西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

つれづれに ( 司馬遼太郎さんの世界 街道をゆく )

2010年08月31日 | 日本の歴史
司馬遼太郎さんの世界 街道をゆく
 
作家の司馬遼太郎(1923~1996)さんが亡くなってから14年になる・・・・・小説は「 坂の上の雲 」以外はほとんど読んでいないけれど随筆、司馬史観を述べた本( 対談集など )、紀行集「 街道をゆく 」 は度々読みかえしている。仕事で移動するJRの車中が多い・・・・・中でも「 街道をゆく 」 は好きで 知らない土地に行く時には司馬さんがその土地について書いていないか調べたりすることもある。
「 街道をゆく 」 は1~43巻まで単行本で出ているのでかなり読み応えがあるけれど、読んでいくと時間を忘れるくらいに面白い・・・・・司馬さんの歴史に対する博識と独特の史観はささいなこと( 普通なら見逃すような史跡など ) でも歴史へのロマンが湧いてきて自分でも訪ねてみたいという気分にさせてくれるから不思議だ・・・・・43巻で途切れているのがとても残念で 日本全国の紀行になるとよかったのにと思う。 
私はせっかく博多に住んでいるから・・・・ということで時間のある時に九州に関連した司馬さんの「 街道 」 を訪ねたいと思う。  
司馬さんが訪れた頃からずいぶん年月が経って変わっていることも多いだろうけれど、今年の秋から冬は休みの日には唐津、名護屋、平戸、壱岐の勝本、対馬の厳原などに行きたい・・・・・今は車を持っていないのでレンタカーで行くか、離島にはできればこまめに訪ねられる50cc バイクで行きたい 
(2010=平成22年8月30日記)

2014(平成26)年になっての感想・・・・・まだまだ実現しないことが多い、司馬さんの紀行に限らず歴史的な場所には小旅行という形で出かけて司馬さん的視点で観察したいと思う
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ブルーグラス 2 ( ハイロ・ブラウン )

2010年08月22日 | ブルーグラス音楽
Hylo Brown (1)
日本盤 東芝レコード ECR-8175 Hylo Brown / Sings Bluegrass Songs That Wonderful, Old Time Way ( Capitol 原盤 )

(1)Flower Blooming In The Wildwood (2)Blue Eyed Darling (3)When It's Lamplighting Time In The Valley (4)Will The Angels Play Their Harps For Me (5)The Old Home Town (6)Put My Little Shoes Away (7)I'll Be All Smiles Tonight (8)Darling Nellie Across The Sea (9)Love And Wealth (10)Why Do You Weep Dear Willow (11)Little Joe (12)Gathering Flowers From The Hillside


今の時代感覚からするととてもオシャレとはいえないんでしょうけど 僕はこのようなLPジャケットに弱くて(好きという意味)Goodn' Country~Bluegrass が入っているんだろうな-と想像してしまう。 私の Bluegrass Music の好みは割合に一定していて そんなに楽器演奏がハイテクニックを駆使したものでなくてもいいからボーカル(ハーモニーを含む)がいいもの・・・・・というのが好みです。 要はブルーグラス畑の人であっても Country Ballads や Country Waltz なんかを歌えそうな人-とかそんな雰囲気を持った人-の Bluegrass が好きということになります。 新しいグループをよく知らないので ブルーグラスの方も「 懐かしの~ 」になってしまいそうですが これからも少しずつ載せていこうと思います。

このレコードは1973(昭和48)年にアメリカ Capitol レコード原盤を使って出された日本盤カントリー&ブルーグラス シリーズの中の1枚です。 ハイロ・ブラウン(1922~2003年 ケンタッキー州 出身 )という比較的地味なブルーグラス歌手のLP・・・・・ギター、バンジョー、フラットマンドリン、フィドル( Country Style のバイオリン)、ウッドベースという標準編成のブルーグラスで演奏されるもの。今どきの Bluegrass Music と違って楽器のスーパーテクニックなどは全く出てきません・・・・・マンドリンはトレモロを多用していますし、フィドルは最近ではあまり聴かれなくて珍しくなったズ~タカ ズータカ 式の弾き方、バンジョーも凝った弾き方はしていませんが正統派で ハイロ・ブラウンのボーカルがなかなか良くて自分にとっては好きなタイプのブルーグラス・・・・もっとも、現代の Bluegrass music ファンからすると少しかったるいと感じられるかもわかりませんが。

解説を訳してみると・・・・・「 Hylo Brown について語るとき最も簡潔なのは彼が人々のために音楽を演っているということです。Hylo Brown 自身が父親や祖母、地域の人々から習い覚えた唄・・・そんな唄を聴きたい-という人がいれば 彼はいつでも何処でもみんなの前で歌ってくれるでしょう。ストーリー性をもった唄や幾世代にもわたって語り伝えられた唄を彼は歌うのです。
このアルバムに収められた唄の数々を聴いていると、ケンタッキーの山々やウェストバージニアの丘あるいはカンサスの平原やペンシルバニアの小さな町に暮らす人々の素晴しい顔の数々が瞼に浮かんできます・・・・・昔の人々の素晴しく、きりっとした顔の数々、多くの子供達の素直な顔が心に浮かぶのです。 こうした唄はその人達にとって個人的にも意味を持っているものなのです。 Hylo Brown が歌うのと同じように彼等はみんなその唄を知っているのです。彼とそのグループ(ハイロ・ブラウンのバンド The Timberliners と思います)は mandolin 、guitar 、banjo を使って high harmony singing という古いスタイルで歌ってくれます。

