カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

殺人は人間の本能を刺激する   殺人ゲームへの招待

2012-06-18 | 映画

殺人ゲームへの招待/ジョナサン・リン監督

 この映画は結末がひとつではない。訳が分からないだろうけど、上映された時は、上映館によって結末が本当に違ったらしい。DVDで観たのでその三つを連続して楽しめるお得版でもある訳だが、謎解きという点では、それぞれに破綻が無い。殺人には普通動機や手段がつながらなくては納得がいかない。そういうものがこのようにつながる妙技というものを楽しむ、コメディ映画なのである。
 ストーリーの元になっているのは「クルー」というボードゲームなのだという。原題もだからCIUEである。どういうゲームなのか分からないのだが、双六やモノポリーみたいなものなんだろうか。そうやって物語が展開していって、本当に結末につながりが明確になるものなのだろうか。
 基本的には元になっている設定次第で、脚本をいくらでも練ることができるという証明でもあるのだと思う。映画の結末が違うというのはあんがい聞く話で、監督と会社の確執だとか、いろいろ理由が話題になったりする。時期を越えて違う結末の同じ映画が配給されるという事件(?)も時には起こるようである。この映画のように、どの結末でもそれなりに気が効いているものができてしまうと、全部捨てがたく実行してみよう、ということになってしまったのかもしれない。
 しかしながら物語はひとつの邸宅(というかほとんど城)の中で起こるわけで、俳優たちの演技合戦という趣の展開になっている。映画を観ているというより、ほとんど舞台劇を観ているという感じが近い。たぶん舞台でも上演可能で、ひょっとするとそういう土台もある可能性はある。役者さんの演技も、コメディという側面もあるにせよ、舞台上のドタバタを特撮なしでやっている感じだ。殺人は頻発するがおどろおどろしさは微塵もなく、さまざまな仕掛けのギャグが地雷のように仕組まれているという感じだ。多少のまどろっこしさはあるものの、こなれてくると、このようなギャクというものを楽しむ文化というものも味わえて、二度おいしいという感じもする。日本の文化とは明らかに違う上品さと下品さがないまぜになっていて、僕らには分からないけど彼等は笑うところかも、というような場面も多かった。ブラックユーモアを楽しむというのは、禁断の頭の自由さを確かめるというところもある。そこのあたりは古い面も含めて、資料的な価値もありそうである。
 別段子供が観てもかまわないとは思うけれど、基本的には大人の事情がそれなりに分かる方が楽しめる映画である。普段はそのような複雑な世情の中で生活している大人たちにとって、殺してしまえばそれなりに解決してしまう問題というのは存在するものだ。もちろん実行する人はそんなにいないからいつまでも人々は苦しまなければならない訳だが、せめて空想の世界では何人殺そうが自由である。そして折角殺すのであれば、それなりに楽しい展開で死んでもらうことに越したことはない。要はそのようなブラックさというのは、あんがい人間の娯楽として非常にまっとうな感覚なのかもしれないのである。
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