カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

将来のある女性だからこそ   プロミシング・ヤング・ウーマン

2022-06-15 | 映画

プロミシング・ヤング・ウーマン/エメラルド・フェネル監督

 夜になると酔いつぶれたふりをして、ナンパされてホテルに連れ込まれてやられそうになると、急にシラフに戻り、その男性を叱責するということを繰り返す女がいる。彼女は昼間は実にいい加減にカフェの店員をして、両親と同居して結婚もせずに心配されている。しかし元優秀な医学生だった過去があり、ある事件をきっかけに中退し、このように男たちに私的に復讐する毎日を送っていたのだった。
 ひどく男を恨む気持ちはよく分かるものだが、復讐される男たちは、彼女の過去とは実際には何の関係もない。酔った上に曲がりなりにも同意したようなものと捉えて性交渉をしようとするのは、問題がありそうな気もしないではないが、誘っているのだから当然と言えば当然である。要するに詐欺のようなもので、男たちも被害者だ。しかし医学生時代の今は小児科医になっている同級生と再び出会い、恋に落ちてから話が急展開する。
 終始嫌な感じがつきまとうが、だんだんと心が解かれていき、新しい未来が開かれる予感がする。そうして終盤に、一気にガツンと頭を殴られるように、観るものは突き落とされてしまうだろう。それは実に見事な復讐劇で、最も後味の悪いものだ。あとで考えてみると仕組まれたものだと知って驚くが、こんなに悲しい一生というのはそうそうないのではないか。それくらい性的な事件というのは、いわば「おおごと」である。
 主演のキャリー・マリガンの、大人だけど若い女性の幼さが混ざっているような雰囲気というのが、お話の筋とリアルさを担保している。見事と言っていい。本当には悪い人間ではない哀しさが、この悲劇を形作っているのである。罪を犯した人間は、どうしても逃がさないのだ、という執念と恨みの映画なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

USBと格闘

2022-06-14 | 雑記

 ある会で毎月報告書を書かなくてはならないのだが、これが手書きの書面なのである。フォーマットがあって、決まったようなことを書く欄があって、まずはこれを決まったように埋める。そうして面談した内容を書くのだが、この半面のスペースが絶対的に足りない。だいたい二回の面談の内容を書くように言われているが、とてもじゃないけれど端折らなければ埋められない。紙はいくらでも足して書いていいと言われるが、それがどうしたらいいのか分からない。紙は何でもいいともいわれるが、そんなあやふやでは何がいいか決められるわけがない。
 ところでこれをパソコンで書いているという人がいた。周りに聞くと、あえて手書きが好きだ、という人以外、どちらかといえばパソコン派が多数なようなのだ。なんだ、ちゃんと電子フォーマットがあるんだな、ということで僕もそうしたいというと、事務局まで出向いてUSBでコピーしてくれ、という。今時USBなの? とは思ったが、とにかくそうしてくれという。簡単だから、だって。うーん、わざわざ行かなくてはならない手間の方が煩雑なような気もするし、多数の人が扱うパソコンにUSBなんてかなり危険ではなかろうか。
 とはいえ時間をつくって、ついでの折に事務所に出向くとにする。USBは職場でかなり探したが、もはや誰も使っている人もなく、僕の机の奥のその奥に、見覚えのあるやつをやっと発見した。それをもって先方事務局に出向いて、当番の人に断ってパソコンを開いてみると、資料は見つかったものの、僕のUSBに反応しないではないか。こうなると理由はまったくわからない。長らく使ってないので壊れてしまったのかもしれない。
 仕方ないので帰りに新しいUSBを買った。次の機会にこれを忘れないようにしなければ。
 ところで別の機会で事務局へ電話する用事ができた。その中でこのUSBの話をしたのだが、ああ、だったらメールで送りますよ、と言われる。そうだよな、メールで送れるはずなんですよそもそも。なんだか悔しいような気分が噴き出してきたが、しかしありがたいお言葉である。そうして僕のメールアドレスを伝えて、電話を切った。
 しばらくしてメールを見るけどまだ来てないな。催促するのもなんだか申し訳ないな、と思って夕方まで待つ。ちょっと忙しかったので、退出間際に気づいてメール確認すとまだ来てない。まあ、明日だな、と思って……、それでいつの間にか一週間過ぎてしまった。ちょうど事務局で対応してくださった人の当番の日もあるし、それがいつなのか僕は知らない。やっぱりUSBもって事務局に出向く日取りを算段しているところである。

