忘れられた人々/ルイス・ブニュエル監督
子供というのは純粋であるといわれる。もちろんその通りだとは思う。しかしその純粋さが悪の道に入るとどうなるか。いわゆる不良少年なのだが、これがどうにもタチが悪い。弱さと狡さが混在して、そうしてヒネていて、救いがない。いや、救えないことも無かったのかもしれないが、踏み外した道はそれなりに険しく、後戻りできないらしい。誤解もあるが、信用も失い破滅に向かっていく。唖然とするくらい救いが無く、ただ悲しい物語だ。悔やんでも悔やみきれないやりきれなさが後に残り、呆然としてしまった。なるほど、だから名作と名高いわけか。
何が悪いということをあげつらうことはできる。何より仲間が悪いし、環境が悪い。母親も悪いし(おそらく母親の愛情を欲しかっただけなのだ)、この映画に出てこなかった過去の(たとえば父親)人達が悪いのかもしれない。理解ある大人も出てくるが、妙にくせのある人々が渦巻いており、単純ではない。主人公は不良だが、しかしどちらかといえば真っ直ぐで一途なところも見てとれる。ある意味では要領が悪く、損をしている感じだ。本来は不良に向かないのかもしれないが、自ら湧き出してくる反抗を抑えることができない。結果的には酷く不良なのである。
僕自身はまともな不良とはいえないまでも、はぐれ者とのつきあいはそれなりに経験がある。結局はうまく溶け込めなくて、その中からもはぐれてしまったようなものだけど。しかし覚えがあるのは、仲間うちでも頻繁に裏切りがあったということだった。彼らは簡単に嘘をつき、ふざけて馬鹿をやり、そうして関係無い弱い人達をさげずんでいた。簡単に言うとそういうことに嫌気がさしてしまった。不良なら一人でもできるので、離れてしまったのだろうと思う。まあ、才能が無かったわけだ。その中には竹馬の友のような奴がいて、本当に毎日のように家に寄って遊んだものだったが、結局は大人になる直前あたりで疎遠になった。なんとなく寂しかったが、損なわれたものも大きかった。随分して酒屋で顔を見たが、結局一緒には飲まなかった。住む世界が違ってしまったのだった。
当然ながら映画の状況とはぜんぜん違う。しかし激しいいらだちや反抗心は似たようなものがある。仲間の裏切りもどこかで見たことがあるようなものだ。決定的に違うのは恐らく深い貧困で、過去のメキシコという国の病理である。彼らは子供といえども働かなくてはならなくて、そして腹をすかせ、馬小屋などで寝るのだ。大人たちもすさんでいて、ある意味では自分の身を守っているかもしれない。
最終的には信頼されようとする大きなきっかけを得て、そのことが破滅の大きな曲がり角になってしまう。信頼を得るための仕掛けが、むしろ大きな罠に思えるほどだ。後になって思うと、反抗と癇癪で殺してしまった鶏に復讐されたのかもしれない。
この映画にどれほどの意味があるのかは正直言ってよく分からない。人間は悲しい生きものだということだけは、言えるとは思うのだが…。
子供というのは純粋であるといわれる。もちろんその通りだとは思う。しかしその純粋さが悪の道に入るとどうなるか。いわゆる不良少年なのだが、これがどうにもタチが悪い。弱さと狡さが混在して、そうしてヒネていて、救いがない。いや、救えないことも無かったのかもしれないが、踏み外した道はそれなりに険しく、後戻りできないらしい。誤解もあるが、信用も失い破滅に向かっていく。唖然とするくらい救いが無く、ただ悲しい物語だ。悔やんでも悔やみきれないやりきれなさが後に残り、呆然としてしまった。なるほど、だから名作と名高いわけか。
何が悪いということをあげつらうことはできる。何より仲間が悪いし、環境が悪い。母親も悪いし(おそらく母親の愛情を欲しかっただけなのだ)、この映画に出てこなかった過去の(たとえば父親)人達が悪いのかもしれない。理解ある大人も出てくるが、妙にくせのある人々が渦巻いており、単純ではない。主人公は不良だが、しかしどちらかといえば真っ直ぐで一途なところも見てとれる。ある意味では要領が悪く、損をしている感じだ。本来は不良に向かないのかもしれないが、自ら湧き出してくる反抗を抑えることができない。結果的には酷く不良なのである。
僕自身はまともな不良とはいえないまでも、はぐれ者とのつきあいはそれなりに経験がある。結局はうまく溶け込めなくて、その中からもはぐれてしまったようなものだけど。しかし覚えがあるのは、仲間うちでも頻繁に裏切りがあったということだった。彼らは簡単に嘘をつき、ふざけて馬鹿をやり、そうして関係無い弱い人達をさげずんでいた。簡単に言うとそういうことに嫌気がさしてしまった。不良なら一人でもできるので、離れてしまったのだろうと思う。まあ、才能が無かったわけだ。その中には竹馬の友のような奴がいて、本当に毎日のように家に寄って遊んだものだったが、結局は大人になる直前あたりで疎遠になった。なんとなく寂しかったが、損なわれたものも大きかった。随分して酒屋で顔を見たが、結局一緒には飲まなかった。住む世界が違ってしまったのだった。
当然ながら映画の状況とはぜんぜん違う。しかし激しいいらだちや反抗心は似たようなものがある。仲間の裏切りもどこかで見たことがあるようなものだ。決定的に違うのは恐らく深い貧困で、過去のメキシコという国の病理である。彼らは子供といえども働かなくてはならなくて、そして腹をすかせ、馬小屋などで寝るのだ。大人たちもすさんでいて、ある意味では自分の身を守っているかもしれない。
最終的には信頼されようとする大きなきっかけを得て、そのことが破滅の大きな曲がり角になってしまう。信頼を得るための仕掛けが、むしろ大きな罠に思えるほどだ。後になって思うと、反抗と癇癪で殺してしまった鶏に復讐されたのかもしれない。
この映画にどれほどの意味があるのかは正直言ってよく分からない。人間は悲しい生きものだということだけは、言えるとは思うのだが…。