植えもしないのにどっかから種が飛んできて
Time Changes Everything(時ふれば)
最近仕事の上で感じること
鹿児島では20年以上に渡ってひとつの病院で整形外科医として働いている。長く仕事していると色々な思い出が自ずとできてくる。
(1)大学病院とその関連病院みたいにドクターがコロコロ変わってしまうのは患者さんにとってはあまり有難いことではないようだ。整形外科の手術を受けた患者さんが術後のリハビリのために紹介入院してくることがしばしばある・・・普通手術を受けたらずっとその後はそこでフォローしてゆくのが原則なのに " 先生のところでしたい " という人が多い。理由を聞くと " だって手術してくれた先生は何処かに行ってしまって居ないんだもん " と言われる。つまりは手術のやりっぱなしで終わってしまってあとの経過がおざなりになってしまうてこと・・・その気持ちは解かります。いつ行ってもそこに居てくれる先生がいいという心理・・・解らないでもないです。自分では気づかないけれどいつ行ってもそこに居るということ自体役立っているんだなと感じさせてくれる一言です。
(2)病院のスタッフの移り変わり・・・100床くらいの病院だと小回りが効いてスタッフ間の連絡などもスムーズで家族的な雰囲気があって自分ではいいと思っている。それでも長い間には変遷があって いつの間にか自分が院内で最年長になってしまった。 看護婦さんはじめリハビリ、レントゲン技師さんなどパラメディカルの人達の協力がないとスムーズにいかない仕事だから彼らにはいつも感謝している。古くからいる看護婦さんが色々な事情から辞めていくのはやはり寂しいものでそれぞれに想い出がありいつまでも覚えている。
(3)患者さんにも名物といわれる人がいつも何人かいる・・・不思議とどこの病院にもそう人はいるもので自分も何人か抱えている。中には ” 先生がいるから来る ” なんていうよく訳が分からない人もいてあきれるやら苦笑するやらだ。 でもそんな人に限って何とも憎めないところがあって・・・不思議。 それでも名物だった人が(亡くなったりして)いつのまにか一人、二人と来なくなるとそれはそれで淋しいものだけどまたその予備軍が現れて・・・といった具合に繰り返して続いていく。
(4)気になることも。若いのに病院からなかなか離れられない人がいること・・・どこか悪いから来ているのはわかるけれど働けそうな人が笑いながら受診に来る。しかも何年も・・・中には生活保護を受けている人もいる。事情は本人でないと解らないけれど・・・働けないてホントかな?と勘ぐりたくなる人も少なくない。一生病院が義務教育の学校みたいに通うつもりなのかなあと気になる。救急医療でスタートしてきた私のような現場医者は生死をたくさん見てきているので何かもったいないような人生を送っている人に思えて気がかり・・・人生色々だから仕方がないのかな?