追伸:その後、なんとメールがありました。昨日の事でありまして、お礼のメールをしたんですが、誰がそうしてくれたのかよくわかりませんでした。でも実は日曜日に事務所に行く用事があって、その時に新しく買ったUSBにコピーしたばかりだったのです。間が悪いとは僕の事でありましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の進んだフランス娘   友だちの恋人

2022-06-13 | 映画

友だちの恋人/エリック・ロメール監督

 フランス映画。ふとしたきっかけで知り合った女どうしで友達になるが、片方のレアは学生でファビアンという青年と同棲している。しかしあまりうまくいってないという感じ。ファビアンとレアの友人にハンサムな青年アレクサンドルがいる。ブランシェはアレクサンドルに興味を持つが、シャイでうまく声さえかけられない。そういうやりとりがつづくなか、とうとうレアとファビアンは別れてしまったと聞く。そうしてファビアンとブランシェは、これまたちょっとしたきっかけで一夜を共にしてしまうのだったが……。
 会話ばかりしていて、さすがにフランス人というのはおしゃべり好きなんだな、と呆れる。話の展開も、いつまでも話をしてばかりいて、ちょっと退屈である。でもまあ、そういうのを楽しむ映画らしくて、そういうやり取りにつきあっていると、最後になってそれなりに盛り上がることになる。実に上手い。なるほど、このために物語があったのだな、と感心してしまった。ちょっとした佳作には違いないし、ファンがいるのも納得である。当時のフランスの可愛い若い女性というのも分かるし、男性陣も皆かっこいい。こういう感じの恋愛観が一般的だとは思えないが、主人公のブランシェは、シャイな性格で、まるで日本人の女性のようでもある。いや、今時日本人の女性では、こんな感じの娘はいないのかもしれないが……。
 フランスの女性は、以前から性的にも思想的にも自由だというのは分かる。かの国では、必ずしも結婚して子供を産むことを目的としていない。結婚さえせずに子供を産み、だから離婚でなくて別れてしまうが、そうしてまた誰かと付き合う。移民政策もあるが、出生率は低くない。日本の行政制度は見習うべきだという話もあるが、さて、こういう文化にあってのことで、日本ではやはりあまり根付かないのではないかとも考えてしまう。そういう映画ではないのだけれど、ついつい先読みしてそういう文化も考える。そもそもレアのような先進的な女性観というのがあるので、シャイな一種古風なブランシェが映えるのである。そういうことを考えると、やはり80年代のフランスにおいても、ちょっと背伸びした感覚はあるのではないか。まあ、面白いので映画に集中すべきことなんだけれど……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢字の沼にハマる   漢字ハカセ、研究者になる

2022-06-12 | 読書

漢字ハカセ、研究者になる/笹原宏之著(岩波ジュニア新書)

 著者の漢字遍歴・半自伝的漢字との付き合いが描かれたもの。岩波ジュニアなので基本的には子供向けに将来の夢となるような職業指南の書なのかもしれないが、当然大人が読んでも面白い。漢字に興味の無かった人が読んでももちろん面白いはずだと思う。
 子供のころに何かに興味をもって熱中することというのは、いわば普通のことだろう。昆虫が好きになって蛾などを取ってきて母親から怒られたり、列車や電車が好きで駅に入りびたったりする子もいただろう。まあ、なんでもいいのだが、しかしそのまま「好き」な気持ちを持ち続けて、ずっと成長していく方がまれである。野球とかサッカーとかのスポーツなら、親も一緒になって頑張ってくれることもあるだろうけれど、例えば著者のような漢字好きというのは、別段悪いこととはいえないまでも、ここに書かれているように、時には十数万もするような辞書が必要になったりする。著者の親は寛大で、無理してでもその要望に応えてくれたようだけれど、それは著者の熱心さもあっただろうとは思われるものの、なかなかにできることではない。人の好きという道は、そう簡単に続いていくものではないのである。
 しかしながら漢字好きというのは、漢字検定なんかもあることから、いない訳でもないだろうとは想像すれば分かることではあるけれど、何かちょっと得体のしれないような感覚があるものかもしれない。僕は個人的に漢字に興味を持った時期があるので、まったくの異人種ではないとは思うのだが、それでも著者の異常ともとれる漢字に懸ける情熱のようなものを見ていくと、ただただ圧倒されるよりない。いろいろ苦労もされているけれど、その分類であるとか、写真にとるとか、ノートを作るだとかいう地道に続けている作業をみていると、何かにとりつかれているような印象さえ受けてしまう。漢字の申し子としての使命感にも似た、熱い情熱である。後に仕事になっていくのだけれど、その後もなかなかに凄いことになっていく。漢字の世界に入ったら、周りも専門家だらけである。そういう中にあってなお、異彩を放ちながら研究を進めていくのである。こういう人でないと、やっぱり漢字博士とは言えないよな、と呆れてしまった。
 若い頃には、いわゆる漢字の正しさのようなものにこだわったりした時期もあったようだが、だんだんと漢字自体の多様さにふれるにつけ、人間と漢字との付き合いのような、柔軟な漢字というものの考え方へと変遷を遂げているようにも見受けられる。それはそのまま著者の成長物語ということも言える。日本人に生まれてくると、中国由来の漢字を借りて今でも使い続けている歴史もあって、運命的に面倒な心情を持っていたのだが、国字や当て字や漢字の方言や、ある意味で作字された漢字や間違ったものが定着したなどの歴史など、実に多彩で面白い世界が、漢字の中にあることを知った。こりゃハマったら抜けられない沼である。ふつうはハマらないけど……。ともかく、著者の本は他も面白いのでお勧めです(僕は結構持ってました)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去に捉われた飲んだくれ   ストレイ・ドッグ

