3月、青春18きっぷのシーズンとなった。どのように使うかいろいろと時刻表や地図を見ながら思案するところだが、中国山地のローカル線を少しずつ回ってみようというのは念頭にあった。過去に乗りつぶしているし、前回の広島勤務時にもちょこちょこ回っていたのだが、あれから10数年が経過して、ローカル線の状況がさらに厳しくなっていることが伝えられている。都市部の鉄道もコロナ禍で利用客が減少して・・ということが言われているが、ローカル線はそれ以前に構造的に厳しい状況である。
まず頭に浮かぶのは木次線である。昨年の11月に庄原市が主催した日帰りツアーで、芸備線の「庄原ライナー」とともに、木次線の備後落合~出雲坂根間に久しぶりに乗った。この時は備後落合駅でボランティアガイドを務める元国鉄職員の方の話を聴いたり、出雲坂根のスイッチバックも通った。今回は久しぶりに全線を乗ってみようと思う。
とはいうものの、木次線は日本有数の閑散線区。特に備後落合~出雲横田間は1日3往復しかなく、その中でも時間帯、前後の接続からして乗れる列車は限られる。備後落合からなら実質14時41分発か、17時41分発となる。このうち後者はほとんどが日没後走ることになるので、乗るなら14時41分発となる。宍道には17時37分着。逆に、山陰線との接続である宍道からだと11時12分発、13時58分発となる。こちらは、13時58分発に乗ると備後落合着が17時01分で、その先三次経由で広島まで戻ることはできる。ただいずれにしても広島を出発して青春18きっぷのみでの日帰り往復は無理。片道は広島~松江の高速バスを使うか、特急「やくも」プラス新幹線ということになる。
ここでふと、木次線だけでなく山陰線に乗って日本海も見たいなと思った。大阪在住時から続いている中国観音霊場めぐりでは、山陰の江津~出雲市間は札所へのアクセス他の理由でクルマに乗っている。その時は山陰線と並走する区間もあったが、ちょうど強い雨、早くから空も暗くなってちょっと残念な移動となった。やはり気動車にも揺られてみたい。
そこで出たのが、広島からまず高速バスで浜田まで移動。浜田で1泊して、翌日に山陰線~木次線~芸備線と伝って広島に戻るというコース。広島・島根両県の循環ルートだ。広島駅から浜田駅まで高速バスで2時間20分、一部運休の便もあるが、通常ダイヤで45分に1本の割合で運転されている。浜田道はクルマで走ったことはあるが、バスは初めてである。3月6日~7日のお出かけとするが、6日はいろいろ所用もあるために移動日として、準備ができ次第出発することにした。広島~浜田の高速バスは全便自由席で予約不要である。最悪、夕方以降の便でその日のうちにホテルにチェックインできればよい。
なお今回は札所めぐり、観光の要素はなく、ひたすら鉄道に乗るばかりである。冒頭の画像が気動車のキハ40、キハ47の編成なのは、JR西広島で列車を待っていた時にたまたま回送で見かけたものである。芸備線を走るキハ40、47は山口県内の線区を走る車両とともに新山口に所属しており、検査を兼ねた入れ替えで山陽線を回送で快走する姿を見ることができる。
16時すぎ、広島駅新幹線口に向かう。用事が午後にかかったのと、午後の一部の便が運休のため、この時間の出発となった。それでも今からなら浜田に向かい、到着後に一献は十分可能だ。こちらの乗り場は三次、山陰方面の便が出て、私が着いた時には三次行き、益田行き、松江行きが5分ごとに次々に出発していった。
それらの便はいずれも乗客が2~3人で出て行ったが、これから乗る16時20分発の浜田行きには10人以上が乗り込んだ。この間の移動というのは普段からそれなりにあるのだろう。広電バス、中国JRバス、石見交通が共同で運行していて、この便は中国JRバスの車両である。
先頭の座席に陣取って出発。まずは駅前再開発工事が進む広島駅南口を見て、広島バスセンターに到着。ここでも乗車があり、2人掛けシートの片側はほぼ埋まった。
中広町から広島高速4号線を行く。太田川放水路を渡り、西風トンネルを抜けると一気に西風新都に出る。これまでは市街地の西側の山の手をぐるりと回らなければならなかったが、トンネルの開通で一気に近くなった。商業施設、業務施設、物流施設が並び、これからまだ開発が進もうかという一帯である。
西風新都インターで広島道に入る。この路線は広島~浜田ノンストップではなく、途中の高速バス停も乗降の有無がなくても停まる。さっそく、カープグッズを身に着けた人が広島北インターで下車する。この日はマツダスタジアムでカープのオープン戦があり、その帰りというところだろう。この先のバス停で下車する人も何人かいて、単に浜田行きというだけでなく、広島県の北西部の町の人も利用できるようになっている。
浜田は島根県西部の中では主要な町で、広島との距離も短い。ということで戦前には当然のことながら両都市を結ぶ鉄道の建設計画があった。それを受けて、浜田の1駅隣の下府から石見今福までの今福線の路盤が完成した。その後、広島側の可部線の三段峡と石見今福を結ぶ広浜線の計画が出たが、結局は実現しなかった。後に江津から三次に向かう三江線はできたが、結局優等列車も走ることなく廃止されたのはご案内のとおり。また可部線にしても可部~三段峡間が廃止され(後に、あき亀山まで復活)、広島と島根県西部を結ぶ鉄道計画は完全に潰えた。
鉄道建設は実現しなかったが、鉄道線の短絡という目的で広島~浜田の国鉄バス路線は早くから運転されていた。急行便、夜行便の設定もあったという。そういえば、昔に読んだレイルウェイ・ライターの種村直樹の鈍行夜行乗り継ぎで、浜田を夜中の3時とか4時に出発して広島に翌朝に着く「半夜行便」の件があったと思う。あえてそうしたバスも行程に組み込んだものだ。今は浜田道の開通で国鉄~JRバスは廃止され、上記のとおり複数のバス会社による運行形態となっている。
最近、春夏の甲子園にも出場するようになり、プロ選手も輩出する広島新庄高校がある大朝インターを過ぎる。
広島駅を出て1時間20分ほど経ち、県境手前の寒曳山パーキングエリアに到着。浜田方面へはトイレと自販機のみの簡素な造りである。ここで10分休憩。このバス路線にはトイレがついていないので、貴重な休憩時間だ。
この一角に記念碑がある。数字の「5000」を表したもので、1991年に浜田道が全線開通した際に日本の高速道路の開通延長が5000キロを超えたことの記念碑だとある。現在それから30年経過しているが、全国の高速道路の総距離は9000キロを超えている。30年でおよそ倍になり、中には一般国道のバイパス整備の代替として高速道路会社ではなく国・都道府県の事業として整備され、無料となっている区間も目立つ。路線の廃止が相次ぐ鉄道とは対照的だ。まあ、高速道路から少し話がそれるが、国道の中には整備が進まず「酷道」と称される路線もあり、危険を承知でわざわざ踏破するのもその筋の中では人気だという。1日数本のローカル線に乗りに行く人と通じるところがありそうだ。
島根県に入り、少しずつ暗くなる中を走行する。
特段遅れもなく、また乗客がなくても各停留所で乗降扱いのため早着することもなく、18時40分、浜田駅に到着。さすがに暗くなったが、まだ夜のはじめの時間帯である。当初は、私の用事次第ではもっと遅い時間に到着して、それこそ寝るだけになっていたかもしれない。
この夜は駅前にあるルートインに泊まる・・・。