彼の子供時代、夏の日の夕暮れ時にポーチに腰掛けて故郷の人達がギターを弾いているのを聴いていたものだったそうです。その経験は彼にとって役に立つことになったのです。10才の時に父親が買ってくれた3ドルのギターですぐに学校や教会で演奏し始めました。16歳の時にはプロとしてスタートし、数え切れないくらいのラジオやステージに出演しました。

Hylo Brown は現在は(このオリジナルLPが出された年頃のこと)テネシー州ナッシュビルに居を構えて土曜の夜には Grand Ole Opry (テネシー州ナッシュビルで古くから開催されている Country Music Show のこと)に出演しています。1週間の間 アメリカ南部諸州を演奏旅行してテレビのショウや Martha White 小麦粉会社がスポンサーの番組に出演したりしています。
彼は多くの人達から偉大な pure country singer の一人であると思われていて、” Put My Little Shoes Away ” や ” Lamplighting Time In The Valley (谷間に灯ともし頃)” 、”Gathering Flowers From The Hillside ” のような唄を採りあげて歌うのを聴いてみた後では十分納得されるはずです。この3曲だけでなくアルバムにある全曲とも American heritage (アメリカの伝統、遺産 )の中の大きな位置を占めていますし、Hylo Brown は真に愛着をもって歌っているのです。」・・・・・・・・以上解説。

一聴すると カーターファミリーの古い曲を Bluegrass Style でやっている・・・・といった印象です。だから、Carter Family に近い音楽の世界が好きな人にはいいかも知れないです・・・・・・アルバムジャケットにその姿勢が出ているように思います。私自身はこうしたシンプルなブルーグラスが大好き

Hylo Brown の ”Hylo ”というのは彼の声の音域が広くて高音(high)から低音(low)までよく声が出て歌えることからきているそうで 一種のニックネームがそのまま歌手名になった-といえそうです。 尚、このレコード自体は単発でのCDにはなっていないと思いますが Capitol レコード時代のハイロ・ブラウンはドイツのベアファミリーレコード社から2枚組CDとして出されています。
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ブルーグラス 1 (フラット & スクラッグス)

2010年08月22日 | ブルーグラス音楽
Lester Flatt & Earl Scruggs (1)
米国盤 Hilltop Records JS-6093  Flatt & Scruggs  Foggy Mountain Breakdown

(1)Foggy Mountain Breakdown (Theme From Bonnie & Clyde) (2)Cora Is Gone (3)Roll In My Sweet Baby's Arms (4)Pike County Breakdown (5)Doin' My Time (6)I'll Be Going To Heaven Some Time (7)Why Don't You Tell Me So (8)Bouquet In Heaven (9)My Little Girl In Tennessee (10)No Mother Or Dad


私は Bluegrass Music も好きですがブログではめったに載せることがありません・・・・・現代の新しいグループに一体どんな Bluegrass Group があるかの知識も乏しくて。私の思い込みですが音楽的には ビル・モンローやフラット & スクラッグスの時代と大差なくてそれほど目新しい進歩はないのでは・・・・・という感じがしています。 Bluegrass を専門的にやっている人からは ” 絶対にそんなことはない- 今のブルーグラスをもっと沢山聴いてみろ ” と反論されるかもわかりませんが 楽器編成からするとどうしても自分的にはそうなるかなあ・・・・・ブルーグラスは聴くよりも演奏する方が楽しいんだと思う。
私のブログを見て下さっている人の中には Bluegrass Music て何(?)という方もいらっしゃるかも知れません・・・・・ジャケット写真のように電気楽器を全く使わない より純粋な形での Country Music の一種-と思っていれば当たらずとも遠からず・・・です。

さて、Bluegrass music player は楽器演奏の腕が達者なのは当たり前なので やはり一番大事なのはボーカルの上手さだと思うしそれに加えてビジュアル的な雰囲気も重要だと思っています(プロの演奏家の場合)・・・・・アマチュアならともかく 正式なショウの舞台ではステージ衣装くらいはキチンとしてもらいたい・・・・・これは Country musician にもいえることですけど。

どうしてもカントリーの方に重点があって(自分的には Banjo よりも Steel Guitar の音の方に魅力があったということ)ブルーグラスのレコードを買うまでの余裕がなかったので正統派ブルーグラス以外は敬遠気味でした。  私のブルーグラス音楽への入門は ” Lester Flatt & Earl Scruggs and The Foggy Mountain Boys ” だったので1回目にはどうしてもこのグループを載せたかった。 フラット&スクラッグスは日本盤レコードを数枚持っていたけれど 愛着のあるのはこのアメリカの廉価盤レコード・・・・・擬似ステレオになっていて決して音もよくない、でも欲しくても買えない頃に あるデパートのレコードセールスで出逢って500円位で買ったもので・・・・今の時代からするとジャケットもレトロな感じだけどその時はとても嬉しかったものです。 今は you tube で彼等の全盛時代の雄姿を見ることが出来ますが アール・スクラッグスの Banjo 演奏は現代からみても目を見張るものがあって ”これぞプロフェッショナル ”と納得させられます・・・・・それに 彼等には ”華(はな)” があります。この ”華(はな)”というのは上手く説明できないですが-おいそれとはどのグループでも持てるものではないと思います。

