まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第7日(函館~大館)

2018年06月29日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。十勝の広尾を出発して6日で北海道の区間をたどり終えた。『最長片道』では函館到着後、宮脇氏本人のスケジュールの関係ですぐに青函連絡船に乗り、青森から夜行の寝台特急で上野に移動しており、青森~好摩(花輪線との乗り換え駅)は夜行で通過となっている。次は改めて好摩から仕切り直しとなっている。宮脇氏の希望としては青森から再開したかったそうだが、東北から関東を回る連続した日程が思うほど取れず、プランニングの都合で次は上野からの夜行列車で盛岡に着き、好摩から花輪線に入るプランとなる。この辺りから、『最長片道』と2018年版の行程でズレが出てくる。2018年版はあくまで「通し打ち」のため。

さて、宮脇氏がこの旅の途中でテレビ観戦をしていた1978年の日本シリーズ、ヤクルト対阪急だが、滝川駅前のホテルで第3戦の阪急・足立の完封勝利を見た後は本文中に記載がない。当時の日本シリーズはデーゲームで行われていたから、汽車で移動している間に中継を見るということはそうあるものではない。ラジオでも携行していれば途中聴きながらとなるのだろうが、宮脇氏は旅先でそういうものは持たない。今ならスマホでリアルタイムにあらゆる情報が手に入るし、40年の間に変わったものの一つと言えるだろう。

その日本シリーズの第7戦ではある「事件」が起こった。1対0でヤクルトがリードして迎えた6回裏、大杉が阪急先発の足立から放ったレフトポール際への大きな当たりはホームランと判定される。しかし、これを不服とした阪急・上田監督が猛抗議を行った。最後はコミッショナーも仲裁に登場するなどして、結局1時間19分に及んだ。しかし判定は覆らず、さらに大杉が今度は文句なしのダメ押し本塁打を放つなどしてヤクルトが勝利、球団初の日本一に輝いた。

ちょうどこの試合が行われた日は宮脇氏は自宅にいて、試合後にその先の列車の指定券を買いに行こうとしていたそうだが、上田監督の抗議が長引いて行けなくなったと、「取材ノート」に記している。宮脇氏がひいきにするスワローズが初の日本一になったのだから喜びを書いているのかと思いきや、意識は目の前の『最長片道』の旅にあるようだ。その中で「これはファウルだと思う」としながらも、「上田は思い上がっている」という記載がある。上田監督が何のために1時間以上抗議したのか、その根っこのところは結局わからないまま、大杉も上田監督もあの世に行ってしまった。当時の各方面の証言を見る限りでは、「実はファウル」というのが強いとされているが、今のようにリクエスト制度、ビデオ判定があったら果たしてどうなっていたか。これも40年の歳月である。

・・・ということを下書き時点では書いていたのだが、その後に起こったのが、今年6月22日のオリックス対ソフトバンク戦での「誤審」。これについては私の以前の記事にあるので詳しい内容は省略するが、ビデオ判定を導入してもこういうことが起きてしまうのである。

さて、前置きが日本シリーズのことになったが、2018年版では函館で1泊する。いよいよ本州に渡るわけだが、当時のルートをたどる机上旅行ではもちろん北海道新幹線には乗らない。国鉄の青函連絡船は青函トンネルと引き換えになくなったが、この両区間を結ぶフェリーは運航されている。クルマやトラックで北海道と本州を結ぶなら今でもフェリーである。現在、青函フェリーと津軽海峡フェリーの2社が運航しており、どちらに乗船してもよいのだが、朝の少し早い時刻に出るということで、函館発7時40分の便に乗る。フェリー乗り場へは函館駅からタクシー、もしくは道南いさりび鉄道の七重浜駅から徒歩で向かう。船の乗り心地はどうだろうか。季節によって結構違いがあるのではないだろうか。

普段船酔いを感じないタイプなので、津軽海峡でも特に気分が悪くなることもなく本州に上陸。青森港から青森駅までは少し距離があるので、これもタクシーでの移動となる。学生時代に一度このフェリーの夜行便に乗ったことがあり、その時は青森から今はなき特急「白鳥」に乗り継ぐのに、1時間近くかけて駅まで歩いた。他に歩く人などおらず結構心細かったように思う。

