カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

マヨネーズをかけるということ

2008-08-29 | 

 日経を読むとマヨネーズの売り上げが落ちていると報道されている。8年で12%減ということだ。原因として高カロリーを敬遠する健康趣向があげられているようだ。勝手にマヨネーズ好きはメタボに多いなどと言われている、というように断定している。これはデータがないので印象にすぎないと思われる。マヨネーズ好きの傾向を探ったものはそれなりにあるだろうが、結果としてメタボであるとは、おそらく複雑すぎて断定できるものではあるまい。真似して印象だけでいうと、マヨネーズ愛好家は圧倒的に若年層ではないか。彼らが中年や高齢者と比較してメタボが少ないことは証明出来よう。要するに最初から考えていない断定にすぎない。もちろん習慣としてマヨラーといわれる人たちがいることを面白おかしく取り上げた所為もあって、異常愛好家の印象が先走っているのだろう。
 しかしマヨネーズを避けて購入するのは、メタボを気にする人たちであることは確かではあろう。健康志向の油を使ったものなど商品の細分化もかなり進んでいる印象がある。また、記事にもあるとおり、マヨネーズの消費は落ちている代わりに、ドレッシング全体の売上は11%伸びているということだ。ノンオイルに限らず、ドレッシングをかけて野菜を食べるというスタイルが、かなり確立して裾野を広げているということだろう。
 考えてみると、おそらくつれあいが気をかけているということあろうが、あのマヨネーズの味というのをダイレクトに食べる機会はかなり少ないように思われる。時々茹でた野菜とマヨネーズの取り合わせ料理が出ることがあるが、最近は塩というのもけっこう多いようだ。どちらもおいしいが、アスパラとかブロッコリーなど、茹で上がってすぐのものにマヨネーズの取り合わせは、確立されたしあわせの図式であるように美味である。もちろん冷まして冷たくなってもおいしいが、しあわせ度という意味で茹でたての方が点数が高いのである。
 僕はマヨラーというほどマヨネーズ好きではないと思うが、ご飯にマヨネーズでも食べられないことはないとは思う。弁当屋の弁当のサラダなどにマヨネーズがかけてあって、じかにご飯の上にそのマヨネーズがはみ出てのってしまっている場合があるのだが、知らずにその飯を食っても特に違和感がない。それだけで飯を食わなければならない状況はなんだかひもじいという気持ちがわくだけのことで、マヨご飯は気持ちの悪いほど異常な状態とは考えられない。
 だいぶ以前に椎名誠がスパゲティにマヨネーズと鰹節をかけて、さらに醤油をどぼどぼかけて食うと旨いと何かに書いていて、それがいかにも旨そうに思われ、真似して食べたらたいして感心しなかった。何か九州の味ではないというような違和を感じた。だがしかしスパゲティとマヨネーズの相性が悪いわけではなくて、そのようにするのならツナとマヨネーズを混ぜてスパゲティと和えるのであれば格段に美味である。手間としてもそれほどの違いはあるまいが、味覚としての格のようなものは、それこそ格段の違いが生まれるように思う。
 学生時代にお八つとしてパンを食うということはあった。市販のもので格別に旨いと思われたのは、野菜マヨネーズというものだった。友人には焼きそばパンの方がシンパが多かったように思うが、僕は浮気をせずせっせと野菜マヨネーズを買って食べていた。もちろん二種類以上パンを買える余裕があれば他のものも買うことはあるが、一種類なら野菜マヨネーズと決めていた。この味に勝る安いパンというのはちょっと考えられなかった。年配の人にあんパンの思い出をノスタルジックに語る人が多いが、僕にとってのノスタルジーは、あの野菜マヨネーズかもしれない。
 以前は訪問例会というものがあったので、毎年一度は五島に渡っていた。魚介類が旨いのはもちろんだし、五島牛の焼き肉は外せないのだが、それにもましてささやかな楽しみは飲み疲れた(五島は必ず飲み疲れるのである)深夜に残されていた。飲んでいるので方向がおぼつかないのだけれど、アーケードのような商店街を外れるとすぐの路地に平山園という中華料理屋がある。これ以上飲んでいたらおそらく死ぬ。いいかげんに〆のラーメンを食べようということで寄るのである。ここのラーメン屋でなければならないのはもう一つメニューを頼むからで、そのラーメンと別の方がメインであるかもしれないのであった。それは何かというと、海老マヨネーズなのである。まさに絶品といわねばならないのである。今となっては海老マヨは大変にメジャーな食べ物となってどこでも食べられるものではあるけれど、おそらく僕は二十代中盤に、初めて海老マヨという食い物をここで食べた。飲み疲れてさらに食いつかれているにもかかわらず、この海老マヨをパクついて瓶ビールを飲んで、さらにラーメンを食べるのだった。翌朝はひどい状態になっていることは容易に予想できる状態にありながら、そういう予感さえ吹き飛ばしてしまえるような、自堕落で愉快で強力な魅力のある美味なのである。
 しかしやはりマヨネーズは後ろめたい食べ物になってしまった。マヨネーズだけがすべての肥る原因ではないはずなのに、その原因と考えられる王様の位を獲得しているように思える。マヨネーズさえかけてしまえば取りあえずなんでも食べてしまえるようなところもあるために、アンチグルメの象徴のような存在でもある。僕はお好み焼きはたいして好きではないが、マヨネーズがかけてあるので食べられるのではないかと疑っている。僕にとっては、おたふくソースよりマヨネーズの方が位が高いのである。
 日本の国においては、マヨネーズを誰にはばかることなくたっぷりかけて食べることができるという立場の人は、ある種の狂人を除いて、もっとも羨むべき体質としあわせを謳歌しているということができるのではないだろうか。
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