カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

極めて実用性に特化した、と考えるべきか

2012-06-07 | HORROR

 興味が無い訳ではないが、それほど関心が無いという矛盾を感じるのは女性の靴かもしれない。セクシーだとか、可愛らしいとか思うこともないではないが、実のところ良く分からない。靴というのは実用的な面こそ大きな魅力だが、女性の靴はそこのところに疑念がある。もちろん、おしゃれであるとか美しく見せるというのも実用といえばそうであるから、実用で無いという判断は誤りかもしれないが、言っていることは何となく理解されるであろう。長靴とか安全靴や登山靴などは素直にかっこいいけれど、ハイヒールは正直言ってかなりヘンテコである。
 そう、ハイヒールに絞ってみよう。ハイヒールの実用性というのは実際に履いている姿を見ると理解はできる。足が長く見えるし、細く見える場合もあるかもしれない。爪先立って足が緊張している分、体全体が引き締まるということもあるのだろう。その姿勢だと、胸が前に出て曲線の強弱がはっきりする。女性らしい体形が現れやすい姿勢を作るということなのだろう。歩き方も独特なものになり、優雅でもあり危なっかしくもある。聞くところによると、自ら行動を縛るという表現が男性の優位性を際立たせ、さらにエロティックな欲望をかきたてることにもなるのだとか。つまり、いつでも捕まえられるし、か弱くも見えることらしい。ワオッ。
 そういうところは、正直言って分からないでは無いのである。カッコイイというのも納得はできる。しかし、と思うのは、やはりそういうモードになりきらないと、なかなかそのような視点を獲得できないというか、戸惑いの方が大きいというか。
 ただでさえ男性である僕にとっては、ナマの女性の圧力というのは抗しがたい力がある。普通に見てまだ子供であるはずの女子高生であっても、近づいてくると逃げ出したくなる場合がある。よっぽどのおばあさんで無い限り、安心していられるような人は少ない。その上に、何を言い出すか予測のつきにくい女性というのは多い。いつもビクついている訳でもないのだけれど、まだ恐ろしげなヤクザの兄さんの方が対応がはっきり出来て安心であるくらいだ(半分ウソ)。
 そういう存在の女性がさらにハイヒールを履くと、もうどうしていいか分からないということなのかもしれない。もちろん僕を意識的対象に靴を履いている訳ではあるまいが、見ていいものか無視すべきなのか、どうにも落ち着かないということだろうか。さらに脱いであるその小さき物体であっても、ある程度の存在感が残っている。うっかり触ることも許さない、不思議なオーラを放っているかのようだ。
 まあしかし、人にもよるというのもあるんだが、それでもその気合の入り方によっては、滑稽に見えるその姿にも、ある種の執念は感じられるもので、うっかり気を抜くのは許されないような気持ちにさせられるものである。本人の姿が見えない脱ぎ捨てられた靴であっても、その名残を残していて当然だろう。やはり安易に近づくべきではないのであろう。
 それにしても権力者の奥さんとか愛人とか、靴を1,000足(たくさんという意味で)持っていたとかいうようなゴシップを聞くと、素直に恐ろしいという気分になるものだ。もちろんムカデのような姿を想像してしまうからではないのであしからず。そのような情念が存在する中で、よくもまあ今まで何とか生きてこられたということに、感謝をささげるより無いのである。
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