まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

赤川鉄橋

2009年02月09日 | ブログ

8日、夕刻に梅田で一献という予定があったのだが、それまで時間があるということで阪急は淡路駅に降り立つ。

淡路駅に降りるのも久しぶりで、気取らない感じの商店街が健在なのも懐かしく思う。学生時代、友人連中との飲み会の場にちょくちょく淡路を選んでいた。阪急の千里線、京都線が交わるということで、どの方向にも帰るのが便利だったということもある。もっとも、当時の仲間内で淡路で下宿していたのはなぜか講義にもほとんど顔を出さないのが多く(中退した者もおり)、陰ながら「淡路病か?」といっていたものである(いや、淡路という街がそうというわけではなく、スンマセン)。

それはさておき、淡路の商店街を抜け、狭い路地を歩く。昔ながらの商店や民家が並ぶ一方で、最近建てた住宅やワンルームマンションなども目立ち、その辺がごちゃごちゃとしている下町的風情を醸し出している。

P2085271そんな中を歩くこと約20分、淀川の河川敷に出る。この日は暖かく、土手で日向ぼっこをする人や、河川敷の遊歩道でジョギングを行う人の姿が目立つ。その河川敷を一本の線路がまたいでいる。白く塗られた橋梁。これが、百済と吹田を結ぶ城東貨物線の「赤川鉄橋」である。

この城東貨物線、現在は貨物線としてだけではなく、JR「おおさか東線」という、大阪外環を走る旅客線としても機能している。数年後には現在の放出・鴫野から新大阪まで延長する予定で、その時は現在単線のこの貨物線も複線工事が行われる。

P2085278・・・そういう鉄橋なのだが、最近特に「その筋」の人たちや、近代化遺産ヘリテージングなどに興味ある人たちから注目されている。それが、この鉄橋のこの形にある。

幅は鉄道の複線の幅であるが、線路があるのはその片側(下流側)だけ。もう片側(上流側)は、木製の「人道橋」である。何でも昭和4年の開通というから、長い歴史である。こういう形式の鉄橋が残っているのはおそらくここだけということもあり、また「おおさか東線」の延伸の折にはこの人道橋も廃止になるというから、注目が集まっているという。

かくいう私、つい最近この存在を知ったばかりで、ならばということで訪れてみたのである。早速、人道橋に足を踏み入れる。

P2085280木製の橋ということで、時折ミシミシいう音がする(私の体重のせい??)。まさか落ちはしないだろうが、川面を流れる風を結構感じるし、ところどころ上板がめくれかけているところもある。水面も見える。万が一のネットは敷かれているが、結構ヒヤヒヤもの。

赤川鉄橋、地元の人にとっては貴重な足のようで、日曜の午後ということで散歩する人や、買い物帰りの自転車などで交通量は多い。川を渡った都島区側には公団住宅が何層も建っているし、また左右を見渡しても人の渡れる橋は遠い。そのためにこの橋梁を利用する人が多いのかな。おおさか東線が開通すると逆に不便になってしまうのかな。

P2085279相変わらずミシミシいう板の橋を10分ちょっとで渡り終える。せっかくなのでここから折り返して再び淡路方面まで歩き、また折り返して都島方面を目指す。というのが、せっかく鉄道との併用橋にいるのだから貨物列車を見たいし、とはいうものの、百済って日曜日は列車が全て運休ではなかったかな?と思いつつ、その辺の時間の下調べなく「歩いているうちに出会えればラッキー」というくらいに考えていたところから。

その気持ちが伝わったからかどうかは別として、三度都島方面に歩いていると、南側から黄色いヘッドライト。おっ、これは列車と遭遇やな。

P2085291人道橋の欄干に体を預けてカメラを構える。と、そこにやってきたのはDD51の単行。残念ながらコンテナ台車の姿はなかった。そのせいかそれほどスピードを落とすわけでもなく、轟音を上げて私の横を通り過ぎて行った・・・。

P2085292うーん、鉄橋を渡る貨物列車・・・晴れた夕方の時間帯に、逆光になるように撮影したら美しい写真になるだろうなという空想が増すばかりである。これが夜になったら、暗い中すぐ横を貨物列車が通過していくのも近すぎて怖く感じるのだろうが。

P2085273大阪の近郊に、こうした昔ながらの風情を出す鉄道スポットがあるのも意外。安全性の問題もあるので何とも言えないが、近代化遺産として、何らかの形で後世に受け継いでほしい。今度は時間帯・貨物列車の時間を調べて、もっと濃い場面で過ごしてみたいものである・・・。

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