さて青森駅。かつては本州の北の玄関口だったが、今は新幹線は隣の新青森を経由し、東北本線も第三セクターの「青い森鉄道」に転換されている。町の中心部に近いのは変わらないとして、旅行者にとっては少し物足りない駅になっているのではないだろうか。ここからは「青い森鉄道」、「IGRいわて銀河鉄道」と乗り継いでいく。青函連絡フェリーから青森駅までスムーズに移動できたとして、青森発12時ちょうどの八戸行きに乗車する。速達列車が新幹線になった一方で、第三セクター線の列車はほとんどが鈍行である。まずは陸奥湾に沿って、そして「三八地区」と呼ばれる下北半島の付け根を走っていく。三沢の次の向山という駅から歩いて10分ほどのところに「カワヨグリーン牧場」というのがあり、その中のユースホステルにも泊まったことがある。今はそうした施設に泊まることもなくなったが、学生から社会人に成りたての頃は、各地の旅行でユースホステルのお世話になったものである。

13時30分に八戸に到着し、引き続いて14時08分発の盛岡行きに乗る。青い森鉄道からIGRいわて銀河鉄道に直通する列車だが、このあたりの第三セクターの境界は県境と同じで、乗っている分にはそのまま会社をまたいでの乗車となる。境界は青森県側の最後となる目時駅だが、ターミナル駅でも何でもない普通の通過型の駅である。

岩手県に入っても、国道4号線(奥州街道)と山の中で並走する。東北新幹線はこの辺りの区間はほとんどトンネルで通過していく。そろそろ岩手山を望むというところで好摩に到着する。16時31分発の大館行きまで1時間ほど待ちとなる。

ここで、『最長片道』のほうの好摩までの道のりはどうだったか。

1978年の日本シリーズ第7戦は10月22日に終わったが、宮脇氏が再び出発したのは27日の夜。上野23時05分発の常磐線経由の夜行「ゆうづる13号」青森行きで盛岡まで行き、7時11分発の花輪線の列車に乗る予定にしていた。この花輪線の列車というのは、盛岡から東北本線に向かう客車と花輪線の気動車とが好摩まで併結されて機関車に牽引されるという変わった列車で、宮脇氏もそれを撮影しようと普段は持ち歩かないカメラを持参している。

しかし、上野発車のところで、常磐線の綾瀬で貨物列車の機関車故障が発生した。このため「ゆうづる13号」は上野で発車を待つことになった。これで翌日の行程は大幅な遅れとなった。先の花輪線の珍しい列車に乗れないのはともかく、この日通ることにしていた五能線の海沿いの区間が日没後になってしまうのが惜しいという。ただ、事故はいかんともしがたい。一方の時刻表の机上旅行は順調に進んでいるように見えるが、こちらも実際に旅をしたとして、どこか一ヶ所でも乱れれば全体がボロボロになるリスクがないわけではない。

さて、『最長片道』では「ゆうづる13号」は1時間44分遅れの0時49分に上野を出発して、8時54分に盛岡に到着した。合計では1時間54分の遅れということで、2時間以上遅れると特急券が払い戻しになるのだが惜しいところだった。もっとも、2時間遅れそうで遅れないのが国鉄の特急という見方も多かったようだ。定刻は過ぎていたが8時45分発の花輪線の気動車は接続待ちしており、これで最長片道切符の旅を再開している。好摩で停車時間があったので途中下車印を押してもらっている。

花輪線は岩手と秋田の県境を行く高原のイメージがある。現在は「十和田八幡平四季彩ライン」という愛称がある。『最長片道』では夜行明けの午前の列車に乗っているが、ここで2018年版に切り替えると、夕方の列車である。日の長い時季でも18時を回った鹿角花輪では暗くなっていることだろう。ただ、翌日の行程を考えるとここは暗い中を1時間ほど走って終点の大館まで行く。大館は忠犬ハチ公を含めた秋田犬の産地だとか、比内地鶏も美味いところである。秋田の酒とともに比内地鶏を味わえる店はあるだろうか。北海道から東北に入り、いよいよこれから本州各地を回ることになる。

『最長片道』では大館から先も同じ日に回っているが、ここでいったん記事を切ることに・・・。

※『最長片道』のルート(第7日)
上野0:49(定刻23:05)-(寝台特急「ゆうづる13号」)-8:54(定刻7:00?)盛岡9:05(定刻8:45)-(花輪線)-12:22(定刻11:52)大館・・・(以下は次へ)

※もし行くならのルート(第7日)
函館-(バスまたはタクシー)-函館フェリーターミナル7:40-(津軽海峡フェリー)-11:20青森フェリーターミナル-(タクシー)-青森12:00-(青い森鉄道)-13:30八戸14:08-(青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道)-15:30好摩16:31-(花輪線)-19:20大館
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