小学生に将来何になりたいか?というような質問をすると、男の子はスポーツ選手、女の子はケーキ屋(お菓子屋)さん、というのが上位だったと思う。聞くところによると、このような傾向は20年ほどほとんど変わらないのだという。素直な回答だということも言えるのだろうが、何というか、貧困である。
もちろん自分のことを鑑みても偉そうなことは言えないが(確か僕は八百屋だったと思う)、そんなような将来の夢というのを聞いて喜ぶ大人というのも、なんだかつまらない気もするし、まあ、たわいの無さに安心して喜ぶというのであれば、それでいいわけだが。
将来の夢と言いながら、職業であるという限定も何となくつまらない原因ではないかとも思う。子供に何の職業に就きたいか問うというのも、かなり無理がある。スポーツ選手が職業だというのもちょっと無理があるから、まあ、子供らしいのではあるが。そうであるなら、夢というより現実感とでもいえて、さらにつまらないのかもしれない。
しかしながら将来何をしたいかというより、今好きなことを将来につなげたいというようなことでもあるような気がする。つまりいま何に熱中しているか、ということと、少なからず関係があるはずであろうと考える方が適当だろう。確かアニメのキャラクターになりたいとか、電車になりたいとか、そういう回答もあったはずである。あり得ないが、それがむしろ子供のリアルである。そうして夢があるといえそうだ。
さらに年を追うと、親が子供に就かせたい職業というのが出てくる。確か上位は公務員とかだった。公務員の人には申し訳ないが、これを聞くと何故かげんなりしてしまう。親の心配の何とつまらないものか、ということと、何か得体のしれない圧力のようなものさえ感じさせられる。
子供の将来がどのようになるかというのは、確かにはっきりとしたものなんて無い。それだからこそ未来である。しかしながら歌手になりたいとかいうような夢を聞かされても、それなりにげんなりするのもよく理解できる。やるんならやればいいけれど、なんとなくうつつを抜かしているような感じもする。もちろんお金をもらっているのだから職業だけど、考えてみるとあれはカンパを集める仕組みのようなものだ。まあ、それでいいけど。
実際の話、仕事をやるようになると、別の意味で色々と夢が広がるような気がする。これをやり遂げると頑張ったり、ある時は感謝されたり。もちろんつらいことの方が多いのだけど、結果的に暮して行けたり責任が増えたりする。そういうものが、現実的には一番の夢の実現っぽい。そういう仕事の価値観の残っているうちのことだけなのかもしれないが、とにかく自分のためではないというのが何より自分を支える価値になっているような気がする。
将来の夢というのを聞いたところでやっぱり貧困にならざるを得ないのは、このようなあいまいさの中で将来の具現的な姿を見せている親のせいなのであろう。夢なんてものは実現しなくても全然かまわないもの。そういうことを教えてやってもいいのではなかろうか。