このジャケット写真に見られる時代が Flatt & Scruggs の華の時代だったと思います。
ギターが Lester Flatt 、バンジョーが Earl Scruggs、フラット・マンドリンに Curly Seckler、フィドル(カントリースタイルのバイオリン)に Paul Warren 、ドーブローギター兼コメディアン役に Uncle Josh (= Josh Graves )といった人達。 Dobro Guitar というのはギターの胴体に共鳴盤がついていて 横にして弦の上を金属バーを滑らせながら右手でピッキングするという電気を通さないスティールギター類似の楽器です-独特の哀愁を帯びた音色を出すことができて彼等のサウンドの特徴の一つでもありました。 ウッドベースはここで写っているのは Hylo Brown (ハイロ・ブラウン、地味だけど 後年自分の Bluegrass バンドを持って独立して活躍した人)、麦わら帽子の人は判りません。 
好きなことはこんなことまで覚えてしまうんですね・・・・・私だけではなくて日本中の Bluegrass 好きの人はみんなこんなものでした( smile )。(昔の?今も?)若者の多くがビートルズのメンバー名を知っているのと本質的には何ら変わらないです-ただ好きの対象が違うというだけですからね。

(1)Foggy Mountain Breakdown はギャング映画「俺達に明日はない」(1967=昭和42年公開)のテーマ音楽で、アール・スクラッグスのバンジョー早弾きで今では古典的名曲になっています、ボニーとクライド達ギャングが車で逃げる場面で効果的に使われていました。
(3)Roll In My Sweet Baby's Arms (恋人の腕に抱かれて)もアップテンポの爽快な古典的ブルーグラス曲。(2)Cora Is Gone 、(7)Why Don't You Tell Me So 、(9)My Little Girl In Tennessee 等ブルーグラスらしい曲にレスター・フラットのボーカルの上手さが光るもの、それにハングリーな時代の緊迫感が感じられるように思います。(6)I'll Be Coming To Heaven Some Time と(8)Bouquet In Heaven はセイクレッド・ソングだけどコーラスが素晴らしい。 彼等には古いアメリカ南部の土着性のようなものが感じられます。  彼等の Mercury レコード時代の28曲は安いCDにまとめられて色々出されているようなので簡単に知ることができると思います。ジャケット写真は全盛時代に当たる次の Columbia レコード時代のもの

レスター・フラット (1912~1979年 テネシー州 出身)
アール・スクラッグス(1924~現在 ノース・カロライナ州出身)

二人は1985(昭和60)年に Country Music Hall Of Fame に選ばれています。
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小紀行 ( 故郷のお城 富隈城跡 )

2010年08月21日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
故郷のお城 富隈城 跡
お盆の墓参りの帰りに海沿いの浜の市というところに寄って富隈城跡(とみくま)を見る。
 このお城は島津義久が舞鶴城(国分新城)に移る前に住んだ隠居の城で、こちらも小ぶりながら総石垣の味わい深い古城だ。
立て看板の説明によると・・・・・・「 富隈城は島津16代義久によって築かれた城で、平地にあり、小山を本丸代わりにした平山城です・・・・城の作りは天守閣がない館形式で城門も茅葺きであったということです。義久は文禄四年(1595)から慶長九年(1604)まであしかけ十年間ここに居住しました。
義久が富隈に来たのは、豊臣秀吉の島津征伐に敗れ、降伏した意思を表すため、鹿児島の城を弟 義弘の息子 家久に譲り、富隈に隠居の形をとったためだといわれます。義久は在城の間、朝鮮出兵、関が原の戦いなどが相次ぎ、日本は激動し、島津氏にとっても苦難の時代でした。 義弘が関が原で家康の本陣を突き、敵中突破してわずかの家臣と帰り着いて、兄と対面したのもこの富隈城でした。 朝鮮出兵にも富隈衆が多数参戦しました。また秀吉の勘気にふれ、文禄元年(1592)薩摩の坊津に流された近衛信輔(関白の位に就く、書道の達人で三みゃく院流の祖)も、文禄五年(1596)許されて帰京の途中この城に立ち寄り、歌会や能楽等を行なっています。」・・・・・・・とあります。

国道10号線に近く、小高い丘状になっていて頂上まで登ると前方に錦港湾と桜島が見渡せてなかなか景色のいい場所ですが 戦国時代という当時の状況を考えると どこからでも攻められそうな孤立した城という感じなので その後新しく築いた舞鶴城(国分新城)に移ったんでしょう・・・・・歴史を感じさせる古城だ
(2010=平成20年8月15日 記)
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つれづれに ( 大隅 国分寺跡 )

