西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

ハンク・ウィリアムズ関連

2009年12月23日 | つれづれに
年の瀬がせまってきて また1975(昭和50)年出版の 「ハンク・ウィリアムズ物語」 (ロジャー・ウィリアムズ著 南川貞治・望月雄二 訳・・・音楽之友社 刊) を読み始めた。これで3回目で、仕事で博多-鹿児島 間を JR で行き来する時に主に読んでいる。
日本の歴史では圧倒的に人気があるのは戦国時代と幕末なんだそうです、理由をたずねると ”個性的な人物、魅力的な人物がたくさん出てくるから ”・・・・・ということらしいです。 カントリー・ミュージックも(自分にとっては)歴史としてみた場合やはりこの頃のものが一番面白い・・・・・つまり Three HANK および彼等と同世代の歌手たちの時代 ハンク・ウィリアムズにハンク・スノウ、ハンク・トンプソン そしてそれに追随する多くの後進が輩出した時代・・・・・混沌として躍動する時代-といえるかと思います。  楽器、演奏技術、録音技術などどれをとっても現代からすれば劣っていて雲泥の差がある・・・・・といえるんでしょうが、ただ一言でいえば感性 (時代の風がかもしだす風味-とでも云うんでしょうか) に差があるような気がしています。 亡くなったジョニー・キャッシュの駆け出しの頃の Sun Records 時代の音を功成り名を遂げた後年のキャッシュが同じ歌を歌っても同じ風味は出せないし 感じが違います・・・・・同一人でも時代によって違う-つまりこんなことなんだと思います。

さて この本は若い頃に買って その時は興味のあるところだけ拾い読みする程度にして”積ん読”状態でした。その後2回読了して色々なことが見えてきて より深くハンクの曲を聴くきっかけになったようにも思います。ハンク・ウィリアムズの日本語版伝記なのでカントリー・ミュージックファンには是非読んで欲しいな-と思いますが 絶版になって久しく、版も重ねた形跡がないのでぜひ再発売してもらいたいです。
ところで、最近ハンクの未発表録音盤が見つかってアメリカでCD化されて発売になっているようです・・・・・20~30年前くらいだったら大きな話題になって即日本盤でも発売に・・・・なんてことになったんでしょうが 今はちょっと無理なんでしょうか?? 早く聴きたい気もしますが ほとぼりが冷めてすこし安くなってからでもいいか・・・・・と考えているところ。僕と同世代のハンク・ウィリアムス ジュニアはこの発見盤を聴いてどう思ったんでしょうか・・・そんなところが知りたい気がします。  こうしたサプライズがあるとひょっとして Hank Williams が ” Blue yodeler ” Jimmie Rodgers の曲を歌ったものがあるんじゃなかろうか・・・・将来発見されないだろうか・・・・とか思ったりします。

もう一つついでに・・・・・Hank Williams 関連のアメリカのホームページを見ていたら この本 「ハンク・ウィリアムズ物語」 にも出てくる ”Big” Bill Lister (1923年~テキサス州出身) という元カントリー歌手が先日(2009年)12月3日に亡くなったという記事が出ていました。 ハンクと演奏旅行をともにし、ハンクのショウの opening act をつとめたという超個派のカントリー歌手で、ハンク作の 「 There's a Tear in My Beer 」 という曲を歌ったことでも知られていたようです・・・・・私は随分昔 往年の Capitol Records 専属のカントリー歌手を集めて出された「 WANTED 」という日本盤LPレコード で初めて2曲ほど聴いたことがありますが 「 There's a Tear~」 はありませんでした。
ビル・リスターのことは Yahoo Japan で Big Bill Lister と入れて検索すると彼自身のホームページが載っていて知ることができますので興味ある方は見られたらよいと思います ( 私のパソコン技術不足でここに貼ることが出来ませんので )。 超マニアックですがハンク・ウィリアムスに興味がある人にとってはきっと面白いかもしれません。
そこの記事によると 彼が2004(平成16)年に「 Remembering・・・・Hank Williams 」 という22曲入りのCDを出している( Neon Nightmare Records なるきいたこともないマイナーレーベル名 )-とあってジャケット写真と曲名も載っています・・・・文を見ていくと live tribute album to Hank Williams となっています。ライブレコーディング なんでしょうかね・・・・? 生前のハンクと親しかった人が出したものだけに聴いてみたいものだなあ・・・・・と思いますが個人的に mail order が必要そうでちょっと無理かなあ・・・私も Tower Records あたりで簡単に取り寄せられないものかなあ-と思案中。 
とにかく伝説的なハンク・ウィリアムスと時代を共有し、その時代を語れる人たちは確実に少なくなっていきます・・・・・この本を読んでいてそう思いました。写真は後日に
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つれづれに ( 「駅馬車」が150円 ・・・・ああ )

