カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

冷蔵庫の扉

2013-02-04 | culture

 ハリウッドの映画を観ていて違和感のある場面の中でも最大級のものは、なんと言ってもホームパーティではないだろうか。金持ちなのかよく分からん人たちであっても、家に複数の人を招いて飲んだり騒いだりしている。ティーンの場合だと、親が外出している時に複数の友人を呼んで騒いだりしている。家に複数の人を絶対に呼ばないという訳じゃないけど、日本の環境だとちょっとありえないということが多すぎる。いくら映画だからと言って、複数の人が詰めかけすぎるというのもあるし、自由にし過ぎているようにも感じる。会費の問題は金持ちだからいいのかどうか知らないけど、いくらなんでもやり過ぎるような人々がいたりする。ベットルームに入ってマリファナ吸っているようなのがいたり、隠れてラブロマンスに浸っているようなのもいる。これは本当に個人の邸宅で行われていいことなんだろうか? 正直言って最近は慣れたが、最初の頃はクエスチョンがつきまくりだった。
 そういう中でも特に違和感のあるのは、いくら親しい友人宅だからといっても、勝手に冷蔵庫の中からビールを取ったりしている場面かもしれない。飲みたきゃ勝手に飲んでいいということなんだろうが、日本だとかなり親しくても、他人の家の冷蔵庫を開けることはタブーなのではなかろうか。
 男の家であっても、彼女が遊びに来て冷蔵庫を開けるような事があれば、それはおそらく肉体関係に発展しかねないというサインという気もする。西洋人ならそんなことは無いが、日本だとそういうことになる(たぶん)。それくらい冷蔵庫の扉は重たい訳で、人間的な距離のバロメーターかもしれない。もっとも家人が開けていいという場合もあるから、あくまで「勝手に」という前提があることは確認しておきたい。
 ところがやはり、諸外国人の感覚だと、冷蔵庫の扉というのは、極めて軽いものであるらしいのである。「飲み物飲んでいいか?」と聞くと「なんで勝手に冷蔵庫開けないんだ?」と思われるらしい。もしくは「勝手に取ってよ」くらいの返事ということか。客人へのおもてなしの心というのは、フレンドリーであることが重要であるらしい。その象徴として、冷蔵庫はフリーなのだという。
 実はこの辺の感覚は何となくは知らない訳ではないのだが、やはり僕も日本人であって、同胞の日本人が勝手に冷蔵庫を開けるのはかなりの違和感を覚えると思う。外国人ならOKだけど、そこのあたりは壁があるということか。
 つくづく日本人は個人主義の強い人種だなあと思う訳だが、たぶんそんなことに気づいていないらしいのも、相変わらず変だとは思うんですけどね。
コメント
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