2010年08月19日 | つれづれに
大隅国分寺 跡
舞鶴城の近くにある大隅国 国分寺跡 を見に行った。広場に遺跡があり 古びた塔と2体の人物像が立ち、背の高い方の人物像は頭部が欠けてしまっている。。 
「 聖武天皇の天平年間(729~748)飢饉・疫病・反乱がおこり、国内の世情が不安定となりました。 聖武天皇は五穀豊穣・天災地変・争乱の災禍をなくし、仏典の宗教的統率力をもって国家の統治・平和をはかるために、天平13年(741)国分寺建立の詔(みことのり)をだされました。 国分寺は金光明四天王護国之寺(僧寺)と法華滅罪乃寺(尼寺)があり、当地は僧寺跡です。大隅国分寺の建立については、奈良時代末から平安時代初期の頃といわれています。 石造層塔・・・康治元年壬戌十一月六日(1142) ”護国・・・ ” と銘のある層塔で、大隅国分寺の再興を祈願して建立されたものと考えられます。」・・・・・と立て札に説明書きがある。 ささやかな遺跡ながら全体はいかにも古びており 歴史に興味を惹かれそうな趣きをもっている(8月14日 記)
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救急医療・・・想い出のABCD - 1

2010年08月17日 | 医療の仕事

想い出のABCD( 救急医療 )

正直のところ自分のブログに仕事のことは載せたくない、好きなことだけで通したいという思いがあります・・・・・でも、ひょっとしたことから忘れない想い出があって やっぱりこれだけは書いてすっきりさせておきたいということが沢山あって・・・・・そんなことを幾つか。 
なおABCDというのは救急医療現場で初めに対処する内容の順番を指しています。A(Airway=気道確保)、B(Breath=呼吸)、C(Circulation=循環系の確保)、D(Drug=薬使用)です

私の医師としてのスタートは救急医療だった。 T病院での最初の5年程はハードな毎日で、ありとあらゆる救急患者に出くわしました。「 やらないといつまでも出来ないぞ、集中して慎重にやれば出来るんだ 」 が口癖の脳外科医M先生からはホントに多くの事を学びました。 初めて独り立ちで当直をした時の緊張感は忘れられない・・・・・何の音も救急車のサイレンの音に聞こえて一睡もできなかった思い出。 いくつかの病院で経験した当直の夜に起こった忘れられない想い出がいくつか有ります。

(1)鹿児島市のT病院に勤めてまだ駆け出しの頃、8.6水害時に日豊本線竜ヶ水駅近くで起こった土石流に巻き込まれて運ばれてきたKさん。全身血の気が無く泥や草木が付着した見るも無惨なバラバラの左下腿、即切断と決まり 麻酔の話をした時 Kさんは私の目をジッと見て 「 先生このまま永久に目が覚めないってことないよね。」と云われた。「 大丈夫です 」 と答えたものの、輸血も無くAmputa(切断術)をして怖いほど不安だったあの時の私、緊張感でいっぱいだった。 幸い元気になられました。

(2)意識不明で入院中のSさんは意識回復した途端3階から飛び降り自殺をはかった。 運ばれて気管内挿管しようと頭を持った時まるで小石のつまった袋を握る感覚に思わずゾッとして身を引いた。頭骨が粉々に割れていたのです・・・・・無駄と解かっていてもABC( 救急医療の基本 )だけはやれ-と教えられていた私は無我夢中でした。今思うとそれは家族への配慮(やれるだけのことはやった)という意味があったのだと思っています。

(3)佐賀のI病院に勤めていた頃、雨の明け方バイク事故の大学生T君が運ばれてきました。ヘルメットをしたままでピクリともしない。救急隊の話では溝にはまり込んでいたという。ダメだとは思ったけれど、家族が来るまでは・・・・・と心肺蘇生を行ないました。 死亡診断に 「 頚椎骨折 」 と書いたものの、除去するのに苦労するほどの全面覆いのヘルメットで呼吸が出来なかったのではないか・・・・・と今でも思うのです。 駆けつけた母親が動かないT君に「 KちゃんKちゃん・・・」 と おそらく赤ん坊の頃から呼んでいたであろう名前を消え入りそうな声で何度も呼び続けていました・・・・・いたたまれない気持ちだった私。1週間ほどして母親から対応に感謝する旨の丁重な手紙を頂いた・・・・・。

(4)ある夜、近くの小児科の先生が1才くらいの喘息の幼児を運んでこられた。既に全身蒼白で無呼吸でした。一応挿管して酸素投与するも小児の血管確保は難しく、鎖骨下に針を刺して輸液ルートをとり 指3本で心マッサージをしました。とてもかわいい男の子で、全てが終わった時 「 僕ぅー! 長く生きられなかったね 」 とそっと声をかけました。何とも悲しい気持ちだったあの時。

(5)高速道路整備中に突っ込んできたトラックにはねられたS青年。搬送時には腹部が裂けて腸が露出し絶命していた・・・・・看護婦さんと2人で腸を押し込んで縫うだけのむなしい作業。交通事故の悲惨さを思い知らされる出来事でした。
あまりの外傷や骨折の多さに整形外科医としてやっていこうと決断したきっかけでもありました。

悲しい想い出が多かったのですが色々な事を学びました。
それぞれの場にあっても家族にも取り乱すような人は全くなく、古くからの日本人の死生観が生きている・・・・・と感じたのもこの頃でした。同時に、こうしたことの連続では自分も参ってしまう-と感じて 野球をしたり、お酒を飲んだり映画や音楽を楽しんだりして気分転換をはかる努力をしたのもこの頃でした。 今はその頃の元気はないけれど、体力の続く限りはこの終わりのない仕事を続けていこう
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小紀行 (故郷のお城 舞鶴城 [ 国分新城] )

