「アベノミクス」の総括を

2024年08月14日 09時12分12秒 | 国を憂う
23日に国会で「閉会中審査」として、日銀の金融政策、先日の株価の乱高下の質疑をやることが決まったようだ。僕は「そんなレベルでいいの?」の疑問を持ってる。ここは「30年やってきた金融緩和策」「10年続けてしまったアベノミクス」の功罪について、国民が理解できるレベルでの抜本的な総括をやるべきだと思ってる。
僕は「功」は皆無で、「罪」だけが残されたと評価してる。結局将来30年分(これは感覚で)の富を先食いし、出るだろう富を見越して借金し(国債の多発)、あちこち金を使うことで、あたかも「繁栄」してるかのように国民に見せかけた手法だったと総括してる。本来は少々の先食いでゆとりを作った中で、抜本的構造改革をやるべきだったの(当初はそのつもりだった)が、何もせずに、旧態をそのまなにしてしまった。手をつけるのは不評をかう危険をはらんでるからね。
資本主義、自由主義の世界で国として成立させていくにはやはり「効率的生産、付加価値の増大」を図ること これはやらざるを得ない。怠ると衰退、貧乏国になっていくのが必然。結局構造改革をやらずにきて、世界でどんどん遅れをとっていると言うのが今の日本じゃないか。
日銀が溜まったツケを解消したくほんのちょっと動いただけで、あれだけの株価乱高下が起きる。しかも日本が金利を上げて、日米の金利差が縮まれば円高に振れるだろうと言う普通の国際金融セオリーも真逆に反応した。 つまり今の日本が抱えてるツケがそれほどに悪質だということですよ。これも感覚ですが、30年で溜めたツケは3倍の100年かけないと解消できないのです。これから100年美味しいことにつながらない努力を余儀なくされてると考えるのが正しいのではないですか。
その意味で「国民が理解できるレベルの総括」という言い方をするんです。国民に現状を理解してもらい、これからの窮状を知ってもらった上で、「努力、協力をお願いします」と言わざるを得ないんじゃないでしょうか。国民が「一日一善」みたいな努力を積み上げていく そういう国、国民にならんと立ち直らんと捉えてます。

さてここで「安倍さんの死」について補足。
ぼくはああいう形だったけどあの時点で亡くなって良かったと捉えてます。
まず国民にとって。お亡くなりになってるので、今忌憚の無い総括かできるじゃないですか。良かった点は良かったと、悪かった点は悪かったんだと言えるでしょう。だから亡くなられてることを幸いと思って「真の総括」をやらねば。
安倍さん自身にとって。 結局非難する声は徐々に大きくなっていっただろう。そう考えると、それを聞かずに逝かれたのは幸いではなかったのか。
コメント
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