2022-06-11 | 映画

ストレイ・ドッグ/カリン・クサマ監督

 徐々に明かされては行くが、過去に問題があり、相棒とともに潜伏捜査していた経験のある女刑事が、ある殺人事件にかかわっている。今の相棒とは別行動をとり、規則も規律もろく守ることはなく、離婚して連れている娘との関係も最悪である。はっきり言って何もかも破綻している様子なのだが、勝手な捜査は続き、娘と付き合っている不良の年上男とも関係が悪くなる一方だったが……。
 過去にひどいことが起こったことは徐々に明かされていくわけだが、それで今もって荒れた生活を送っているようだ。そういう態度は仕方がないとでも言いたいのかもしれないが、警察官である。アメリカの警察組織が荒れた警察官に甘いとは考えられないが、ともかく彼女は嫌われながらも自由である。しかしこれは一種の復讐劇になっていることが明らかにされていき、では彼女はどうやって復讐を遂げるのか、ということになるのかもしれない。ちょっとしたトリックがあって、最後の方で、やっと、ああなるほどな、という感じかもしれない。見たい人はお楽しみに。まあ、分かる人には途中で気づくのかもしれないが。
 それにしても、ニコール・キッドマンである。若いころから絶世の美女だったわけだが、いわゆる性的にはともかく、汚れ役と言えるかもしれない。きれいな女優さんだけど、精一杯汚い格好をしているという感じだろうか。でもまあ以前にいは大胆に脱いだこともあるわけで、ふつうに考えてそちらの方がハードルが高いことかもしれない。僕は彼女が主演だとは知らないで観ていたので、途中でアレレ、と思った。そうしてクレジットを見て、やっぱりそうだったんだと思ったので、ある意味で覆面演技である。年齢もあるし、新しい境地を開こうという魂胆なのかもしれない。
 ハードボイルド作品は、多くの場合中年男性の専売特許という感じもあったわけだが、こういう女優さんによって、女もそういうことするんだよ、ということになるのかもしれない。成功しているかどうかは、観る人で判定してください。面白くないわけではないけど、僕にはビミョーって感じっすかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残酷だが深い愛の姿   忌中

2022-06-10 | 読書

忌中/車谷長吉著(文春文庫)