2010年08月14日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
故郷のお城 舞鶴城 (国分新城)
お盆休みの8月13日(金)朝からレンタカーを借りて田舎(霧島市)に墓参りに行く・・・・博多に帰る前に母方の町(隼人)と父方の町(国分)の墓参りがここ数年のならいになった。父母、祖父母、元気だった叔父や叔母、早くに亡くなった従兄弟たちが眠っている。とても暑い日で 汗だくになって花をかえたり線香をあげたり・・・・お盆初日のせいか他のお参りの人はまだぽつぽつ。車なので同時に地元の旧跡を見て回った・・・・3~4才の頃に遊び回った国分の舞鶴城は石垣は変わらないのに城前を流れる小川や道路は整備されてきれいになっていた。沢山あった武家門の屋敷は今風の住宅やアパートに変身して小さな城下町としての風情は少なくなっている。自分が生まれた屋敷は人手に渡り 更地になって宅地販売の旗が立っていた・・・・・何だかとても淋しい気持ちだ。
この城は1604(慶長9)年に島津義久が築いたもの。九州制覇の夢が豊臣秀吉の九州征伐であっけなく潰え去り 降伏。許された後 恭順の意をあらわすために隠居して1611(慶長16)年に亡くなるまでの最晩年を過ごしたところ・・・・小ぶりだけど威厳のある城。
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お気に入りCD 6 Jimmie Rodgers

2010年08月14日 | ジミー・ロジャースを歌う
Jimmie Rodgers (6)
ヨーロッパ盤 PLSCD-650 Jimmie Rodgers  Country & Folk Roots 

(1)Whippin' That Old TB (2)Gambling Polka Dot Blues (3)I'm Free ( From The Chain Gang Now ) (4)Rock All Our Babies To Sleep (5)My Time Ain't Long (6)Mississippi Delta Blues (7)Somewhere Down Below The Mason Dixon Line (8)Years Ago (9)Old Pal Of My Heart (10)The Yodelling Ranger (11)Dreamin' With Tears In My Eyes (12)The Cowhand's Last Ride (13)Sweet Mama Hurry Home (14)Prairie Lullaby (15)In The Hills Of Tennessee (16)I've Only Loved Three Women (17)Mother, The Queen Of My Heart (18)Ninety-Nine Years Blues (19)Roll Along, Kentucky Moon (20)Old Love Letters

続き・・・・・・・
「1933(昭和8)年には映画や演奏ツアー出演の話をキャンセルしなければならないほどジミーの健康は悪化していました。レコードの人気の方は相変わらずでしたが、大恐慌()の影響は 熱心なジミーのファンにとって新しい新譜レコードを買う余裕すら困難な状況にしたのでした・・・それは即ジミーの経済的状況も悪化することを意味したのです。 経済的に豊かになって数年間のハイレベルの生活を送ってきたことでその生活を維持する必要があったのです。1933(昭和8)5月にジミーはビクターレコード社に更なるレコーディングをするためにニューヨークに赴きます、身体がとても弱っていたのでレコーディングの間スタジオ内に簡易寝台を置いて休養しなければなりませんでしたし、そのため12曲録音するのに2週間もかかるといった具合で、これが Jimmie Rodgers の最後のレコーディングになったのでした。

1933(昭和8)年5月26日レコーディングを終えると、ジミーの肺機能は停止し、ニューヨークの Taft Hotel で亡くなりました。早すぎる死でしたが、ジミーはカントリーミュージックの世界に多大な影響を残しました。ジミーの全盛期にはレコード各社が似たような歌手を見つけ出そうとしましたが・・・・・その結果として 明らかにジミー・ロジャースのスタイルに影響を受けた Ernest Tubb や Hank Snow、 Gene Autry、 Jimmie Davis といった新人達の出現につながったのでした。 Lefty Frizzell から Merle Haggard に到るジミー・ロジャースファンとしての新しい世代にはジミーの歌を歌ったアルバムを出したり、歌手としてもそうですがその歌にもジミー・ロジャースを彷彿させるような影響が見られます。1950年代にロカビリー歌手だった Jerry Lee Lewis でさえジミー・ロジャースが好きだ・・・と述べているくらいで その他数え切れないくらいの歌手がアルバムにジミーの歌を採り上げたりしています。

1961(昭和36)年に Country Music Hall Of Fame ()に選出されたのは誰もが認めることでした。しかし1986(昭和61)年にはロック界にも影響を及ぼした-ということで ” Forefather Of Rock'n' Roll ”として Rock'n' Roll Hall Of Fame にも選ばれています。
1985(昭和60)年には彼の ” Blue Yodel ( T For Texas )”が the Grammy Hall Of Fame に選出されました。
Collectables Records 社がロジャースのベスト作品の幾つかを出すことが出来るのは誇りです・・・この作品群を聴いて頂ければ いかにジミー・ロジャースが才能豊かだったかが理解できると思います。」・・・・・・・・以上解説。