2009年12月14日 | つれづれに
趣味の西部劇は時間がある時はよく見る。名作から名もない作品まで・・・・・幸い版権の切れた古い作品の DVD は500円位の安価なものがたくさん出ていて、それも Book Off のような中古店に行くとさらに半額ほどになっているので求め易くなっていて・・・・・ほんとにいい時代だなと思う。

先日も 「 駅馬車 」 と 「 硝煙のカンサス 」 が各150円で売っていたので買いましたが、「 えっ、0がひとつ足りないんじゃないの?」 と思ったくらいです。 「 駅馬車 」は既に持っているのに こんなに安くて-ジャケットが違って-日本語訳者も違う-となるとやっぱりまた買ってしまいます・・・・・画質も遜色がなかったし。こんなことって「 真昼の決闘 」や「 シェーン 」「 荒野の決闘 」などの名作にもそっくりあてはまります・・・・・同じものばかりそんなに集めてどうするんですか・・・・といわれても、ウーン ジャケットが違ったり、訳の字幕が微妙に違ったりしていいんだよなあ・・・・・200円くらいだとつい買ってしまうんだ-とぐらいしか言えません。 

過日 映画好きの知り合いのT君に話をしたら 「 駅馬車が150円だなんて・・・・・映画の価値が落ちますよ 」と言っていた、「 僕も同感なんだけども・・・・・白黒映画というだけで見ないという人がいるくらいだから仕方ないよ。でも昔から名作と言われているのは見なくちゃ損すると思うなあ 」・・・・・と話したことでした。 
「 安いから価値が・・・・・」じゃなくて名作映画がそのくらいの値段で見られるんだから沢山の人に見てもらえる-と考えたほうがずっといいのではないかと思います・・・・・今や「 シェーン 」も「 真昼の決闘 」も500円くらいの値段で何回でも見れるんだし 西部劇の楽しさは見ないといつまでも解からないから。

亡くなられた映画評論家の淀川長冶さんが昔アメリカの映画会社の重役さんに会った時 「 Yodogawa san、やがては映画をポケットに入れて持ち歩くような時代が来ますよ!」・・・・・と言われてびっくりした と何かの本で読んだことがありますが まさにそんなふうになりました・・・・・それでも出来ないことがあります。 映画館で見ることが出来ないということです、西部劇は大きな画面で見ないと迫力に欠けるし、アメリカ西部の風景はテレビには入り切らない・・・・・ということ、昔の全盛時代の作品を映画館で見たいという人はけっこういらっしゃると思いますが・・・・・いくら便利な時代になっても出来ないことが沢山ありますね。

それはさておき どんなに駄作と思われるものでも作られた年代状況、世相、風潮を考えたり、監督や俳優などを調べたりしていると結構楽しむことができる と思っています。 例えばジョン・ウェインの下積み時代の一連の安直な西部劇・・・・・「 駅馬車 」以前の作品などはほんとにちゃちでお粗末なものが多いですが、そんな中にも取り得があってユーモア、しゃれたセリフ、西部気質、西部の事象などを知ることが出来るので基礎的な知識を沢山持っていると何倍にも面白く見ることができます。  だから本当はその基礎知識の元になる ”西部劇に関する本 ” や ”アメリカ西部を知る本 ” が沢山あるといいんでしょうけど・・・・・今後に期待。(平成21年5月19日の記事)    シェーンpART2の前に
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西部劇 -21- (シェーン)

2009年12月07日 | 西部劇映画
シェーン ( Shane ) 
監督: ジョージ・スティーブンス  1953(昭和28)年 パラマウント映画製作  同年 日本公開


西部劇映画のベスト10に必ず入るほどの古典的名作で、昔から数え切れないほどの人達にその素晴らしさが語り継がれてきている・・・・・今年最後の連休の日曜日(11/22)は雨模様の寒い一日で久し振りにDVDで「シェーン」を見た。本当に何度見てもその都度感動を覚える作品だ。 語り尽くされている作品なので簡単なあらすじの後 一西部劇ファンとして僕自身の 「見どころ-発見-驚いたこと-疑問に思うところ」 などを述べてみます・・・・・ジョージ・スティーブンス (1904~1975年 カリフォルニア州出身)という監督は西部劇専門の人ではないのに 「シェーン」 には古き良き西部劇のエッセンスが溢れています。  まず写真のDVD解説を元にストーリーを・・・・・・・

