カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

もう少しサービスを落とすべき感

2012-03-25 | net & 社会

 最近めっきりツイッターではつぶやかなくなってしまった。携帯でツイッターを開くこともめっきりまれになってしまった。タイムライン自体を追わなくなったので、世間にも疎くなっているようにも思う。トレンドは時々見ることがあるけど、おおむね興味のあるような事は少ない。知らないものだけちょっと確かめて、フムフムというのはあるけれど、世間の興味と僕個人の興味の乖離が激しいということを確認するにすぎないようだ。僕は十分俗な人間だとは思うけど、世間はまた別の俗な欲求を持っているらしい。
 代わりにフェイスブックはよく見るようになっているようだけど、最近の改良でつぶやき自体が携帯では見にくくなってしまったのが残念に思う。誰彼が同じく誰彼に良いと思うのは勝手だけど、そういうものまで連動すると肝心の知り合いの発言まで閲覧するのに時間がかかってしょうがない。適当なところで諦めて、自身の関連のコメント関係以外のものは見る時間が少なくなってしまったように思う。こういうことが続くと、フェイスブックも足が遠のきかねないという感じさえする。
 おそらくそのように感じている人も多いらしく、またミクシイが復活しているという話も聞く。僕は仲間が少なすぎる上に、ミクシイ上で発言がなされる機会ももともとそんなに無かった所為で実感がわかないのだけれど、今のような感じでは、まんざら嘘ではないのかもしれない。
 過渡期というのはあるんだろうけど、どんどん使いにくくなっていくのは僕自身が変化に対応できにくい体質になっていることもあるんだろう。求めている面白さのベクトルが微妙に変化することで、自分の不満の方が先に立ってしまうのだろう。
 もちろんそのようなことがあるのは自然なことだから、離れたらまた別のことをしたらいいのだと思う。拘束力が無いからこそ、自ら面白さを作り出す世界こそ、SNS関連の最大の魅力なのだから。
コメント
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