震災による東北支援は現在も続いている。まだまだ人的な支援が必要なことに変わりはないらしい。いくつか報告を聞くが、長期の支援については、これからだというケースも本当に多いのだという。九州は距離があるから既に人的支援については一段落したような感もちらほら見られるのだけれど、これは再度支援の声を高める必要もありそうである。
さて、そうなのだけれど、実は九州からの人材がなかなかてこずっているという話も聞いた。来てもらうのはありがたいが、なかなか即戦力になれないらしい。その最大の壁が「方言」なんだそうだ。被災地で介護などの支援を必要とする人の多くは、当たり前だが高齢者で、方言の強い人が多いのだという。九州の人は特に東北のなまりに苦戦する人が多いらしく、コミュニケーションが難しいのだそうだ。支援の設備の問題よりも何よりも、ある程度言葉に慣れるような事前の研修などが必要かもしれないということだった。
東北の人にとっても九州の方言は分からないものだろうし、これはお互いさまだということではあるのだけど、戦後の戦犯裁判で比較的量刑に差が出たのは、圧倒的に東北出身者が多かったのだという(もちろん重くなった)。通訳の者が東北弁をまったく理解できなかったのが原因だと見られている。命がかかっているので必死に弁明をするのだが、ほとんど聞き入れられることは無かったようだ。
こういう話を聞くと、改めて日本は広いということのようだ。ヨーロッパの人たちは数ヶ国語をすぐに覚えるという話はよく聞くが、実際にはフランス語やドイツ語などは九州弁と東北弁程度の違いであるという話も聞く。それぐらいの違いがあるということでもあるし、やはりそれなりに近いということでもあろう。
実を言うと僕は、本当に地元の言葉や職場の地域の言葉を正確に理解できていない。ご年配の人の話を聞いていると、所々は勘で言葉を埋め合わせていくより仕方が無い。世代によっては標準化が進んでいる現状もあるだろうが、それはそれでさびしいことだ。
廃れるものもあるが残るものは残る。難しい問題ではあるが、気持ちで言葉の壁を越えるより方法が無いのではなかろうか。少なくとも支援によく使われる単語については、ある程度取りまとめて事前勉強する方向で進めていく事が必要なのだろう。