カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

だだちゃ豆

2008-08-27 | 

 断るまでもないが、僕はグルメでも何でもない。食うものなんてどうだっていいとは思わないまでも、何かに執着して食うというようなことは特にない。「美味しんぼ」のような人たちが周りにいると、おそらく嫌悪感で顔がゆがんでしまうだろう。好奇心で食いたいと思うことはあるにせよ(名物など)、これを食わなきゃ落ち着かないというようなことはめったにないようである。いや、鬼太郎カレーはどうしても買いたくて粘って探して買い求めたので、やはり執着することはときにはあるのだけれど、鬼太郎の場合は息子へのプレゼントという側面があったので執着できたということはあるのかもしれない。
 しかしひょんなことで「だだちゃ豆」の存在を知った時から、気になって仕方がないという時間を過ごした。存在を知ったのはあいにく春先で、いくら探しても見つからなかったということが大きいのかもしれない。無かったのは当然で、八月中旬から九月頭ぐらいまでのごく短い時期にしか収穫されないのだという。どういうわけか保存も難しいらしい。山形の一部でしかとれないということも妙に不思議だ。産毛のようなものが少し黒っぽいし、見た目も悪いのだけれど、なんで普通の枝豆と違うのかというのがどうにも気になって仕方ないのである。枝豆は大豆だから豆腐にもなるんじゃなかろうかとも思うが、あえて枝豆としてしか食わないものなのだろうか。まあ、そこのところは実はどうでもいいが、食いたい思いは強まる一方で、長い時間待ちに待ったという感じだった。
 注文したのは盆前だったのだが、配達されたのは下旬になってからになった。なんと僕だけのブームではないらしいことがこれでわかる。いや、僕の知らないだけのことで、もともと巷間では噂の枝豆なのかもしれない。注文と配達される時期に間隔が空いたので、しばし忘れていた夜家に帰ると、茹であがった「だだちゃ豆」が食卓にあがっていた。さっそくビールをうぐうぐ飲んで、ひとつまみつまんだのだった。
 まあしかし期待が大きいというのもなんだな、というのが最初の感想。知らないで食えば枝豆には違いない味である。もの凄く神妙にしてパクつくと、味が濃いというか、なんとなくの違いは段々分かる程度ではあった。うーむ長い間待たせやがってイケずなやつだが、実はたんにまじめ一本なだけだったというようなオチなんだろうか。調理方法なんかも普通の枝豆よりうるさいことが書いてあったらしく、つれあいもいつもと勝手が違いながら茹でたとの由である。さらに少しばかり塩を足したりして、神妙さを保ちながらパクついて、食卓に並ぶ別の料理を食ったりするうちになんとなく空腹の方は落ち着いたようだった。
 しかし枝豆の力はここからなのかもしれない。もうこの辺でよしておこうと思ってテーブルから離れようとしたのだけれど、いつものように水割りの焼酎を口にするとなんとなくさびしくなって、手をのばしてテーブルの上のだだちゃ豆をつまんでしまう。子供の見ているテレビを横目で見ながら飲んでいるのだが、一度離れたテーブルの椅子にいつの間にか座りなおして目の前の豆に手を伸ばしている自分がいたのであった。いたのであったと気付いたのはガラスのボールに入っていただだちゃ豆が無くなったからで、無くなってしまうと殺伐とした静寂が訪れて、妙にあとを引く感覚が湧きあがってきた。いや、十分に味の方は理解したはずなのに、もう一度確かめ直したいような物足りなさなのである。そうだ、この不十分な渇きのようなものを与える程度においしいというものが枝豆なのである。やめられない止まらないは「かっぱえびせん」のみの特許なのではなく、この中途半端さが止められなくなる大きな理由なのではないかと思わせられる。
 まあしかし実のところ熱は少し引いて食べたという経験には満足しており、次回は地元の枝豆であってもいいのかなとは思ったのだったが…。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 残念ではあるけど | トップ | 昔の恋人 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。