投票率を上げるにはどうしたらいいか、というのをテレビでやっていた。ほとんど使い古されている疑問という気もするが、実際日本の選挙の投票率は、どんどん低くなっている傾向にある。僕なんかは毎年何らかの選挙で疲れているので、選挙自体をもっと減らしてほしい派なんであるが、今のままで投票率なんてものが上がるわけがないことは身に染みて分かっているので、不毛な感じでどよーんとしてしまうだけだが、まあ、いい方法があるんなら、やってみたらいいとは思う。選挙制度を変える方がいいというのはどうしてもあるにせよ、どうせ誰も変える気なんてものは無いので、これも不毛だ。少なくとも記名式はやめて、マークシートにしないかな。ネットもやるべきだろう。それと無投票は信任性を持たせるとか、いろいろありそうだけど、それは別の機会に考えよう。
まあ、そうであるにせよ、今やれることで曲りなりに効果の在りそうなものはいくつかはあるらしい。選挙に行くと何かもらえるとか、何かのサービスを受けられるとか、そういうのはいろんな自治体や、いろんな団体がやっているようだ。ちょっとくらいは意識が上がる人もいるという。そんなら継続してやっておくれ。あんまりいい筋ではないが、やらないよりましである。
面白いと思われたのは、子供に選挙のやり方や実践をさせるというのがあった。これも多くの自治体や学校でやっているはずだが、紹介されていたところは、生徒で選挙で選ばれた人たちが作った政策を、町だか市だったかがちゃんと採用する制度になっていた。そういうことに関わっていた生徒たちは、その後も選挙には当たり前に行くらしい。当事者意識が違うということだろう。出来上がった政策のなかみにもよるし、程度問題だとも思うが、そもそも自分たちで考えたことがまちに生かされるというのは、ダイナミックに政治そのものだから面白いのだろう。まちの議会で政策提言をやっている議員さんというのはほとんどいないだろうから、そういうまちなら住んでいて面白いことにはなるかもしれない。しかしながらほとんどの自治体は、そもそもその住人がまちの政策に関心があるなんてことはファンタジーだろう。選挙にもいかないのだから。関心のある一部のひと人というのが、関心があるからよい提言を持っているとは限らないし、失礼ながらいい判断のできる人とも限らない。それが政治のむつかしさそのものである。そんなことは僕なんかが信用できないことと同じことである。そういう人が政治にかかわると皆が困るでしょ。
選挙権を持っている人がそれを行使しないのだから、そういう人の選挙権は剝奪したらいいとは思う。三回続けて行かなかったら、選挙権失効とかいいですよね。まあ、そういうのはちゃんと批判する人がいるので、怖くて提言する人がいないだけのことだろうけど。しかしながらいかない人を削減して、行く人のパイで投票率を割れるから、着実に投票率は上がるはずである。剝奪や失効したからと言って、また自ら申告するなら戻せばいいだけのことである。関心ないんだから、そういう方法を調べようともしないだろうけど。
投票率が下がるのは、それなりに成熟した社会なら当たり前だ、という話もある。政治に関心が無くても社会が成り立っているのだから問題が少ないし、現代というのは幸福な時代だということかもしれない。もっともそれでも戦争が起こったり、バランスの悪い社会のひずみにあって困っている人もいることだろう。政治の力なしに、それらの改善は望めない。政治の力があっても、どうにもなりそうもないものも多いけれど、それも含めての政治である。政治以外で解決しようとする社会の方が不健全なので、問題がありながらとはいえ、それでいいのである。