オフト元日本代表監督の日本滞在記を見た。焦点として、ドーハの悲劇といわれる試合を経て日本はワールドカップへの出場を逃した後、結果的には生まれ変わったように強くなり、実際にはワールドカップの常連になりつつある。まだまだサッカー先進国といわれる国々とはそれなりに差があるものとは考えられはするが、国際的にはかなり上位に位置するまで上り詰めているように見える。そのような現在の日本サッカーの姿を見ると、ドーハは悲劇では無かったのではないか。
もちろんあの経験が活かされて勝負というものや、勝つためのサッカーのスタイルというものが変わったとは考えられる。なでしこジャパンは世界一になったが、佐々木監督はオフトサッカーの信奉者であり実践者だったということも明かされる。ドーハ以降如実にその果実は実っているのだ。
しかしオフトは安心していない。日本でさまざまな人物に会って自分の考え方を伝えようとする。移動中に偶然に目にした少年サッカーの連中に注文をつけたりしている。次の世代を絶え間なく育てる。栄光はそのようなことでしか続かない。絶え間無い連続でしか、強さは育たないのだ。
教えている内容は、日本ではいわば基本的なものというように思われるものばかりだ。三角形でプレスをかけ、攻撃と防御の両方をこなす。速いパス回しでチャンスを作り、空いたスペースを活用する。いまや少年サッカーの選手ですら理屈では誰でも理解していることのようだ。しかしオフトは日本ではそのような練習がなされていないと感じているようだった。そして基礎プレーが大切なのですね、と問われると怪訝な顔をして、実践に役立つ練習が必要だというのだ。日本のサッカー人が大切にしようとするものとの違いがあるわけではないのに、基礎であるとか実践であるとかの垣根を考えずに、常に試合のために練習をするということを考えているにすぎないようなのだ。
以前日本代表のバスケットボール選手と話をする機会があったのだが、バスケットの先進国から来るコーチが来て教えてくれるのは、実は戦術的なことはほとんど無いのだという話をしていた。テクニックや複雑な戦術は日本のコーチの方が研究をしていることが多いのだが、外国人監督は精神面や心構えしか教えてくれないと言っていた。いかに気持ちを強く持つべきなのだとかばかり言うので、正直煩わしいとさえ言っていた。
求めていることとやるべきことは違うのかもしれない。オフト自体は精神論をぶつような人物ではないようだったが、日本がやるべきことは、今でも見えているのかもしれない。日本が強くなるということは、本当はいまだに理解できていないかもしれないそのような当たり前のことの中に、隠されているということなのだろう。