ここに載せた写真はタワーレコードに620円で売っていた廉価盤CD ( Country & Folk Roots というシリーズになっているようで 他にウッディ・ガスリー、カーター・ファミリー、ハンク・ウィリアムスなどが並んでいました)・・・・これもオリジナル音源なので古色蒼然としています、全曲いっぺんに聴くのは途中でだれてしまいそうです。でも曲調がよくて たまに1~2曲ポツンと聴くとなかなかよいもので この中では(3)I'm Free ( From The Chain Gang Now ) という囚人の歌の弾き語り曲が秀逸・・・・ジミーの曲を歌った他の歌手でもあまり聴かれないように思います。 「 懐かしのカントリー&ウェスタン 」 では監獄経験のあるカントリー歌手 Lefty Frizzell や Johnny Cash 、Merle Haggard なんかが歌っていると真実味があるんでしょうけど・・・・・smile
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お気に入りCD 5 Jimmie Rodgers

2010年08月13日 | ジミー・ロジャースを歌う
Jimmie Rodgers (5)  
米国盤 Collectables Records COL-2700 Jimmie Rodgers  The Memorial Album

(1)Blue Yodel ( T for Texas ) (2)Away Out On The Mountain (3)Frankie And Johnny (4)The Brakeman's Blues-Yodeling The Blues Away (5)My Old Pal (6)Desert Blues (7)I'm Sorry We Met (8)Blue Yodel No. 3 ( Evening Sun Yodel ) (9)My Carolina Sunshine Girl (10)Sleep Baby Sleep (11)Blue Yodel No. 2 ( My Lovin' Gal, Lucille ) (12)Tuck Away My Lonesome Blues (13)Never No Mo' Blues (14)Daddy And Home (15)Waiting For A Train (16)Blue Yodel No, 4 ( California Blues ) (17)Dear Old Sunny South By The Sea (18)Blue Yodel No. 6 (19)Pistol Packin' Papa (20)Jimmie's Mean Mama Blues (21)You And My Old Guitar (22)Prairie Lullaby (23)Old Pal Of My Heart (24)My Little Lady


博多のあるCD屋さんで 新品なのに800円で出ていたもの。 ジャケットを見ただけで買ってしまったいわゆる ”ジャケット買い ”・・・・・なかなか素敵な色合いで気に入って何にも考えずに買った・・・・時々こうしたものがあります。 だからジャケットというのはとても大事だと思います、アルバムの顔だから 面白そうだな-とか聴いてみたい-と思わせるようなジャケットは大事(私のようにつられて買う人がいるから)。 たとえ聴いてみて失敗だったとしても許せる気がします。 このアルバム おそらく売れなくて値段も下げられたんでしょう・・・・・古~いカントリーに興味のある人が目に止めるくらいでしょうし、ジミー・ロジャースの歌 ( 今の時代に響くだけのほんとにいいメロディラインを持った歌が多いです ) が大好きな私はちょっと哀れさを感じてこのCDを買いました。ジミーの歌がオリジナルの形で入っているので古色蒼然としていますが、ギターの弾き語りを覚えたり 新しいスタイルにアレンジする音源として利用するなど・・・・でいくらでも現代に甦らせることが出来そうです。  Mark Marymont という人が書いた解説があってジミー・ロジャースの Short Story のようになっているので補足を加えながら2回に分けて訳して載せてみようと思います・・・・・

「 カントリー・ミュージック界で数多の優れた人物の中で ” King Of Country Music ” の称号に値する人物といったらジミー・ロジャースをおいて他にいないでしょう。
Jimmie Rodgers は1897( 明治30)年9月8日ミシシッピー州メリディアンに生まれました。父親は鉄道員で時には農夫、母親は彼が6歳の時に死んだので父親と親戚たちの手で育てられたのでした。ジミーは一日の大半の時間をメリディアンの町の街頭で過ごし、ブルースなどその地区の音楽に熱中したのでした・・・・・もっとも、ブルースの影響は微々たるものだと主張する人もいますが・・・・とにかくその町の生活の一部ともいえたボードヴィル(街頭、辻音楽士とでもいうんでしょうか)やダンスホール音楽の渦中で育ったということです。
12才の時にはタレントショウに出て人前で ”Steamboat Bill ” という曲を歌ったといいます。コンテストは上出来でしたが父親には認めてもらえず 逆にもっと鉄道の仕事に地道に励むよう諭されたことで ジミーは忠告に従って数年間は鉄道の仕事に専念して国中を渡り歩く生活をしたのでした。その時の経験が後に ”The Singing Brakeman ( 歌う制動手 ) ” と呼ばれる所以になっているのです。
その間最初の短い結婚生活で女児をひとりもうけました。1920年までには牧師の娘だった Carrie と再婚しています。1924( 大正13 )年に結核と診断されてからは鉄道の仕事をやめてしまい、1927( 昭和2 )年2人は健康のためにノースカロライナ州 Asheville に移り住み そこでジミーはミュージシャンとして働き始めました。The Jimmie Rodgers Entertainers と名付けて WWNC ラジオ局に出演し、ありとあらゆる音楽を演奏したのでした。
1927( 昭和2 )年の夏 Victor レコードのタレントスカウト Ralph Peer がこの地区を通りかかった際にジミーとそのグループはテネシー州 Bristol まで会いに行ったのでした。グループとして発表することについて口論となりジミー以外の3人が The Teneva Ramblers として宣言したためジミーはソロとしてオーディションを受けたのでした。 ジミーのユニークなヨーデルに興味を持ったラルフ・ピアは 古い戦争物のバラッド ”The Soldier's Sweetheart ” ともう1曲 ”Sleep, Baby, Sleep ” を録音させています。この2曲は1927( 昭和2 )年秋にビクターレコードからカップリングのシングル盤として発売され、売れ行きがよかったためさらなるレコーディングのきっかけになったのでした。
ジミーはニュージャージー州 Camden のビクター本社に赴き、自作の ”T For Texas ” を録音して ”Blue Yodel ” の名前で発売します・・・・その曲はすぐさま反響を呼び 初のカントリー百万枚セールのひとつになったのでした。1年もたたないうちに無名の歌手が当時としては破格の 1ヶ月に2000ドルものレコードを売り上げるビクター社のビッグスターになったのです。  ジミーは6年間に110曲録音しましたが、多くの曲がヒットになりました・・・・”Way Out On The Mountain ”、”Blue Yodel No. 4 ”、”Waiting For A Train ”、”A Drunkard's Child ” といったベストセラーは何度も何度も再発売されましたが、ほとんどの曲がジミーの自作か義理の妹 Elsie McWilliams との共作でした。 

