キングダム 見えざる敵/ピーター・バーグ監督
ドキュメンタリータッチなのは、臨場感とリアリティを出すためだろう。それがある程度は成功しているのだけれど、しかしお話はありそうで無い話という感じもする。いや、現実には起こっていることに違いなさそうで、微妙にしかしアメリカ的な理解であり過ぎるというか。
中東のことをそんなに知っている訳ではない。西側の国からみると不可解で危険なことだらけだというのも、あながち間違いではあるまい。テロの巣窟のような事も言われるが、確かにそういうところもありそうで、しかしやはりそれは一面的に過ぎないだろう。テロは軍事施設などのハードなものはターゲットにせず、あくまで一般の無関係な人々を、つまりソフト・ターゲットに絞って実行する。軍備の弱い方がゲリラ戦で応戦するのとある意味で似たところがあって、大勝するより部分で勝とうとする訳だ。そして壊滅はしない。
それは友好国の中にも含まれている訳で、戦場がはっきりしない戦争ということになっている。アメリカはテロとの戦争と言っているので合わせて言っているのだが、これは本当にはたして戦争と呼んでいいものなのだろうか。いつまでたってもそういう疑問が残るのである。結果的に映画の中でもテロの解決に乗り出すのはFBIである。犯罪の捜査を国をまたいで行おうとする。越権行為だが、米国民を守るという使命のためなのかもしれない。これもまた考えるといろいろある訳だが、越えてしまったものはしたかあるまい。たぶんそのような不信がこの映画の土台であるのだろう。
リアルな映像を追及している割に、アクションはあくまでご都合主義だ。一種の西部劇的に、主人公側の犠牲者はあまり増えない。敵はどんどんやっつけられるのだから、力の差が大きいということなのだが、倒れた相手の銃を取ってドンパチを続けているという場面もあって、武器の差ではないという根拠が分からない。つまりリアリティは台無しという感じで、やはり夢物語なのであろう。これは映画としては些細な違いなのでは無く、大きな視点の違いである。リアリティを気どった娯楽作と割り切った作りと言えばそうで、だからそういう面で文句を言っても仕方がない。だからテロは無くならないのではないか、という疑問が膨らむだけのことだろう。
テロの原因はアメリカにあるとテロリストたちは思っていることだろう。そうして死の連鎖が続く事で、憎悪の記憶は増幅されていく。終わらせるには止めるしかない訳だが、どちらが先に止めたとしても、どちらが永遠に止め続けるという保証は無い。静かな時期が長くなっても、必ずしも解決に向かっているのかは分からない訳だ。首謀者を切れば解決するのかといえば、次の主謀者が生れないという願いを託す以外になさそうにも見える。戦闘にはある程度の区切りが出来ても、関係をどのように構築するのかという問題は、やはり長い目で見る必要があるだろう。
原因の多くは社会情勢だが、さらに非常にお金持ちが多い国の中に構造的な貧困問題がある。普通なら勝手にやってくれだけど、しかし介入無しで解決することなのだろうか。そういうところが気になりだすと、サウジ一国であってもどうにもならないように見えなくもない。そうして心ある人間から殺されていくのかもしれない。これだけ違うもの同士がどの様に付き合っていくべきか。映画とは離れた話だが、知らなければ始まらない話でもあるのだろう。