ひとは14歳の時に好きになった音楽から特別に強い影響を受けて、
生涯、その影響から逃れられないのだ・・・・・・・という説がある。
根拠は不明なのだが、これはすごく当たってる気がする。
「中二病」とかいうのも結局はこの「14歳に好きだった音楽最強説」の延長かもしれない。
先日、トラックでラジオのチューニングを合わせていた。
結構、長い距離を走るので、地域によって受信できる局が変わるのだ。
それで、知らないローカルFM局からいきなり、RCサクセションの曲が流れて来た。
瞬時には、曲名が浮かばなかったが脳裏にはアルバム「BLUE」のジャケットが鮮明に出て来た。
痛々しい音、そして歌詞。
最後近くの歌詞で、やっとタイトルを思い出した。
「BLUE」に入っている、「まぼろし」という曲だ。
随分ひさしぶりに聴いたのだが・・・・背筋がぞっとするくらい痛々しい曲だった。
僕はこの曲、アルバム「BLUE」を発売時にリアルタイムで買って、「耳タコ」っていうくらい聴き込んでいた。
たぶんあれは14歳だった頃だ。
当時はもちろん、何も関連情報など皆無の状態で、音楽を聴き込んでいた。
そして、その後いろいろとRC関係の書籍などを読んで、今では彼らのことを以前より、ずっと知っている。
今の知識で聴くと
この「まぼろし」は・・・・どう聞いても「日隈くん」のことを歌ってるではないか。
「日隈くん」は、キヨシローの少年時代からの友達で、
キヨシローの信奉者みたいな存在だったという。
3人時代のRCの曲に「日隈くんの自転車の後ろに乗りなよ」という佳曲もある。
いろんなことがいろいろとこじれて彼は・・・・・・・自殺した。電車に飛び込んだらしい。
葬式では彼の親御さんに、キヨシローが責められる場面もあったという。
「オマエが殺したんだ」と。
「まぼろし」の歌いだしの歌詞は「ぼくの友達は いってしまった」だし、
最後の方の歌詞は
「幾晩も幾晩も昼も夜もわからず まぼろしに追われています」だ。
ひぃいいいい。
リアルタイムで「BLUE」を聴きまくっていた14歳の頃は、日隈くんの存在すら、知らなかった。
もう、ラジオで偶然、この「まぼろし」を久しぶりに聴いてから、
アタマの中でずっとキヨシローがこの歌を泣き叫ぶように歌い続けている。
絶唱、って感じ。
でも、この頃のキヨシローの歌は、上手いし、気合が入りまくっている。
最強のソウルシンガーだ。
僕は「カバーズ」の頃のキヨシローの歌が何故か下手に聴こえる。
「カバーズ」は結局、RCサクセションという最高のバンドが崩壊するきっかけになってしまった。
悲しい。
この「まぼろし」という歌も悲しいし、痛々しい。
14歳だった頃はこの悲しさ、痛々しさがわかってなかった。
こんなにも切実な歌だったとは。
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