 短編集。生徒時代に古墳を見に行く趣味があって意気投合するような仲から恋仲へ進展する男女だったが、突如彼女は強姦殺人に巻き込まれ、しばらく行方不明後に埋められた場所で発見される話(後日談あり)。▲売れない作家の友達に元女優の友達がいて、そこに遊びに来る美貌の未婚女性に気があるのだが、彼女は金持ちのお嬢様であるからか、かえって貧乏にも興味がありそうで、作家は心が揺れるのだったが……。▲以前書いた私小説の中の人物だった叔父は、ある島で教師をしていた時代があり、島を訪れると、何十年の時を経ても、教師だった叔父を慕い続けるまるで「二十四の瞳」のような生徒たちがいるのだった。▲若い頃から好きあった仲であったが、医学部入学後父が自動車事故で人を殺したために学業を断念して働きだすと、彼女は親の意向で他の男と結婚させられてしまう。しかし夫婦仲は悪く離婚し、連れ子を伴ってやっと再婚を果たすのだが、自分の事業がバブル崩壊とともに傾いてしまい一家心中を遂げるまでの話。▲夫は死んでしまうが、良くしてくれる姉さん夫婦が何かと世話をしてくれる。しかし姉さんの夫とも関係を結ぶようになってしまい、しかし自立しようと決心する。▲定年近くの年になり、妻が病気で体が不自由になる。毎日妻の介護をしているが、だんだんと辛くなっていく。妻もつらくなり死にたいとばかり言うようになるので、心中を決意するが、妻を殺したのち、はずみで死ねなくなり、借金をしてある女に貢いで身動きが取れなくなるように自分を追い詰めていくのだった。▲
 最初から、かなり壮絶な話が続く。特に心中ものはすさまじい。どうせ心中しようと思っているので、せめて子供を連れて遊園地に遊びに行くが、子供は親と一緒にこんなに楽しいひと時は無いものだからはしゃぎにはしゃぎ、また行こうと約束をした夜に絞め殺すのである。もう頭の中がどうにかなりそうな衝撃を受ける。小説だが、実際の心中というのはこういう感じになるのだろうか。本当にくらくらするような悲劇だ。
 しかしながら多くのお話の主たるところは、他でもなく深い男女の情愛である。こんなにも深く男女は愛し合うことができるのだ、ということを見せつけられる。苦しくて仕方が無いが、そうして時には相手も憎むようなところがあるが、そういう人間の根源的なところに情愛があるということなのかもしれない。求めあい方も激しくて面食らうところもあるが、まあ、真実めいている。究極には、そうなってしまうのだろう。
 こんなにすごい小説があったんだな、と半ばあきれながら夢中で読んでしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実は小説より……   鳩の撃退法

2022-06-09 | 映画

鳩の撃退法/タカハタ秀太監督

 原作小説がある。それも佐世保の人だな。話題にもなっていたと思う。
 売れなくなった作家が、現実として書いていいのか分からない失踪事件を、小説として書きだしていくと……、なんとなく怪しい事件に巻き込まれていく、という寸法。小説だからドキュメンタリーではないが、現実のことを暴露して問題を大きくしてしまう危険(名誉棄損とか)などもあって、出版社との駆け引きも綱渡りのようになっていく。ただし以前は文学賞も取ったことのある、一定の才能のあるらしい若い作家は、こういう題材でないと書けなくなっている。しかしながら小説世界さながら、現実の物語もだんだんと怪しさが増していくのだった。
 お話に出てくるバーテンダーとヤクザの不思議な関係であるとか、ただの浮気物語では無い男女の関係や、偽札と古本屋などの仕掛けも敷いてある。物語は重層的でありながら、ちゃんと謎解きに進んでいっているのか不安になる展開にもなる。いちおうアクションめいた暴力もある。
 ちょっと科白回しが舞台の演技めいたところがありはするが、多少幻想的な寓話めいたところも無いではない訳で、しばらくすると慣れては来る。作家は主要人物だが、この物語を体験しながら、この語りをコントロールしている身ではない。むしろ翻弄され、時にははじき出される。小説にされる題材は、そもそもそれを望んでもいないし、出来ればだれにも分からないままにされていた方が理想なのだろう。しかし小説としてこれほど小説向きの題材もないのである。仕組みが生きた展開で、完全にすっきりとはいかないまでも、なるほどそういう作りなのか、と感心してしまう。原作の小説もそうなのだろうか。
 ただし有名な俳優などを配して豪華であるけれど、やはりなんとなく地味な印象も残った。悪くないけれど、スケールの割には……、という感じだろうか。それとやはりなんとなくむつかしい感じもあるのである。カルト映画ほどに難解にせずとも好いが、娯楽作としての単純さも必要ではなかろうか。そうなると、この怪しい雰囲気が生きてこなくなる、という計算なのだろうか……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたは何を書く人ぞ   王とサーカス

2022-06-08 | 読書

王とサーカス/米澤穂信著(創元推理文庫)