ジミーとプロデューサーのラルフ・ピアはしばしばバック音楽に色々と実験的な試みをしています、バックシンガーや演奏に The Carter Family を使ったり Hawaian Steel Guitar を入れたり、ルイ・アームストロングのようなジャズバンドさえ使ったことがあります。どんな試みをしても結果的にレコードは よく売れたのでした。
ジミーは健康の許す限りは演奏ツアーに出ましたし 持病である結核( 当時は死の病。Tuberculos を略してT.B といった )を ”T.B Blues ”という歌にして自嘲気味に受け入れてもいました。 演奏旅行に出る他ラジオにも出演、ハリウッドからの要請にも応えて15分の短い映画 ”The Singing Brakeman ” にも出演しています・・・・・次回に続く  
(2010年7月12日 記事)
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カウボーイ ソング 29 [ ミリー&ドリー・グッド ]

2010年08月12日 | カウボーイ・ソング
The Girls Of The Golden West
米国盤 Old Homestead Records OCHS-143 Millie and Dolly Good  ”Songs Of The West”

(1)My Sweet Kitty Wells (2)Silvery Moon On The Golden Gate (3)Put My Little Shoes Away (4)Story Of Sleepy Hollow Bill (5)When Its Round-up Time In Texas (6)The Dying Cowboy On The Prairie (7)When The Bees Are In The Hive (8)Old Pal Of Yesterday (9)The Oregon Trail (10)Ragtime Cowboy Joe (11)You Get A Line And I'll Get A Pole (12)The Tramps Mother (13)Faded Love Letters Of Mine (14)Red Sails In The Sunset (15)Only One Step More (16)Roamin' In The Gloamin' (17)By The Grave Of Nobodys Darling (18)Lonesome Valley Sally


カウボーイソングやアメリカ西部の歌という時、私達日本人(今はアメリカの人達だってそうかも知れません)は大抵はロマンチックなイメージを持ちます・・・・もう今は失われてしまった多くの事柄、映画の世界でしか再現されないロマンの世界みたいなものです。ちょっと考えただけでも 牛を駆り集める round-up にしろ 遠方に移動させる cattle drive にしろ今は車を使ってやるでしょうし、現実の西部には合理性だけを追求した動きが主体になってそこには 想い描くようなロマンなんて概念は入り込む余地はないことでしょう。それでも歌の世界にだけは残っていたり あるいは残して欲しい-という思いがあります・・・・・それがイメージとしての Cowboy Song 、Songs Of The West なんだと思います。

ここに採り上げたミリー & ドリー・グッドの姉妹は1930~50年代を中心に活躍したデュオグループでタイトル通り西部の歌を絶妙のコーラスでロマンチックに聴かせてくれます。厳密には Cowboy Song ではなくて ”西部の歌 ”ですが簡単なギターの伴奏だけでゆったりと唄うスローな曲がほとんどです、のんびりした時代だったからそれでも輝いたんだ-といえるんでしょう・・・・・セカセカと忙しい現代向きではないかも知れません-が採りあげておきたくて載せました。
オハイオ州の Rio Grande College の Ivan M. Tribe という人が書いた解説から姉妹の概略を知ることが出来るので かなり長くて専門的なことが書かれていますが省略せずに補足を加えたり整理したりしながらそのまま訳して載せることにします・・・・・・・

「 1930年代(昭和5~14年)はさまざまなデュエットチームが Country Music ファンの注目を惹いた時代でした。 Karl & Harty、 Mac & Bob 、Anglin 兄弟(ジョニー&ジャックのこと)、 Bolick 兄弟(=ブルースカイボーイズとして有名)、 Callahan Brothers、Delmore Brothers などの他 Lulu belle & Scotty のような夫婦のデュエットなども1940年代までは覇を競っていました。 しかし、女性だけのデュエットチーム内ではだいぶ開きがありました。
初期の頃は Mildred & Dorothy Good 姉妹は テキサス州 Muleshore 地方の華やかな音楽シーンからやって来たんだろう-と思われていました。最近の研究によるとそうした話はその時代の歌手達を Golden West という語と結びつけてイメージをふくらませるために作られた話である-と判ってきました・・・・・例えば original Texas Saddle Pal は実際はウェストバージニア州 Perkersburg 出身ですし 、The Gold Star Ranger はオハイオ州 Blue Creek 、Arizona Rusty はケンタッキー州 Mckee 出身、 the Apache Arizona Indian はオハイオ州 Peebles 出身・・・・・といった具合に直接西部とは関係のないところです。それは当時 musical western films ( Singing Cowboy 達による西部劇のことと思われます) が人気だったので 前記のような演奏家達の音楽とロマンチックでエキゾチックなアメリカ西部のイメージを結びつけて、hillbilly のようなマイナスイメージの言葉を幾分でもやわらげようという作用に働いたのは疑いの余地がないことでした。

