まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

舞鶴港めぐり

2009年02月12日 | 旅行記E・関西

2月11日は建国記念の日。・・・だからというわけではないが、海上自衛隊の基地のある舞鶴まで足を伸ばす。

クルマで通ったことのない未知の道(関西近辺にはそういうのが結構ある)を行こうということで、国道173号線で能勢を経由し、京丹波市を過ぎて国道27号線で舞鶴入り。尼崎からは3時間の道のりである。

時間が早いので、まずは舞鶴引揚記念館へ。戦後、大陸からの引揚者が降り立った港のひとつが舞鶴である。ただ他の港とは異なり、「シベリア抑留」という出来事とも重なることもあるし、最後まで引揚の場所であったことから、その意味合いは大きい。

P2115301記念館の開館まで時間があるので、先に、降り立った桟橋を見下ろす丘に向かう。ここには、生きて帰国したくとも最後までその願いを叶えることができなかった大勢の人々の慰霊のための石碑が立っている。

P2115302「おはようございます」。後ろから声をかけられたのは、「語り部」という文字の入ったブルゾンを着た、ボランティアの男性。「よくここまでお越しになられた。記念館だけ行ってここにこない人もたくさんいらっしゃる」ということから、この舞鶴の海の眺めと、引揚者たちのことについて淡々と語り始めた。改めて、慰霊碑に手を合わせる。

記念館へ。本日は千葉県の木更津から修学旅行生が来るという。京都といえば修学旅行の定番であるが、同じ京都府でも、日本海に面した舞鶴という街を訪れて、平和について学ぶというのもよい試みではないだろうか。

P2115308修学旅行生で賑やかになる前に、記念館の資料を眺める。戦時中の遺品から、シベリア抑留の悲惨さ、そして引揚・・・。さらには「岸壁の母」まで。戦後というと復興目ざましい側面が強調されがちであるが、こうした展示はその背後にある日本の諸相といえる。戦争というのは、戦闘の最中だけではなく、こうして戦後長くなってもさまざまな影を引きずるものであると改めて考えさせられる。歴史を「語り継ぐ」舞台として、一人でも多くの人に訪れてほしいスポットである。

P2115311市街地に戻り、赤れんが博物館へ。舞鶴の観光スポットとして、町の顔とも言える一角である。まずは記念館で世界のれんが、日本のれんがについて見学する。れんが建築というのも各地にあるが、風景に溶け込み、古きよき街の雰囲気を醸し出しており、街歩きの中で出会うのが楽しみである。

P2115346赤れんが博物館の周りにはかつての倉庫群もあり、中にはアートに関するスポットとして生まれ変わった倉庫もある。こうした近代化遺産群を眺めるのは、心が安らぎますな。

P2115354ただ、新しく建てられたというよりは、長い年月、風雨にさらされて自然な感じで色づいた倉庫のほうが遺産として魅力的かな。

P2115357_2かつて舞鶴を訪れた時に見逃していたのが、「北吸トンネル」というところ。東舞鶴から舞鶴港までかつて引込線が伸びていたが、その廃線が地元の人たちの遊歩道として残る一方、トンネルの入り口と内部がかつてのまま残っているという。こちらも近代化遺産である。かつて鉄道貨物が賑やかであった時代に思いを馳せる。

P2115317これらの見学の後は、現在の舞鶴港の顔ともいえる海上自衛隊基地へ。土日祝日は一部一般客に開放しており、護衛艦に搭乗することもできる。引揚記念館で平和を願う一方、現在の日本の平和に寄与しているといえる海上自衛隊の見学。やはり両方訪れてみることが大切だろう。

P2115320この日開放されていたのは護衛艦「あぶくま」。日本海一帯が担当区域であるが、機雷の除去や北朝鮮の不審船対応にもあたったという。

敬礼で迎えられて搭乗。日ごろできない体験とあって、見るもの全てにうなりっぱなしである。船としてのデザインもキリッと締まっている。

P2115329そんな中で、ミサイルや魚雷の発射装置をはじめ、一つ一つの装置に熱心に見入って写真を撮っている人もいる。こういうのって「軍事オタク」というのだろうか。鉄道の「その筋の人」とはまた違った凄みである。

晴天に恵まれた午前中の舞鶴訪問。ただ、午後から天気は下り坂という予報。クルマとはいえ雨に降られるのも敵わないので、先に進むことにする・・・・。

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