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墓仕舞い紀行

2025年04月16日 14時55分43秒 | 旅紀行
13日 日曜日 福井へ
当初は 中央高速で松本行き、下宿3年目になる孫娘の下宿生活を覗き見てから福井へ と考えてたいたのです。出発の2日前に福井の友人から「岐阜県から福井県への山越えは通行止めになってるはずだが」と聞かされて、慌てて情報収集。松本から高山に抜ける国道、岐阜福井間国道 の2つが通れないとわかり、急遽東名利用に変更。「孫下宿への朝駆け」は深野となった。
それはそれで、新東名を走る別の楽しみで埋められるんですがね。新東名は今回が初めて。さすがに新しい道ですね、広くて、走りやすかったですよ。娘と1時間ほぼ100kmづつで運転ん交代。娘も走りやすかったんだろうね、軽自動車に大人3人だというのに120km出してましたよ。ただ、名古屋手前で旧東名に移らなばならん所は神経使ったな。あそこは要注意ですよ。
でも東名使うと松本回りの半分の時間で行くね。500km 休憩もいれて8時間弱。日本の大動脈って思えます。  福井県内はちょうど桜が満開。 今庄辺りの日野川土手が綺麗だった。
2時頃福井に入って、友人宅へ。翌日この友人夫婦と山代温泉に泊まる事になってるが、息子夫婦にも会っておきたいし。1時間ほど話して、ホテルへ。 チェックイン後 神戸から式に参加してくれる従姉妹と夕食。考えてたお店が無くなってる。福井駅に隣接したお店だったのに。ちょっとした改装をやって、テナントも入れ替えがあったよう。良さそうなお店見つけて夕食。

14日 月曜日 儀式
8時にホテルを出る。式は10時から。 福井駅前からお寺までは1時間弱。 車は僕とかみさん。 娘は従姉妹と電車、タクシーで移動。ここが軽の弱い所。
もう1人の従兄弟夫婦は前夜芦原温泉に泊まってた。かれは前日万博の開会式で第九を歌い、大阪花月でお笑いを見、それから芦原へと移動してた。
10時から式やって、12時に寺を出、芦原温泉街のよく行く蕎麦屋さん「福乃屋」で超辛い「おろし蕎麦」を頂く。ここまで辛いとは思わなかった。想像以上。
13時過ぎ 蕎麦屋さんで解散。それぞれに帰宅。 ぼくは娘をJRの芦原温泉駅まで送って別れる。 われわれはそこから山代温泉に移動して、友人夫婦と一泊。
友人の奥さんは今病気療養中という事で自宅に泊めてもらうのはちょっと遠慮した。その代わり以前から「山代にいいホテルがあるのよ」と言ってるので、そこに泊まろうとこちらから提案してこうなった。素晴らしいホテルでした。彼らは家から4、50分で来れる近さ。分かってくれる人だったらでよく利用してるようだ。
森の栖 リゾートスパ」といいます。 ぼくがこれまで使った宿泊施設の中で一番良かったと思うな。これ以上は書いても書ききれないからnet情報を見、想像してください。

            いい宿です。お勧めです。

15日 火曜日 大和に帰還
10時にホテルを出て、そこで解散。僕たちは神奈川へ。 彼らはさらに忙しいのです。この日にこうやって泊まることになるずっと前から 夫婦2人でギリシャ、エーゲ海クルーズ旅行を決めてたのです。出発の前日だというのに僕たちにつきあってくてたんです。夜中11時に関空から飛ぶことになってて、14時のJRで福井から関空に向かう予定だったんです。
僕達の帰りはまた新東名を走ってきました。ただ今度は運転手は僕1人。 行き同じ、1時間100kmほど走ったら小休憩を取りながら。途中眠くもなったな。大仕事を終わらせた 大きな充実感が込み上げても来たしね。まっどうにか6時過ぎには大和に帰ってきました。
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合祀墓への納骨

2025年04月16日 14時18分59秒 | 旧墓•新墓
「墓仕舞い」の最後の儀式、合祀墓への納骨供養をやりに、福井へいってきた。ちょうど1年前から動き出して、やっと最終段階にきた感。
今回は車で行った。 長女も参加してくれたので、かみさんと3人 軽乗用車での往復。
他に 父の一番下の弟の長男夫婦、長女の3人も参加してくれた。当初は僕とかみさんの2人でちょっちょっと済ませるつもりだったのが、従兄弟が来るとなるとそんな訳にもいかん。 結果的にはぼくだけになったけど、黒の礼服を着ましたよ。
儀式は14日の10時から。本堂でお経をいただき、次に合祀墓が拝める別室に移って、お経をいただいた。無くした旧墓から出た遺留品、遺骨はあとでお寺の人の手で墓に納めていただけるとのことで、式はここまでで完了。
今回は別途 僕とかみさんと僕の姉の「法名」を作って頂く式もお願いしたので、また本堂に戻って儀式。 「法名を頂くということは仏門に入ることです」と説明を受けて、急に緊張感が増したな。これからは俗人的生き方は慎しまないといけないのだ。法名を授かる僕とかみさんは一段高い場所で式、同動してくれた娘、従兄弟は普通席で拝見してる役。髪の毛を剃られる動作もありました。これでぼくも「僧」なのです。法名は「釈」が頭に付いていて、自分俗名の一字を使った3文字でした。
全部で 2時間ほどの式でした。 これで墓仕舞いは終わったし、法名も作っていただいた。 今年の一大仕事が終わった。ホッとしたな。
住職さんからは「これで縁がなくなったんじゃないですからね。繁く来てくださいね」と念を押された。こういう式をやって、檀家(?)さんが減っていくのがお寺としては最も困ることでしょうからね。 自分としては「ここまでやると、縁が薄くなる、薄くできるもの」と考えてたところもあったのですが、むしろ「大事にせにゃあかんやろ」の思いが強くなっちゃったかな。

            
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