Mildred Fern Good (1913生まれ) と Dorothy Laverne Good (1915生まれ) の Good 姉妹は実際はイリノイ州 Mt.Carmel 出身で 一家の先祖はドイツ系で、もとの綴りは Goad でしたが 子孫がアメリカ風に Good と呼び改めたのでした。The Girls of the Golden West は St. Louis でラジオの仕事で舞台を踏みました。

1933年初め :シカゴの WLS 局の National Barn Dance ()に移籍。
1933(昭和8)年7月28日 : Windy City で初録音してレコードデビューしています。この頃までには Dolly がリードボーカルとギターを担当し Millie がハーモニーをつけて歌う形に定着。レパートリーとしては比較的新しく作られた西部調の歌が中心的で たいていはヨーデルを入れたものでした。
1934,35年 :レコーディングを行なう。    シカゴでの4年の後
1937(昭和12)年 :オハイオ州シンシナチの WSW 局で John Lair が主催する Renfro Valley Barn Dance に移籍。 1939(昭和14)年に John Liar がケンタッキー州の Rockcastle County へ去った後も二人はシンシナチに留まって Boon County Jamboree や Midwestern Hayride といったショウのスターとして活躍。 Millie の夫 Bill McCluskey がショウのマネージャーで Millie が1940年代に育児のため一時期休んだ時も Dolly は WSW に出演し続けました。
1938(昭和13)年 :2人が復帰すると、最後のレコーディングをしたのでした。

1930~1940年代は Millie & Dolly は中西部から南部にかけて沢山の演奏活動を行なっています。2人のハーモニーとヨーデル、西部調の歌は大好評でした。1948(昭和23)年には私(筆者)の故郷オハイオ州 Athens にも来て公演しているんですね・・・・私は当時8才ですから The Girl Of The Golden West を見ることが出来なくてとても残念です。かつて2人のライブショウやラジオ出演、78回転のSPレコードを聴いた人達同様に2人の公演を聴き逃した人達にとって幸いなことに、この再発LPレコードによって2人の音楽に接することが出来るのです。
このアルバムの選曲は代表的なオリジナル録音から成っていますが、 ” Sweet Kitty Wells ” だけが1967(昭和42)年に Bluebonnet レコード社に録音した曲になっています。因みにこの曲には Bradley Kincaid ()が加わっています。The Kentucky Mountain Boy (= Bradley Kincaid )はコレクター向けに Fort Worth に本拠を置くレーベルから数枚のアルバムを 出していました。The Girls Of The Golden West は1949(昭和24)年に演奏活動に幕を下ろしましたが、1950年代までは時々演奏し続けました。Dolly はソロとして幾つかのアルバムを、1963(昭和38)年には2人のデュオとして6枚のアルバムを Bluebonnet レコード社から出しています。
Dolly は1967(昭和42)年11月12日に他界し、シンシナチの北オハイオ州 Hamilton に埋葬されました。 Millie と Bill McCluskey 夫妻は長い間 WSW で活躍し、Queen City に住んでいます(Millie は1997年に他界)。」・・・・・・・・以上が解説訳。  

(あ~疲れたな、詳しいのはいいけど長い訳は疲れる・・・・味気ない直訳でなくて読みやすい日本語にかみ砕いて表現する作業はけっこうな頭の体操になりそう。このレコードを聴きながら訳していてもあっという間に18曲が終わってしまう感じだ・・・・drinkin' bourbon time )

ところで、Old Homestead Records はアメリカの ”草の根のカントリー ” とでもいえるレコードを出し続けたマイナーレコード会社で、メジャーレコード会社がほとんど見向きもしなくなった Old & Rural America の音を提供し続けた殊勝な志を持ったレコード会社でした・・・・ 今でも存在していて、方針は全く変わっていないようです・・・・・こんなところに恐らく Country Music の奥深さが残っているんでしょう。そこからこの Good 姉妹の古い音源の復刻盤が出されたのを知って・・・・・”西部の唄”を歌う姉妹ということで興味を持って買ってみたものです。ちょうど同社がLPからCDに転換する頃で在庫レコード処分のバーゲンセールしていて3ドルで買ったものです。 古~い音源ですがロマンチックにアメリカ西部を歌う2人のハーモニーは魅力があります・・・・・・今では同社のCDになっていると思いますが・・・・?? 
興味があればイギリスの非営利レコード会社 British Archive Of Country Music (略して B.A.C.M) から2枚のCDが出されています(私は未見)
CD D-009 Girls Of The Golden West/ Home Sweet Home In Texas
CD D-074 Girls Of The Golden West/ Roll Along Prairie Moon
(2010=平成22年6月18日の記事)
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