 元新聞記者の大刀洗万智は、雑誌記者に転身し、海外旅行の記事を書くためにネパールに先んじて訪れていた。現地で知り合った少年とまちを散策するなどしていた折、ネパールの王族殺害事件が勃発する。現地に駐在する日本の新聞社等の報道機関など当然なく、たまたまだとはいえ現地で取材できる立場となった大刀洗は、それでもBBCの英語放送しか情報源が無い中、必死で取材先を探す。そんな中王室の警備をしていたという軍人とコンタクトを取れることになるが、取材後その軍人は何者かに殺されてしまうのだった。
 取材元の軍人が何者かに殺されたことにより、大刀洗の立場も危ういものになっているのかもしれない。また王室殺人という国を揺るがす大事件のさなかにあって、この殺人事件がどのようなつながりを持ったスクープになり得るのか、大刀洗は手掛かりが薄い状況の中、必死で頭を巡らし取材を続け、記事を書き切ろうと奮闘を続ける。
 最初から事件がすぐに起こるわけではなくて、中盤くらいまでは、ネパールのカトマンズの情景が大刀洗の周辺の人々を通して語られる。そういう日常にあって、突然王室の人間が次々に殺されるという事件が起こって、外出禁止令がでたりして、まちが騒然としてくる。この物語は小説でフィクションだが、この事件は過去に実際に起こったことを題材にしている。そういう臨場感のある状況にあって、このミステリがどのように絡んでいるのか、読者にも容易に謎を解くことができないのではないか。
 そういうよく作り込まれた構成になっているのだが、同時にこれは、今は雑誌記者に転身した大刀洗という人間の、倫理観にも問いかける、哲学的な命題のようなものも含んでいる。雑誌記者という立場の人間は、さまざまな情報を、いわば料理して読むものに伝えるのが仕事である。読者が何を欲しているかを察知し、それを面白おかしく掻き立てることができれば、それが一流なのであろう。しかしながらこのような事件というのは、直接的に影響を受けるのは、関係者はともかく、ネパールの国民の多くである。日本の雑誌記者がこの事件に遭遇したからと言って、この事件を日本に報道する意味とはいったい何なのか。そういうことも、大刀洗という記者に対して問われている問題なのではないか。
 そうしてそういう倫理観のようなものが、物語の動きを大きく変えていくことにもなっていく。必ずしも社会派の小説とは言えないかもしれないが、エンタティメントの娯楽性を備えながら、警察小説などでは見られない構造を持ったお話だと言えるだろう。そういうところも評価の高いゆえんかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性が凄いのは、彼女らがすごいからだ   スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち

2022-06-07 | ドキュメンタリ

スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち/エイプリル・ライト監督

 ハリウッドの映画の売りは、派手なアクション活劇であるともいえる。それはもちろん男性のヒーローものにとどまらず、強い女優が躍動する姿は観るものを虜にするだろう。CG技術の向上もあって、そういった特撮を交えた撮影がなされているだろうことは想像できるが、基本となる動きにおいては、身をもって演じている人々がいるのである。また女性の体形や服装の関係があって、女装した男性のスタントマンでは撮れない映像もあるようだ。日頃アクションの訓練をしていない女優が、そのまま身の危険を冒してまで演じられるものでは到底無いだろう。そういう裏方を演じているスタントウーマンがいてこそ、スリル満点の映像が作られているということである。
 女性の服装というのは、そもそもアクションに向いていない。肌の露出も多い服装のまま、衝撃に耐えるアクションをすることには、最初から無理がある。そういう怪我を防止するための危険防止のパットなどの装着が最小限のまま、大けがを覚悟のうえでアクションを行える女性というのは、尋常なものではないようだ。彼女らは、そうした役を得るために日頃から鍛錬を積み、本番においては勇気を奮い起こして果敢に危険な撮影に臨んでいる。そういう女性たちのインタビューを中心に、いわゆる武勇伝を詳しく紹介したドキュメンタリー映画なのである。これはもう、改めて凄いとしか言いようが無いのである。
 筋肉隆々の男たちが危ない目に合うのもスリルはあるが、美しい女性が危ない場面を乗り切る様は、さらに違ったスリルがあるのは確かなことだ。ちょっとあり得ないというような意外性も絡んで、観る者を魅了するのかもしれない。ただし、そのための裏方があってこそなのである。大変だけど楽しんでいる。人間のチャレンジ精神というのは、危険だけれど燃えるという妙な心持が支えている、ということだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野2.帰路に就く