<物語> フロンティア時代末期のワイオミング。入植者のジョー・スターレット(ヴァン・へフリン)一家にシェーン(アラン・ラッド)と名乗る流れ者が通りかかる。ここでは開拓農業を行なう入植者たちに対し、放牧用地の独占を狙う牧畜業者ライカー兄弟一党の嫌がらせが続いていた。仲間が入植地を追われる中、ジョーはシェーンに滞在を勧める。ジョーの息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)はシェーンを凄腕のガンマンと思い込み、強く慕うようになっていた。そして ジョーの妻マリアン(ジーン・アーサー)とシェーンはいつしか心通わせる思いを感じはじめていた。
シェーンの出現と開拓農民達の抵抗に業を煮やしたライカーは殺し屋ウィルソン(ジャック・パランス)を雇い 銃による解決を選ぶのだった。シャイアンからやって来た不気味な殺し屋ウィルソンは入植者のトーリー(イライシャ・クック・ジュニア)をけしかけて対決に持ち込み 虫けらのように撃ち殺す・・・・・。やがてライカーの魔手は、ジョーにも向けられる。その時シェーンは、一度は捨てた銃を自らとった! そして・・・・・・(以上解説)。

と続くわけですが、全編をジョーイ少年の目線を通じて見るという特異な形式をとっているために新鮮な感じを受けるのだ・・・・・と物の本にありましたが まさにそんな感じを受けます。
さてここからは私自身の思っていること・・・・・・

(1)時代はいつ頃?・・・・・原作者ジャック・シェーファーの小説では1889(明治22)年となっているそうですが、映画の中では明確な時代を表すところは出てきません。ワイオミングは1890(明治23)年に44番目の州に昇格しているので物語はそれ以前のワイオミング準州時代ということになります。

(2)当時の状況は?・・・・・ワイオミング州には「ジョンソン郡の戦い」という入植農民 対 牧畜業者が対立して一大戦争が起こったという暗い歴史があって この映画「シェーン」はその縮図を元にしている・・・・・といっていいかも知れません。 映画の冒頭数分間で ”シェーンとスターレット一家の出会い” の場面での会話とその最中に訪れてくる牧場主ライカー一党との緊迫したやりとりを見るだけで ”当時の状況” を読み取ることが出来る・・・・・ところなどはスティーブンス監督の手腕かなーと感じます。

(3)音楽について・・・・・テーマ音楽「遙かなる山の呼び声」は冒頭シェーンが馬に乗って山を下りてゆくところから聴かれるゆったりとした佳曲。
シェーンが立ち寄ったスターレット家の窓際で妻マリアンが ”I was seen nearly home~” と口ずさんでいるのはある映画音楽の本によると「Aunt Dinah's Quilting Party (ダイナ伯母さんのパーティー)」という歌で アメリカ南部で親しまれた歌ということで・・・・・こんなところからスターレット一家が南部からの移住者だろうと予想されます。尚この曲は Country Music 界では主にブルーグラス・ミュージック畑のグループで歌われることが多いものです。  雨の夜 ライカー一党にどう対処するかを話し合う入植者達の寄り合いの場面でハーモニカ好きの北部出身の農民が吹く曲がフォスターの名曲「Beautiful Dreamer」。 南北戦争で南軍に参加したという農民の一人トーレーは皆に ”ストンウォール”と呼ばれていて彼がライカー一家と対決も辞さないと意気がるとハーモ二カ氏が勢いよく南軍軍歌「ディキシー」を吹き出して茶化すところが面白い(実際映画の中でも皆が笑っている)。  独立記念日のパーティーでシェーンとマリアンがペアで踊るシーンはその当時アメリカ中の開拓者たちに親しまれていたスクェアダンス曲「 Put Your Little Foot 」とそれに続く歌「 Goodbye Old Paint ( I'm Leaving Cheyenne ) 」はカウボーイソングとしても知られているようですが きっと当時一般的に歌われていたんだと思います ( paint というのはまだら馬のことで、 Cheyenne はワイオミング州の州都 )。
その日は同時にスターレット夫妻の結婚記念日でもあり皆に祝福されて歌われるのは賛美歌「Abide With Me」。  殺し屋ウィルソンに撃たれて死んだトーレーの埋葬シーンでも「Abide With Me」が歌われ、例のハーモニカ氏が南軍軍歌 「Dixie」をしんみりと吹く・・・・・という具合で 音楽的にも大変豊かな映画になっていることが判ります・・・・・こんなことがわかるようになったのもビデオやDVDで繰り返し見ることが出来るようになった恩恵です。
また古い Folk song や Country & Western 、 Cowboy song 等を知っているとよく理解できるところですし この映画が詩情豊かな- といわれる所以でもあると思います。

