「墓仕舞い」の最後の儀式、合祀墓への納骨供養をやりに、福井へいってきた。ちょうど1年前から動き出して、やっと最終段階にきた感。
今回は車で行った。 長女も参加してくれたので、かみさんと3人 軽乗用車での往復。
他に 父の一番下の弟の長男夫婦、長女の3人も参加してくれた。当初は僕とかみさんの2人でちょっちょっと済ませるつもりだったのが、従兄弟が来るとなるとそんな訳にもいかん。 結果的にはぼくだけになったけど、黒の礼服を着ましたよ。
儀式は14日の10時から。本堂でお経をいただき、次に合祀墓が拝める別室に移って、お経をいただいた。無くした旧墓から出た遺留品、遺骨はあとでお寺の人の手で墓に納めていただけるとのことで、式はここまでで完了。
今回は別途 僕とかみさんと僕の姉の「法名」を作って頂く式もお願いしたので、また本堂に戻って儀式。 「法名を頂くということは仏門に入ることです」と説明を受けて、急に緊張感が増したな。これからは俗人的生き方は慎しまないといけないのだ。法名を授かる僕とかみさんは一段高い場所で式、同動してくれた娘、従兄弟は普通席で拝見してる役。髪の毛を剃られる動作もありました。これでぼくも「僧」なのです。法名は「釈」が頭に付いていて、自分俗名の一字を使った3文字でした。
全部で 2時間ほどの式でした。 これで墓仕舞いは終わったし、法名も作っていただいた。 今年の一大仕事が終わった。ホッとしたな。
住職さんからは「これで縁がなくなったんじゃないですからね。繁く来てくださいね」と念を押された。こういう式をやって、檀家(?)さんが減っていくのがお寺としては最も困ることでしょうからね。 自分としては「ここまでやると、縁が薄くなる、薄くできるもの」と考えてたところもあったのですが、むしろ「大事にせにゃあかんやろ」の思いが強くなっちゃったかな。
今回は車で行った。 長女も参加してくれたので、かみさんと3人 軽乗用車での往復。
他に 父の一番下の弟の長男夫婦、長女の3人も参加してくれた。当初は僕とかみさんの2人でちょっちょっと済ませるつもりだったのが、従兄弟が来るとなるとそんな訳にもいかん。 結果的にはぼくだけになったけど、黒の礼服を着ましたよ。
儀式は14日の10時から。本堂でお経をいただき、次に合祀墓が拝める別室に移って、お経をいただいた。無くした旧墓から出た遺留品、遺骨はあとでお寺の人の手で墓に納めていただけるとのことで、式はここまでで完了。
今回は別途 僕とかみさんと僕の姉の「法名」を作って頂く式もお願いしたので、また本堂に戻って儀式。 「法名を頂くということは仏門に入ることです」と説明を受けて、急に緊張感が増したな。これからは俗人的生き方は慎しまないといけないのだ。法名を授かる僕とかみさんは一段高い場所で式、同動してくれた娘、従兄弟は普通席で拝見してる役。髪の毛を剃られる動作もありました。これでぼくも「僧」なのです。法名は「釈」が頭に付いていて、自分俗名の一字を使った3文字でした。
全部で 2時間ほどの式でした。 これで墓仕舞いは終わったし、法名も作っていただいた。 今年の一大仕事が終わった。ホッとしたな。
住職さんからは「これで縁がなくなったんじゃないですからね。繁く来てくださいね」と念を押された。こういう式をやって、檀家(?)さんが減っていくのがお寺としては最も困ることでしょうからね。 自分としては「ここまでやると、縁が薄くなる、薄くできるもの」と考えてたところもあったのですが、むしろ「大事にせにゃあかんやろ」の思いが強くなっちゃったかな。


しかし、大谷派の懐の深さを感じました。法名を授けてくれたとは、流石に照厳寺さんです。釋親鸞様と同じ「釋」を頂いて、墓じまいをしても門徒として認めてくれたわけですね。これで、京都で大谷派関連の施設を使用するときの記帳で、教区を問われるときは「照厳寺」を使えるかな。
名前を一字入れるのは承知していました。ちなみに、父は「釋章徳」母は「釋照寿」弟は「釋法守」です。私は生前に得るとなると京都の大谷祖廟まで行って、大枚を払うことになります。我が家の菩提寺の今の住職は私と同じ歳ぐらいですが、金儲け主義の人で、墓じまいを迫りますが、父のひいお爺さんが横浜村で一旗揚げようと故郷を出てきた心意気を何代も隔世で私の胸の中にあります。
それはそれとして、やはり今自分の手でやっておかないと、後が困る の考えは正しかったと確信してます。こんな苦労、出費は請け負わせるものじゃないでしょう。
その意味では 実にスッキリした気分です。満足。
その分、お寺さんを今後も大事にしていこうの思いが強くなってます。