プロ野球の毎日・大毎や阪神、広島で活躍し、ロッテ・中日の監督も務めた名打者、山内一弘さんが死去したという。
もちろん現役時代のプレーを見たことはないのだが、史上2番目だか3番目だかの2000本安打を達成したとか、「シュート打ちの名人」だとか、元祖「オールスター男」という異名を取ったとかで、「ぜひナマのプレーを見たかった」と思わせた選手である。阪神・小山投手との「世紀のトレード」というのもこの人の枕詞である(写真は「毎日新聞」から引用させていただきました。心なしかこの新聞社の扱いが大きかったような)。
山内選手の活躍した時代のオリオンズといえば「ミサイル打線」と恐れられ、西鉄、南海に真っ向から力勝負を挑んだチーム。間違いなくパ・リーグの1ページを飾った打線である。その中心選手としての往年の活躍は千葉マリンスタジアムのマリーンズミュージアムでも触れることができるのだが、趣味の一つである「日本プロ野球史に関する諸々の書物を読むこと」の中で、「ミサイル打線」という言葉に敬意を表するきっかけとなった一冊がある。
『郷愁、オリオンの星たち~かつて稲尾、杉浦と相拮抗した強打線があった・・・』(波原健一朗著、鳥影社刊)。
これは、大毎オリオンズ全盛時代の昭和34~35年のシーズンを中心に描かれたもの。おそらく著者の小学生時代といえる「少年」が野球の面白さに触れ、オリオンズファンになったきっかけ(その理由は結構笑えるのだが)から、オリオンズへの想いとともに成長していく姿を、オリオンズ、西鉄、南海の選手たちの戦いぶりとともに描いたものである。当時の「3強」(もちろんこの中には近鉄バファローズは入っていないのだが)の中で、西鉄や南海の回想録は結構あるのだが、大毎オリオンズを主役にしたものはほとんどないだろう。
その中でも「少年」は山内選手のファンだったようで、本文中も山内選手に関する記述が多く、なぜか「オリオンズファンをやめた」のも「山内監督がロッテの監督を辞任したこと」という。
稲尾、杉浦、山内・・・昭和30年代前半の華やかなパ・リーグを演出した選手たちも鬼籍に入る。一つの時代が、本当に昔のことになってしまったな・・・と感じる。こうなれば野村監督には少しでも長く活躍してもらわなければね。
心からご冥福をお祈りします。
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