カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

すべては続編のために   プロメテウス

2013-02-07 | 映画
すべては続編のために
プロメテウス/リドリー・スコット監督

 エイリアンの世界観の素晴らしさは、そのまま監督リドリー・スコット評価にもつながっている事だと思う。それほど衝撃的で、かつその後のSF映画の作りそのものにも影響が大きかったと思われる。僕もまだ若かったのでかなり衝撃を受けたクチだが、むしろホラー映画として打ち震えたという感じかもしれない。けど、あんなに恐ろしい話と最初から知っていたら観なかったかもしれない。
 そうではあるけれど、さらに同じ監督が、どうもオリジナル・エイリアン関連の作品を作ったということであれば、やはり注目しない訳にはいかない。後のエイリアンは、ある程度はその作品の世界観を踏襲していたとはいえ、やはりオリジナルにある、正当な邪悪な意外性は、どこか薄れてしまったようにも感じる。むしろアクション色が強くなりすぎていき、サスペンスとしての恐怖が薄れてしまったように感じるのである。そこを元祖はどう考えていたのか。僕は当然のように知らなかったので、関連の作品を作ったのであれば期待せずにはおられないだろう。
 ということなんだが、正直言ってかなりコケた感じがしてしまったのは、たぶん多くのファンと一緒である。訳の分からなさというのは、内包されていてもいい場合もあるんだけど、この展開については必然がかなり薄くなっているように感じた。人間がパニックになっておかしな行動を取るというのなら分からないではないけれど、最初から人間の行動自体がおかしければ、ちょっと救いようがない。これは設定に誤りがあるということで、お話がその設定に最後まで振り回されてしまったような感もあった。物語はその収集のつかないまま暴走し、最後にはとんでもない結末に至るという感じだった。そういう意味では予測不可能な迷作と言えるのかもしれないが…。
 娯楽作づくりに定評のある監督に何があったのか。いや、これこそが娯楽作だ、というような興行の成功があるのだから、不満なファンの方に問題があるのかもしれないけれど、そうであっても、この残念な感じはどうしようもない。続編があるという話なので、この話をつなぐ秘密が隠されているという考え方も可能だけれど、人間がなぜ殺されなければならない運命であるのかという興味が、続編まで持続可能なのだろうか。結果的に未来の話において滅亡されるべき人間の本性なり出自が明かされるとして、単に凶暴な血をついでいるという話になってしまうと、現在の僕らの感覚からして、極めて当たり前すぎるようにも思えてならない。異星人に殺される以前に、勝手に滅亡してもおかしくないのだから。
 と散々に貶しておきながら言うのもなんだが、続編はそれなりに楽しみである。これで終わるなんてことは職人監督にはあってはならない愚行ではあるまいか。是非ともこの破綻の多いお話を収斂させてくれるように、願ってやまないのであった。
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