2022-06-06 | 散歩
 階段上るのはしんどそうだけど、日照りの道を行くよりましかも。


 だんだんと雰囲気出てきました。


 五重塔も見えるよ。

 上野東照宮であります。



 震災や戦災にも焼失を免れた神社として、強運の神様ともいわれてるんだって。それはあやからねば。




 精養軒。でも何か食いたいわけでもないしね。見るだけです。


 トーテムポール。上野ライオンズクラブのものらしいです。


 時折涼しい風が吹きますが、気温が高いのでほんの気休めのような感じですか。


 不忍池が見えますが、日当たり良さそうなのでパス。


 清水観音堂。


 一週回ってきた。


 最初に撮り忘れた西郷どん。やっぱり上野だよな。



 翼の像。体操選手のフィニッシュみたい。


 中央改札。上野駅も古くなったけど、新旧ごったまぜって感じですかね。僕は中学生の時に初めてここにきて、いわゆるルンペンを初めて見て感動したんですよね。今回も何人か見たけど、都会は豊かなのでそうやって暮らしてる人がちゃんといるって感じでしょうか。田舎だと許されないでしょうからね。



 という事で、帰りましょうか。


 こっちからだとモノレールでもよかったんだけど、新橋で空港行きに乗り換えました。


 羽田に着いた。


 もうほとんど帰ってきた気分だよ。


 西に向かって飛ぶ飛行機の窓では、いつまでも日が沈まないのでした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サメがいるところには近づくな   ロスト・バケーション

2022-06-05 | 映画

ロスト・バケーション/ジャウム・コレット・セラ監督

 バカンスで外国の美しい入り江にやってきた医学生の女性が、得意のサーフィンを楽しんでいたところ、足に激しい衝撃を受ける。なんとか近くの岩礁に上がって確認してみると、サメに襲われて大きな傷を負ってしまったようなのだ。岩礁から岸まではそれなりに遠い。岩礁の周りを悠然と大きなサメが泳いでいる。まさに絶体絶命で、岸にはすでにサーフィンを終えて帰ろうとする男たちがいる。声を張り上げて助けを求めるが、遠方であることと波の音で声はかき消されて届かない。足の傷は深いし、潮の満ち引きで、いつ岩礁が水面から消えるのか、それすらわからないのであった。
 このような絶望的な状況下で、いったいどうやって人は生き延びることができるのか。いくつか選択の道はある。しかし、どれも危険すぎる。武器になるようなものは何も持っていない。海の中で人間が狂暴なサメと対峙できるものなんて、何もないのだ。
 ものすごく恐ろしくて嫌になってしまう映画だが、もちろんこういうものだって娯楽映画である。一定の緊張感がいつまでも続いていて、体験型映画だともいえる。もちろん、主人公が何とか生き延びないことには始まらないと思うのだが、状況は悪いものばかりなのだ。本当にどうやったらいいというのだろうか。
 突っ込みどころが無い訳ではない。いくら大きなサメだとはいえ、実は人を襲って食べた形跡がある。そんなに何人も食わなければならないのだろうか。しかし複数匹の設定だと、この結末にはならない。そういうあたりはどうなんだろうか。また、もちろん解決方法もそれでいいのだろうか。そうしないと終わらないけど、そうなるんだろうか、とは考えてしまった。残念という訳ではないが(恐怖から解放されたので嬉しかったが)、サメが頭が悪いという前提が無いと、むつかしい問題かもしれない。
 という映画なのだが、改めてサメというのは恐ろしいです。もうすぐ夏がやって来るが、海で泳ぐ気が失せる危険があるので、そういう予定のある人は観ない方がいいでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨がやんで、上野に行ってみた

2022-06-04 | 散歩
 見た目ではそんなに降ってないように見えますが、少し風もあって傘で歩くには不都合な天気です。


 ちょっと考えましたが、やっぱり一駅地下鉄で行きます。
 虎ノ門の出口がいろいろ整理されてました。二年の歳月を感じさせられますね。


 外はもう大雨の様相。これじゃ歩いてくるのは完全に無理でした。


 会議場は37階で風景も霞んでました。


 国会中継やってたけど、あの中でやってるんだよな。実感ないですけど。


 一通り審議済んで、つぎの会が始まった。食べながらでいいんだそうですが、人が話してるときには何となく食べにくいです。すでに13時過ぎてますけどね。


 全部終わって外に出ると、すっかり雨が上がって気温が急上昇してました。ネクタイ外して上着をバッグに詰め込んで、飛行機の時間まで中途半端に時間があります。さて、どこ行こうかな。


 で、ほとんど何も考えずについた先が、上野でした。


 ちょっと前に読んだ小説が上野を舞台にしてたんですよね。悲しい話だったな。


 アメ横。修学旅行だろうか? 中学生か高校生か、そんな人々がたくさんいました。


 鞄をロッカーに入れて、しかし暑いんで、木の多い上野公園でも散策しますか。



 正岡子規記念球場。


 上野に降りたのは動物園か博物館にでも行けば時間つぶせるな、と考えたからでした。でも暑すぎて動物見るのも疲れそうです。



 陶器展の準備してました。


 木の多い方に行こう。だんだん学生風の人々が増えてきたなと思っていると。



 東京芸大があるんだな。



 来たことないけど、散歩だからいいのです。



 護国院、て書いてありました。



 上野高校だそうです。



 風情ある建物だけど、倉庫か何か?



