、意識的に「準備」し始めたほうがいいような気もするし
逆に
そんなこと一切考えず、19歳だった頃の精神年齢のままで死ぬまで、
馬鹿みたいに生きていくほうが僕らしくていいかもしれない。
あああ、考えるまでもなく後者だ。
「年相応」に・・なんて、死んだってなれないのだ、きっと。
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