まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』の40年後は・・

2018年06月11日 | 机上旅行
このところ、上司の出張ルートを考えたり、私の次回以降の四国八十八所めぐりの公共交通機関ルートを調べたりするのに、ネット以外にも紙の時刻表を見ることが多い。かつて「時刻表検定試験」なるトリビア資格で2級をとったこともあるから、紙の時刻表を見たほうが全体の計画が立てやすかったり、変わったルートを見つけたりすることもある。

そんな中、ふと本棚にあるこの一冊を手にした。宮脇俊三『最長片道切符の旅』である。もう30年以上前に購入したもので、もう紙も焼けた状態なのだが、旅の本としてこれまでに何度か読んでいる。行程1日が1章なので、エリアをつまんで読むこともある。

この旅が1978年の10~12月にかけて行われたのを見て、ちょうど40年前のことだと気づく。文中には、その年行われたヤクルト対阪急の日本シリーズをちらりとテレビ観戦したことにも触れられている(第7戦の大杉のホームラン、上田監督の抗議については出てこないが、取材ノートには上田監督を批判するメモが残されている)。ふとテレビを見ると、スワローズ対バファローズの交流戦の最中。これは偶然。

宮脇氏の「最長片道切符」は北海道の広尾から鹿児島の枕崎を旅したもの。その後新線開通やローカル線の廃止、さらには新幹線開業と引き換えの在来線移管があり、現在では途中経路が時おり変わるが、稚内から佐賀の肥前山口までが最長となっている。NHKの番組で関口友宏さんが旅をしたことで一般の方にもその存在が広まったこともある。今では、「最長片道切符」を作ってもらい、実際に旅をする様子がブログやツィッターでも流れる時代だ。

今の私はとてもそうした旅はできないが、時刻表を使った「机上旅行」ならできる。久しぶりに、時刻表を使ったそうした遊びも面白いだろう。

ならば現在の「稚内~肥前山口」をたどってみればよいのだが、ここは、宮脇氏が回った「広尾~枕崎」を現在同じようにたどるとすればどうなるかを試すことにする。もちろん、「最長片道切符」にはならない。ただ、一つのルートをたどる中で、昭和はおろか平成という一つの時代が幕を閉じようとする中での日本の交通事情の一端が見えるかもしれない。

さてシミュレーションにあたっては、「現実に行くことはないにしても、もし何かと引き換えに行けと言われれば行く」というつもりで組み立てるとして、いくつかルールを作ってみる。

・ルートは、宮脇俊三氏がたどったところを行く。その後の新線開通などで区間がかぶるところがあっても気にしない。新幹線の区間も、乗ることができるのは当時も営業していた東海道・山陽新幹線のみとする。一方、鉄道廃止区間は転換バスなどでたどる。紙の時刻表でわからないところはネットで検索する。

・移動時間は基本的に夜明けから日暮れまでの間とするが、ダイヤの状況によっては未明、あるいは夜も移動する(理想は17~18時には着いて、ビジネスホテルにチェックインした後、土地の居酒屋に入ること)。時刻表に全ての列車が書かれているわけではない東京や大阪の近郊区間は、ネットの乗り換え検索も活用して「このくらいなら」という時間で乗り換えとする。また、何曜日にその地を旅するのかは決められないことから、ダイヤは基本的にどの日も平日ダイヤとする(土日祝日運休だと、地方のコミュニティバスはほぼ全滅で前に進めないところもあるだろうが)。

・実際に「最長片道切符」の旅をした方は、ほとんどが途中で旅程を中断している。現実に旅するならそうなるだろうが、このシミュレーションでは四国八十八所でいうところの「通し打ち」とする。このシミュレーションで何日かけて旅するかはわからないが、少なくとも遍路姿で40~50日四国をひたすら歩き続けて通し打ちするよりは楽だろう。歩き続けるわけでなく、列車やバスに揺られているのだから。

・基本的に寄り道や観光目的での途中下車や、寄り道のためのはみ出し乗車はしない。よほど乗り換えの時間が空くか、宿泊施設への移動のためなら仕方がないが・・・。

というわけで、40年前の旅を今同じようにするならどうなるか。別に誰かのためになるわけでもなく、単に時刻表を使った遊びなのだが・・・。
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