カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

幸福な人生を手に入れる方法

2012-06-26 | 境界線

 幸福か幸福で無いかは個人的な主観で左右される問題だ。大金持ちがイコール幸福であるとは限らないというのは、想像してみれば誰にでもわかることだ。しかしながらある程度は、とはついつい考えてしまうことで、条件を整えると、幸福度は増すという信仰を持っている人も多いことだろう。確かに貧困は残酷だから話にならないということは言えそうだけれど、幸福度を上げる方法は別にありそうな気がしないではない。
 実は幸福感を味わいにくい性格というものが、ある。それはいったいどのような性格、いや、傾向にある人だろうか。一時先を読まずに考えてみてほしい。あんがい答えは簡単。
 ひとつは「完全主義者」といわれるような、生真面目でチャレンジ意欲の旺盛な人である。何故なら簡単に納得することができないうえに、必ずと言っていいほど結果にも満足が出来ない。いつも反省ばかりして気に悩み、たとえある程度の成功を収めているにもかかわらず、自分だけは幸福に浸れないということらしい。
 もうひとつはある程度平均以上に能力が高く、常に選択肢の多い人らしい。これはちょっと意外な気がしないではないが、例えば非常に頭のいい人だったら、有名大学はどこにでも入学可能だったとする。しかし一つの学校に入るより仕方がないから、難関であることに変わりの無いどこかに入ることになる。普通ならそれだけでも十分なはずだが、彼ら(彼女ら)は常にその選択が正しかったのか疑問がぬぐえないものなのだという。どの学校にであっても、ぎりぎりなんとか入学したような人は、その満足度は高く幸福だが、楽々入学できたような人は失望しているかもしれないのだ。これは就職などにも言えるそうで、あんがい能力の高い人ほど、早い段階でやめてしまったりするらしい。根性が無いとかいうことではなく、そのようにして結果的に社会的に躓いてしまうような人がいるらしいのである。
 実際はこのような人たちは、多くの人のためには役に立っている人も相当いそうである。完全主義者が諦めなかったから、多くのすばらしい技術は磨かれてきたのだし、ある程度の能力のある人が簡単に諦めてくれたせいで、次のポストに就ける人もいるのかもしれない。
 適当にいつもそこそこで満足できるような人が、結局は人生は徳であるような気がしないではない。それでいいのかどうかは別にすると、あんがいそれなりに幸福な人生は手に入るのではなかろうか。
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