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「批判する」難しくなりそう

2024年10月18日 15時57分21秒 | 国を憂う
ジャーナリストの青木理さんがnet配信で自民党支援者を「劣等民族」と表現した。陳謝し、撤回し、かつ今後メディアへの出演も自粛するとしたニュースを聞いていた。「ちょっと言い過ぎかな」と僕でも思った。
今日別のニュースがあって、「難しい時代」を感じ、この記事を書くことにした。
今日読んだニュースとは 法政大学の総長を務められた田中優子氏が自民党萩生田さんが出馬してる八王子での立憲候補の応援集会で、高市さんを批判した。
 ・総裁選の決戦2名に残った時
   「我が国最初の女性首相がこの人だったら恥ずかしいと思いました」と批判。
 ・彼女の言ってることは安倍さんそのもの。安倍さんが女装して現れたんでしょう。
  だから、中は男でしょう。安倍さんでしょう。 と表現。

田中さんの考え、意見には以前から賛同してる僕としては、「先生がこうまで言っちゃった」と聞いて、「政治批判の難しさ」をより思ったのです。
お二人とも安倍政権時代から痛烈に批判されてました。僕はその意見に大いに勇気づけられてきました。だからお二人の真の心情は理解してるつもりです。今回上のようなコメントをされた真意も理解してるつもりです。 でも角があるって言うのかな、別の心情に立たれてる人が聞くと、「何言ってんだ」となる表現なんだろうな。
講演だから「分かりやすく、故に端的に」となる傾向あるじゃ無いですか。氷山の水面下と上みたいなものですよ。見えてるところをズバッと表現すると分かりやすいのだけれど、下にある真意までは解説してられないって言うのかな。BLOG書くのもいっしょかな。
こういう難しさって今後ドンドン大きくなっていくんでしょう。ありとあらゆる事が多様化して行くだろうから、デリケート感が増大するっていうのかな。
端的な批評 ってできなくなるかも。言葉、表現を探しながら発言しなくちゃならなくなる。だからといって、批判精神が小さくなるのはもっと困りものと考えるのだが。
表に出てしまった言葉、表現を批判するのじゃなく、その下の真意をくんで批判する精神が大事なんだな。まっ「分かって貰う」ということは難儀なことです。
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徒然なるままに(20241018)

2024年10月18日 11時42分15秒 | つれづれなるままに
 生活にアクセントが無くなってるというか、リズムが無いというか、ダラダラ生活してます。こんなことではいかん とは重々解かってるんですがね。
 そんな状態だから外から入って来る情報に関心を向けるしかない。世の中今は衆院選と日米のプロ野球が最終決戦に向けた戦い中、楽しむ情報には事欠かないのがありがたい。
 選挙の関心事はなんってったって自民党がどれだけ議席数を減らすかという点。話題の自民候補者が当選するのか? 僕の選挙区は今流の問題選挙区じゃないから、関心はついつい他に。毎回期日前投票で済ませてるのだが、今回はまだ投票招待券が届いてない。急だったから選管も慌ただしいのだろう。20日の日曜日には済ませたいが、招待券間に合うんだろうな。
 プロ野球は圧倒的に米国野球に引かれてる。日本の試合はどうでもいいんだ。 両国の中継放送を見て気付いた事。米国の方が明るくて、色が有る。あっちはカラー放送で、こっちは白黒TVみたいに感じませんか? 国民性、文化だね。
 26日に「今回が最後」という中学校の同期会がある。僕は中2からの転校生。だから同期と共有できる情報少ないんです。さて自己紹介して となったらどう言おうか そんな思案する時間もたっぷりあります。
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