カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

自転車泥棒

2011-07-14 | culture

 地区懇に出席。我がホームタウンの特徴的な犯罪は、自転車の盗難ということになっている。そういう話を聞いてすでに十数年になるから、構造的に問題がありながら改善できない自慢話のようなことになっている。長崎市は坂が多いから自転車には向かないといわれている。人口の多い都市部がそうだから、比較的坂の少ない我が町がワーストになっているという話もある。どこの学校と特定して言われることはあまり無いが、某高校の生徒は駅から自転車で通う率が高く、なお夜は自転車を置きっぱなしにしていることから、自転車の盗難が常習化しているという話もある。対策は取っているのだろうが、本当に減らしたいならそういう原因をある程度特定して監視するより無かろう。ちなみに今年になって71件ということで今年もワースト街道まっしぐらだそうだ。ふーむ。
 ところで自転車泥棒といえば古いイタリア映画を思い出すわけだが、あれは社会的な貧困をあぶり出した名作だった。学生の自転車の盗難は、もちろん貧困のためではない。盗られれば悔しいし残念だろうとは思うが、恐らくまた親に買ってくれとせがむのだろう。その先は言わない。
 盗難後の自転車は、ほとんど見つかりはするのだという。つまり鍵をかけ忘れた自転車は勝手に持ち逃げされ、その後放置自転車になるらしい。ただ見つかるまで時間がたってしまって、そのまま乗れる状態には無くなってはしまうらしいが。
 要するに自転車の鍵を掛け忘れなければ、乗り逃げされることもほとんど無くなるらしい。警察も学校もそのことを口を酸っぱくして繰り返している。現実的にそういう期待に終始しても効果があがらないということなのだろう。ということになれば、自転車の盗難という犯罪は、豊かさが生み出した結果なのではあるまいか。
 もちろん自転車を盗る人が一番悪いとは思う。例え無施錠の自転車であっても、勝手に乗らないということを期待できるものならそうあった方がいい社会だろう。しかし持ち主がその場に現れることがぜんぜん無かろうという状況で、モラルの低い人間が無施錠の自転車を見つけたら乗っていってしまうのも、ある意味ではありうる話だとは思う。わざわざ指紋を取るなどの捜査などもされそうにないし(したとしても特定できるものだろうか)、乗り捨てれば逃げ切れる確率の方がはるかに高い。
 このような集会で毎回このようなことを聞かされ続けて、正直なんとなくうんざりするような気分にもなっているのだけど、さらに出席者は減少まっしぐらになっていて、広報効果も薄くなっているとも感じられる。この調子だと、これから先もまだまだワーストの地位は安泰なのだろう。もちろんこの先地域経済がどん詰まりになって、貧困にあえぐ家庭が増えなければだが。まあ、そのようになれば人口そのものが減ってもいるのだろうけど。
コメント
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