カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

夏が来たけど泳げない

2011-07-08 | HORROR

 特に神経質というわけでもなかろうが、尖ったものや刃物が怖いというのはある。注射嫌いは書いたことがあると思うが、二日酔いの点滴は好きである。いや、何とか我慢して突破できる壁である。血液検査はいまだに鬼門だが、僕から血を取ろうとする看護婦さんたちにも鬼門なのであろう。それを考えるとお気の毒で、協力しなければという気持ちでなんとか乗り切ることができるようだ。
 自分に料理ができないというのはあるだろうが、包丁を握るとかすかに緊張感を覚える。かぼちゃのように固いものを切るのが特に嫌である。これだけの力で物を切ることに対する恐怖の助長であろう。失敗すると取り返しがつかない。しかし力を入れなければかぼちゃは切れない。もう清水の舞台から飛び降りる覚悟である(大げさ)。
 子供番組で料理をさせるものがあるが、たどたどしい手で包丁を扱う姿にドキドキしてしまう。慣れるためには包丁に馴染まなければならない。時には小さな怪我でさえ必要な経験だろう。理屈では分かっていながら、胡瓜を切るのはやめて欲しいとも思うのだ。
 台所から「痛」という声が聞こえると一瞬で心拍数が上がる。台所は女の戦場だというが、よくもまあ、ああいう危険なところで毎日働いているものである。もちろん僕が参戦すると、さらに惨劇が繰り広げられることになるのだろうが…。
 さて、夏の海である。もともと泳ぎは得意な方だと思うが、年を取ると特に泳ぎたいという欲求はほとんど無い。美しい砂浜を見ると、しかし歩いてみたいとは思う。砂が服などに付いて、後でめんどくさいということはあっても、水辺まで行ってみたいという欲求の方が勝るようだ。
 そういう時に必ず頭をよぎるのは、ガラスの破片が落ちていないかということである。足の裏をざっくり切るという恐怖が、裸足になることを躊躇させる。
 磯で素潜りをして遊んでいたら、牡蠣の殻か何かで思い切り足の裏をザックリと切ったことがあった。激しい痛みと驚きでおぼれそうになる。何とか体勢を整えて傷口を見ると水の中で激しく出血している。そのまま流れる血が止まらなくなるのではないかという不安。早く岸へ上がりたいが、とても歩ける余裕がない。心拍の音とともに、さらに出血が増えるような感覚にパニックになるようだ。
 やっと岸に上がった後も、まだ遊んでいる友人たちとは一緒になれない疎外感。もう元には戻らない挫折感。恐らく今なら縫うほどの傷ではあったのだろうと思うが、血が止まるのを恨めしく待つしかなかったのである。
 今年も夏が来たわけだけれど、海に行くことがあるのだろうか。美しい海というのは自然であって、生身の人間はあまりに無防備に弱いということなのではあるまいか。
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