まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第6日(札幌~函館)

2018年06月28日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後にたどるとどうなるかの机上旅行。第6日は北の都会である札幌から出発である。

『最長片道』では、第6日は小樽を出発して、函館本線(山線)で倶知安まで行き、胆振線に乗っている。この胆振線もご多分にもれず1986年、国鉄民営化の直前に廃止され、道南バスに転換されている。このバスだが、倶知安から室蘭本線の伊達紋別まで結ぶのは7時10分、10時26分、18時30分の3本だけである。結構厳しいが、移動の需要がその程度なのだろう。

この中で実際に利用できるのは倶知安10時26分発となる。7時10分発だと、小樽方面から接続する列車がない。また18時30分発だと、バスの区間は真っ暗な中。それも「もし行くなら」面白くない。その中で10時26分発だと伊達紋別から室蘭本線、函館本線、そして「砂原線」を乗り継いでも夕方に函館に着ける。

倶知安からのこのバスに乗るなら、札幌を7時前に出れば間に合う。朝の石狩湾の景色を見るところもあり、小樽まで移動する。運河や鉄道関係の観光ができないのは残念だが、8時すぎの列車で倶知安に向かう。ウイスキーの町である余市も過ぎるが、朝からウイスキー、ハイボールというのはさすがの呑み鉄でもキツそうだ。この後は勾配とカーブの多い区間を走り、倶知安に着く。『最長片道』ではこの区間は旧型客車の列車で通っており、乗り合わせた客が客室の座席を上手く利用して「寝台」を作っていた光景に感心している。

倶知安で1時間待ちとなるのは仕方ないとして、ここからかつての胆振線のルートを走る。今や日本人より外国人の姿が多くなったというニセコも近い。乗り換えとなる胆振線転換の道南バスだが、ルートだけ見るとニセコアンヌプリ、羊蹄山、昭和新山、洞爺湖も近く、観光ルートとしてアピールできないものかと思う。個人的には、壮瞥町の北の湖記念館にも立ち寄りたいところではある。

伊達紋別に到着。明治になり、伊達氏の支藩だった亘理の藩主が開拓したことからその名前が冠せられている。『最長片道』では宮脇氏は伊達紋別から洞爺に移動し、タクシーで洞爺湖と有珠山の泥流を見物している。2018年版では伊達紋別に着いたのが昼過ぎということもあり、先を急ぐことにして残念だが観光は断念することになる。一気に特急で移動するが、せめて噴火湾沿いの車窓は楽しめるだろう。

森に到着。特急はこのまま函館に向かうが、最長ルートを行くなら「砂原線」を通ることになる。函館本線は森~大沼間は2つの経路に分かれていて、元々は駒ヶ岳の西を急勾配で結ぶ線があったのだが、後に遠回りだが駒ヶ岳の東を緩やかに走る線が敷かれた。砂原というところを通るので通称「砂原線」である。現在は急勾配もクリアする気動車特急も走るようになったことから、特急は基本的に短距離の駒ヶ岳西側ルートを行くようになり、「砂原線」はローカル列車が細々と走る区間となった。この区間は大沼公園を経由ルート、そして「砂原線」、いずれも景色が良かった印象がある。なお、『最長片道』で乗車した急行はこの「砂原線」を経由して函館に向かうのだが、途中の大沼で下車している。宮脇氏は最後に「北海道の旅の終りを鈍行列車の車窓から見届けたいような気持」から、鈍行に乗り換えたのだ。その気持ちはよくわかる。

2018年版では、運が良ければ森で「いかめし」の駅弁を入手した後、砂原線回りの鈍行列車で終点の函館に向かう。途中の新函館北斗は現時点での北海道新幹線の終着である。この先本州に向かうならここで乗り換えとなる。まだ北海道新幹線には乗ったことがないのだが、新幹線で東京、さらにその先まで結ばれるというのは一種独特の感想を持つのだろう。

函館に到着。『最長片道』では14時34分に函館に到着し、そのまま青函連絡船に乗っている。さらに青森からは寝台特急「ゆうづる10号」で上野まで乗っている。宮脇氏のスケジュールの都合で青森でいったん旅程を中断することになり、また青森に戻るつもりで東北本線の好摩までは夜行で通過することになった。

一方で2018年版はどうするか。函館到着は17時41分、通常なら新函館北斗から北海道新幹線に乗って本州に渡るところだが、40年前のルートを通るので函館から青森までフェリー(もちろん、国鉄の連絡船ではないが)に乗る必要がある。この後の時間でもフェリーが出ているが、青森の到着が夜中である。この先クルマで移動するならともかく、深夜でホテルにチェックインすることもできない時間に青森に降り立って、そのまま夜明けを待つのもアホらしい。それならば函館に泊まり、北海道最後の夜を楽しむことにする。

函館ということで函館山からの夜景を見たり、イカ料理を味わったり、温泉に入るのもいいだろう。作家の辻仁成さんが青年時代を過ごした町ということに思いを馳せるのもいい(一時はこの人の作品もいろいろ読んだものだ。近年、何だか残念キャラで売っているように見えるのには幻滅だが・・)。

さてこれで北海道の6日間、『最長片道』のペースと前後することはあったが、同じ6日で北海道を回り終えることになった。前後の移動日は必要だが、これはこれで一つの旅のルート、観光もほとんどなくひたすら北海道の乗り物に乗り倒す旅としてはありなのかと思う。その中で、かつては鉄道だけで移動できたルートが現在では多くがバスになったり、あるいはそのバスすら廃止されていたりと、公共交通機関を取り巻く環境がより厳しくなっている実態も目の当たりにするのだろう。机上旅行をしながらも、もし本当に行くなら40年前よりもハードな旅になりそうな、そんな印象を持った。

この先は本州編。『最長片道』では本人のスケジュールやら、列車のトラブルもあったようだが、机上旅行なのでこのまま進んでいく。果たしてどのような車窓を見ることになるのだろうか・・・。

※『最長片道』のルート(第6日)
小樽5:51-(函館本線)-7:38倶知安7:46-(胆振線)-10:33伊達紋別10:42-(室蘭本線)-洞爺11:36-(急行「すずらん2号」)-13:41大沼13:48-(函館本線)-14:34函館15:05-(青函連絡船)-18:55青森21:10-(寝台特急「ゆうづる10号」)-6:35上野

※もし行くならのルート(第6日)
札幌6:52-(函館本線)-7:38小樽8:05-(函館本線)-9:18倶知安10:26-(道南バス)-12:50伊達紋別13:57-(特急「スーパー北斗12号)-15:15森16:13-(「砂原線」・函館本線)-17:41函館
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