飲んでいて禁煙の話になった。喫煙者は旗色の悪い世の中になったので、禁煙には苦労している人も多いことだろう。個人的にはせっかく始めたものを途中でやめるのはよくないと思うが、根性の無い人は止めざるを得ない。社会的な暴力に屈したものでなければ禁煙は上手くいかない。
ところで僕も、いつの間にかタバコをやめて11年くらいになるようだ。途中無理やり吸わされたことだとか、愛犬のローラちゃんが死んだときにあまりの悲しさに涙を止めたくて吸ったことがあったくらいで、連続喫煙というものはほぼ壊滅的にしなくなった。また吸いだしてもいいのかもしれないが、禁煙のつらさを考えるとめんどくさいのでもうこれからも吸わないだろうと思う。年齢的には吸った方がかえって健康や自殺防止にはよさそうだけれど、話が飛ぶのでここでは止めておこう。不健康であるのは健康を意識するよりは格段に健全なので、少しくらいリスクがあっても生きていくには仕方が無い。
前にも書いたかもしれないが、このように長い間煙草を吸っていないにもかかわらず、道行く人に火を貸してくれと言われることがたまにある。最近は喫煙所というか、そういうエリアにたむろして煙を吐いている集団があるけれど、特にそういう場所にいて声をかけられるということではない。話の都合でそのままついて行って近づくことは無いではないけれど、基本的には用は無くなっている。
ひとつは僕は散歩が趣味で、あちこちうろうろしているということがあるんだろうと思う。つれている犬を見てにこやかに近づいてきて、火を持ってませんか、という具合にいわれることが基本形のようだ。こういうケースは圧倒的に女の人が多くて、犬を連れてぼちぼち歩いているおじさんには火を借りやすいという気分になるのかもしれない。
仕事や販売などで知り合って、しばらく雑談などして、ところでと言われることもある。これも女性が多い。営業関係の女性は車で吸う人も多いのかもしれないが、ひょっとすると少し打ち解けるということで煙草を吸いたくなるのだろうか。残念ながら既にライターやマッチを持ち歩いてはいない。要望にこたえられない自分が無能なようで、大変に申し訳ないことである。
ところで最近はライターのつけにくいものが増えてしまって困っている。僕は障害者の支援を仕事にしているのだが、彼らが簡単に火をつけられないのである。旧式のチャッカマンなどを使って顔をやけどしたり、実害も出ているようだ。ブランド物のガスライターをなけなしのこずかいで買った人もいる。しかしおそらくすぐ壊すので、出費も馬鹿にならないだろう。人々の生活を不便にする規制というのは、社会的な正義の仮面を着た馬鹿げた圧力である。こんな変な国に住んでいることを、こういう時に情けなく思うのであった。