クワイエット・プレイス/ジョン・クラシンスキー監督
音に反応して襲ってくる怪物のいる世界。生き残った家族は、音をたてないようにして暮らしている。様々な工夫があるようで、歩く道には砂のような物を撒いて、その上を裸足で歩く。この家族には子供のうち上の姉がろうあ者のようで、家族は手話ができる。すぐ下に弟がいて、さらにまだ幼い弟が続く。その一番下の弟が、電池で音を立てるおもちゃを廃墟となっているスーパーで見つけるが、父親が危険だからと言って取り上げる。姉は電池を外しているのなら、持っていても大丈夫だろうと考えて、父が取り上げたおもちゃを後に持たせる。弟は外したはずの電池を後でつかんでおもちゃを持っていく。そうして歩きながらおもちゃに電池を入れて遊ぼうとすると、その音をかぎつけた怪物に襲われて死んでしまうのだった。
この事でろうあの姉は深いこころの傷のようなものを背負ってしまう。家族は音を立てない生活を確立させてもいて、家には様々な工夫が凝らされている。しかしながら問題もあって、母は妊娠しており、出産間近なのだ。赤ん坊が生まれるということは……。
音によって獲物を捕らえる生き物はたくさんいる。例えばフクロウは、闇の中で動くねずみを音によって探し出すことができる。ねずみは生きていくうえで動き回わらなければならず、ジレンマがあるわけだ。ましてや映画では人間である。怪物はどうも宇宙からの侵略者のようだが、なぜ人間を獲物にしているのかは謎である。もっとも人間以外も襲っている様子なので、手当たり次第である。
また、この怪物は、おそらく何かの比喩なのである。不条理だが、子供は大人のルールに従えない。そういう存在を大人は守らなくてはならない立場にいるのである。しかし相手の力は強大すぎる。あらがうことはできない。つまり、こちらからルールを変更させることができないのである。その場合、我々の取るべき道は何処にあるのか。
ホラー映画だが、なかなかに考えさせられる設定である。この映画の評価が高いのは、おそらくそういう思考に対するチャレンジ精神を掻き立てられるからだろう。まあ、最終的には、アメリカ的な回答が用意されているわけだが。皆さんなら、どう感じられるだろうか。