 右手のホテルは、森鴎外居住の跡だそうです。


 両側が上野動物園になりました。


 子供たちの歓声も聞こえます。楽しんでますか~。
 とにかく暑いんで、ほとんど苦行という感じになってしまいました。夏になったら東京には行けないな、こりゃ。まあ、どこに行っても暑いんで、どこにも行けなくなるかもしれませんが……。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天然系強い女性   ノンストップ

2022-06-03 | 映画

ノンストップ/イ・チョルハ監督

 韓国映画のアクション・コメディ。過去に何か秘密がある様子だが、今は市場の中で小さな揚げパン屋を営んでいるおばさんがいる。このおばさんの一家が、ジュースの景品(オロナミンCのようだ)でハワイ旅行が当たる。思い切って店を休んで飛行機に乗り込むと、北朝鮮のテロリストにハイジャックされてしまうのだった。
 北朝鮮が何の目的でハイジャックしたのかはよく分からないが、武装もしており、乗客は大ピンチに陥る。しかしおばちゃんはちょうどトイレに入っていて難を逃れるばかりか、その偶然を生かしたうえで、大活躍をすることになる。北の工作員も息があっていなくて、思わぬ反撃に右往左往するということになる。
 荒唐無稽な話ではあるが、一応北の状況を鑑みると、韓国としてはあり得るお話ではあるのかもしれない。韓国では有名な歌手兼女優が活躍するコメディなので、意外性もあるのかもしれない。確かに可愛らしい顔立ちだが、立ち位置は商売熱心の普通のおばちゃんである。そういう人が激しいアクションをこなしながら、しかし天然系の女性なのである。さらに家族にもそれなりの秘密が隠されていて、そういう謎解きも後半まで楽しめる仕掛けである。まあ、出来すぎのところはあるにせよ、心を空っぽにして楽しむ映画ということである。ある意味では健全さもあるので、家族一緒に映画を観に見に行こうという選択に、非常にマッチした製作の試みがあったのだろう。そういう映画というのは、あんがい最近は少なくなっている傾向があって、特に日本のそれとは、かなり違う事情があるようにも感じる。韓国映画が日本に勝るエンターティメントの成功があるのも、このような大局的な考え方の違いなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶり出張。調布と。

2022-06-02 | 散歩

 さて、出発は仙川駅だったけど、アプリを見るとここからだと行こうと思っている場所には都合が悪いみたい。


 じゃあいったん下ってみて、調布に行きましょう。


 もっと写真撮っておけばよかったんだけど、この辺りでは格段に都会になってます。そうしてすぐにバスが来て乗り込みました。よくわからなかったけど運転手さんは親切で、それに後で考えると案外単純な路線だったので、間違えずに乗れました。さらに電子カードが便利ですよね。田舎のバスも、全部統一して欲しいです。


 で、着いたのは深大寺。僕はですね、人間として本当に尊敬しているのは、水木しげるさんが筆頭といっていいのですよ。そうして鬼太郎の茶屋がある深大寺を、嫌いなわけがないじゃないですか。


 そうして入り口からいきなり素晴らしかったんですが、ほかの店は夕方になっててすでに閉店らしいです。まあ仕方ないですね。うるさくないのでいいのですが……。



 境内も閑散としてて、あとでわかるけど、何かお坊さんのお勤めがあるようで、お堂など戸が閉まってて閉店でした。まあ僕には宗教心がないし、お参りはしないではないけど、願い事なんてするわけないし(これは僕を知っている人には説明不要でしょうけど)、中を詳しく見られないのは残念だけど、それはそれでパラダイスです。











 まあでも、終わりは終わり。僕の後についてくるようにして見学しているお姉さんがいたんですが、つまらなそうでした。僕にはどうしようもないことだけど、なんとなく申し訳ないような気分にもなりました。
 そうしてせっかくの鬼太郎茶屋ですけど、おみやげ買ってもどうせ家人は喜ばないし、ひやかして帰るだけです。まったくファンのくせにつまらない客です。特に物欲は無いのです。


