まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『海民と日本社会』

2009年02月19日 | ブログ

『海民と日本社会』網野善彦著、新人物往来社刊。

4404026315日本の歴史というのは、大和朝による律令制度に始まり、古代の荘園、鎌倉武士の本領安堵、戦国時代の領土分捕り合戦、江戸時代の藩制に士農工商・・・と、土地や農業というものに力点を置いた社会の発展という側面が強く、またそれが基本として教科書や学校の歴史の時間に教えられている。

そうした「農業中心」の歴史観に異を唱え、特に「海民」というのに視点を置いた歴史を語っていたのがこの著者である。

「海民」というのは何も漁業関係者というだけではなく、海を舞台にして交易を行っていた人たちも含める。そういう人たちは農業中心の支配制度では「土地を持たない水呑百姓」に分類される。「水呑」といえば本当に困窮していた人たちというイメージであるが、そもそも土地を持つ必要もなく、また海の世界で莫大な利益を上げていた者も大勢いたようである。そういう「海民」が商業活動をリードしていたからこそ、近代の貨幣経済にもスムーズに移行できる下地があったともしている。

この本は著者がかつて発表した論述や講演をまとめたもので、同じ主張が何度も出てくるが、それをさまざまな地域や時代の事例として読めば、これまで学校で教えられた歴史観も変わるというものである。

中でも、

「田畑が少ないから貧しいという常識は全くの誤りである」

「百姓とは農民のことではない」

ということが繰り返し述べられている。このうち「百姓」とは、農民ではなく、それこそ「百の姓」、つまりはさまざまな職業の「人々」というのが本来の意味だったとか(中国語の「百姓」は現在でもそのような意味で使われており、そのことからも網野説は納得できる)。

また現在は東京を中心とした陸路交通、あるいは航空網の充実ぶりで「便利」「不便」を使うが、それらが発達する前はむしろ海上交通が交通網の中心であり、人々の活動ぶりからして「日本海が裏日本」ということなどあり得なかったという。いかにここ最近の視点からの解釈で、歴史の側面が見落とされていたかということへの警鐘である。

なかなか、うならせるものがありましたな。

・・・ということで、「海民」に敬意を表するため、「魚民」にでも行ってきますか・・・。

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