カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

泳げないで済みそうにない

2008-08-30 | 時事

 ここにきて経済対策の話が持ち上がっている。内容としていろいろあるにせよ、財政の健全化ということについては、どうも一時的に忘れようということのようだ。おそらく多くの人たちが陳情を重ねている結果なのだとは思うが、これが政治の現実かと思うと、やはり情けないものだと正直に思う。
 経済というものが将来においてどうなるというのは、不確実な要素がたぶんに含まれているとは思う。何故なら景気の良し悪しというのは、相対的な結果だからだ。現在の痛みが先行きを暗くして、ますます経済を悪くするのではないかと考えるのは、それは正直な感覚とは言えるだろう。そう考える人を単純に非難したいわけではない。
 しかし、現在景気の悪い状態にある業種の人たちの問題については、今のカンフル剤が一時的なものであればあるだけ、症状をさらに悪化させる結果につながる恐れがあることを自覚すべきなのではないかと思われる。捻挫したまま試合を続けさせ、次の試合以降の選手生命が絶たれるということもあると考えるべきだ。確かにトーナメント戦ならこの試合に負ければ将来などは無いのだという気持ちは分かる。しかし、だからと言って負け試合に執着して、別の将来の機会さえ失うのだとしたら、今の傷をいやすことを優先せざるを得ないことの方が常識なのではないか。その時期がいつだったのかという見極めは確かに難しい判断ではある。会社の経営ならその判断をくだすことに躊躇した時点でおそらく負けであろうが、政治ならチャラにしてやり直せるというのだろうか。僕にはそこのところがどうにも分からない。何が何でも健全化と言っているのではないが、少なくともそもそも健全化なくして国の将来があるのかという問題なのではなかったのか、と、シビアに考えて思うだけのことである。

 夜にY介君の会で高齢者医療の話を聞いた。非常にまっとうな話を聞けて、現実的な考えを述べていることに好感を持った。後期高齢者医療制度(すでに名前さえ変わったらしいが)というのは様々なヒステリックな議論を巻き起こしたが、医療を支える財源が危機的状況にあることにかわりはない。しかし国の方針として、選択的に必要なものに取り組まなければならないということを考えるのであれば、いくら問題が多かろうとやることはやらなければならないのだ。そういうことをうやむやのうちにいつの間にか通すのではなく、説得した上で通すということが何より政治家の役割で、批判を浴びたから曲げるのではなく、まっとうにやるべきことを通すということが必要なのだ。もちろんタイミングはあるにせよ、それが選挙との絡みがあるにせよ、実行するようなことでなければ何も始まりはしないのである。構造改革がダメで増税もダメで、つまるとことは先送り。もうどんづまりでも先送りができると考えている人が多いのは、先の寿命がない人たちの考えではないか。泥船が沈む前に泳ぎ方を鍛えておいたほうがよさそうであるな、という予感だけはするのであった。
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