 そうして戻ってきたのは、調布でなくてつつじが丘。北口なんで新鮮な感じがしますね。




 さらばつつじが丘。もうだいたいの感じは覚えたよ。また多分来るでしょう。


 そうして乗り継いで戻ってきて部屋の感じはこんなもの。ちょっとレトロでかっこいいホテルだけど、部屋はビジネスなんですね。何の不満もないですけけどね。このくらいの狭さがくつろげます。


 この時点で息子と会える機会は逸したとあきらめてたんで、一人飯にシフトして店を探します。まあ、どこでもいいんですけど、そうなると焦点が定まらずぶらぶらしてました。


 結局ガード下に戻って文庫本読みながら一杯やってました。


 そうやってぼちぼち飲んでたら電話があって、息子が都合ついたという事で、河岸を変えて飲み直しました。どういう訳か写真は無し。けっこういろいろ話をして、もんじゃ食ってバーでヤンキーのマスターと話したりもしましたよ。これはプライベートなんでご勘弁を、って感じっすかね。
 僕もいつの間にか50代の中ごろになって、おそらくだけど今は死んだ父と一緒に出張に行って呑んだようなような感じの逆の立場になったのかもしれないな、と考えたりしました。必ずしも同じものではないのかもしれないけど、僕も若かったし、その当時見た東京という場所に来て、時間が違うにせよ自分の息子と吞んでいるという事に、非常に感慨深いものを感じました。僕は立場上のこともあり、二十代の後半から毎年数回ではあるけど東京には出張をしていて、三十年近くこのまちと馴染んでいます(初めて来たのは十代だから40年以上前だけど)。住んだことは無いけど、こういうバランスでここにきていて、本当に身近に肌感覚としてこの場所を感じることが出来ました。こういう感覚であらためてこのまちを捉えられたのは、やっぱり息子の影響なのかな。こういうのもいいですね。


 翌日窓の外はこんな感じ。耐震の補強かな。改めて確認して朝食を。


 思ったよりいい朝飯で食い過ぎました。いや、これは旨かったです。


 さて外は雨のようですが、やっと本番の仕事であります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音をたててはいけない世界   クワイエット・プレイス

2022-06-01 | 映画

クワイエット・プレイス/ジョン・クラシンスキー監督

 音に反応して襲ってくる怪物のいる世界。生き残った家族は、音をたてないようにして暮らしている。様々な工夫があるようで、歩く道には砂のような物を撒いて、その上を裸足で歩く。この家族には子供のうち上の姉がろうあ者のようで、家族は手話ができる。すぐ下に弟がいて、さらにまだ幼い弟が続く。その一番下の弟が、電池で音を立てるおもちゃを廃墟となっているスーパーで見つけるが、父親が危険だからと言って取り上げる。姉は電池を外しているのなら、持っていても大丈夫だろうと考えて、父が取り上げたおもちゃを後に持たせる。弟は外したはずの電池を後でつかんでおもちゃを持っていく。そうして歩きながらおもちゃに電池を入れて遊ぼうとすると、その音をかぎつけた怪物に襲われて死んでしまうのだった。
 この事でろうあの姉は深いこころの傷のようなものを背負ってしまう。家族は音を立てない生活を確立させてもいて、家には様々な工夫が凝らされている。しかしながら問題もあって、母は妊娠しており、出産間近なのだ。赤ん坊が生まれるということは……。
 音によって獲物を捕らえる生き物はたくさんいる。例えばフクロウは、闇の中で動くねずみを音によって探し出すことができる。ねずみは生きていくうえで動き回わらなければならず、ジレンマがあるわけだ。ましてや映画では人間である。怪物はどうも宇宙からの侵略者のようだが、なぜ人間を獲物にしているのかは謎である。もっとも人間以外も襲っている様子なので、手当たり次第である。
 また、この怪物は、おそらく何かの比喩なのである。不条理だが、子供は大人のルールに従えない。そういう存在を大人は守らなくてはならない立場にいるのである。しかし相手の力は強大すぎる。あらがうことはできない。つまり、こちらからルールを変更させることができないのである。その場合、我々の取るべき道は何処にあるのか。
 ホラー映画だが、なかなかに考えさせられる設定である。この映画の評価が高いのは、おそらくそういう思考に対するチャレンジ精神を掻き立てられるからだろう。まあ、最終的には、アメリカ的な回答が用意されているわけだが。皆さんなら、どう感じられるだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする