「思いやり」を重ねる

2024年08月23日 09時51分45秒 | つれづれなるままに
昨日の「台風10号話」の続きです。 その中で心配事1として月曜日の紙資源回収について書いた。僕としては「今週は出さない」という判断もあっていいと思い、決定権がある地区の副地区長に相談した。その回答はこうだった。
 「上から回収中止とは言ってきてない。回収業者は来る。だから出せばいいのではないか。
  ボランティアが手に負えないほどに濡れ、乱雑に置かれてるのであれば、無理に整理し
  なくても、その状態で業者にお任せすればいいのでは」
責任者がそう言うのだから、僕としては「はい了解です」とそれ以上の自己主張はしなかった。
でも本心は納得してないです。 ボランティアは協力なのでやりづらかったらやらなくていい。業者は「代金を貰っているのだからやるべき」との考えで割り切りすぎてないだろうか? 社会活動において人と人の関係が「金」を間において決められることに違和感があるのです。「心」というのかな、お互いの「思いやり」がもっと作用してもいいのでは無いか。紙資源回収の話で言えば、庶民は2週間だけ我慢して紙資源を家内に保管すればいい。それくらい我慢できるでしょう。回収に来た業者さんは「この地区は我々のことを考えてくれて、今回は出さなかったんだ。ありがたい。だったら我々もいい仕事を心がけないとな」こうなるのが人間じゃないのかな。そういう人間(性)をもっと信じていいのではないか、だから自主的にそう動き出す人達が多くいていいのではと思うのです。
上の話では人と人の間が「金」でした。今の世の中いろんな物、事が間に入って人間関係が作られてる。「宗教」が挟まってるために殺し合いになってる関係だってあるじゃないですか。
8/14のBLOGで「一日一善の精神で」と書きました。文面ではちょっと突拍子もない書き方だなの不満が残ってました。要するに今日書いた精神なんです。こういう「思いやり」の積み重ねに立ち返ることが今必要と考えてるのです。
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