ところでこのDVDの大写しのシェーン(アラン・ラッド)の写真は映画の冒頭で馬上のシェーンがジョーイ少年に初めて会って話しかけているシーンで 印象的なところでした・・・・・・・・・つづく
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懐かしのカントリー & ウェスタン 75 [ ハンク・スノウ (3)]

2009年12月06日 | ハンク・スノウ
Hank Snow (3) 
カナダ盤 Camden CAL-2235 Somewhere Along Life's Hightway

(1)Somewhere Along Life's Highway (1947) (2)I Knew That We'd Meet Again (1947) (3)Out On That Open Range (1947) (4)The Drunkard's Son (1945) (5)Ridin' Along Singin' A Song (1944) (6)Only A Rose From My Mother's Grave (1944) (7)Heading Home (1944) (8)You Broke The Chain That Held Our Hearts (1944) (9)The Soldier's Last Letter (1944) (10)Just Across The Bridge Of Gold (1943)


ハンク・スノウ(1914~1999年 カナダのノヴァ・スコシア州出身)は恐らくかつての日本のカントリー・ミュージック ファンをこれほど魅了した人はないであろう-というくらい偉大なカントリー歌手でした。今はこの Hank Snow を知らないという人も多くなりました( 同じように西部劇スターだったジョン・ウェインを知らないという人も多くなりました・・・) 時代の流れだから仕方ないです・・・。
調べてみるとカナダ出身のハンク・スノウがアメリカでの成功を夢見て苦闘の時代を重ねて1950(昭和25)年に ”I'm Movin' On ” の大ヒットで成功をおさめたのが彼36才の時というのですからいかに下積み時代が長かったかがわかります。 デビューレコーディングが1936(昭和11)年カナダビクターでの ”Prisoned Cowboy ” と ”Lonesome Blue Yodel” という曲だといわれていますからアメリカでスターとしての地位を確立するのに14年もかかったことになります。
しかもアメリカで成功する以前のカナダ時代に100曲以上の曲をレコーディングしているのですから驚きます・・・・・・数ある米ビクターの廉価盤 Camden Records ではその時代の曲を聴くことができました。 出世したあとからの曲は出身地のカナダではアメリカと同時にレコードが出ていたようなんですが、廉価盤 Camden Records の中にはハンクに敬意を表してなのか-初期カナダ時代のものだからということなのか-アメリカとは違った自国だけのジャケットを使っているものが3枚ほどあります・・・・・これはその中のひとつです。 ハンクの顔を載せずにカナダの風景を使ったジャケットがかえって新鮮な感じがして Good な趣きです。

カナダ時代の特徴として内容的にはミディアムテンポの どちらかというと哀愁のある曲が多くてハンク独特の曲群の世界を形成しているように感じます。今ではハンク・スノウの生涯の全曲はドイツの Bear Family Records 社が大部のCD-Box セットを6つも出しているので まとめて聴くことが出来るようになっています。 私も歌詞が全て載っているということでカナダ時代のものを集めたCD-Box を買ってみました・・・・・素晴らしい企画で、まだハンク・スノウも存命中でしたのできっと本人も嬉しかっただろうな-と想像します。
CDのボックス物はそれはそれで素晴らしいですね・・・・・それでも私が実際に聴くのはいつもレコードです。CDボックスは何となく聴きません・・・・・なぜか不思議、LPレコードは10~12曲しか入っていませんが よくしたものでひと区切りにはこれくらいの曲数が丁度よいんです。  ところでこのレコードの内容は・・・・・・

(1)Somewhere Along Life's Highway のフィドルとスティールギターを伴っての何ともいえない寂びょう感の漂ったムードはどうでしょう・・・・・私はハンクの初期名唱のひとつだと思っています
(2)I Knew That We'd Meet Again は語りを入れたミディアムの佳曲で、これも好きだなあ  (3)Out On That Open Range は素朴なフィドルが活躍する西部調のアップテンポ曲でハンクの早口の歌も本領発揮・・・・・・・あとは(10)Just Across The Bridge Of Gold までミディアムテンポの曲が続く、てな具合・・・・全て私が生まれる以前の歌の数々・・・・昔の歌は(昔の人たちと言うべきか)ロマンチックですね。
どの曲も素朴なスティールギターが入って 時にくすんだようなフィドルを伴います。ほぼ全曲にハンク自身が弾くリズムギターが聴かれます・・・・・歌っている本人のギターが聴こえるというのはいいね。
僕はこれからハンク・スノウの若い頃のヒルビリー~カントリーに触れてみたいという人がいたら文句なしに Bear Family Records の「 Hank Snow The Yodeling Ranger・・・・The Canadian Years 1936-1947 」( BCD 15587 )をすすめます。解説 Book と全曲の歌詞付きCD5枚セット・・・・・若々しいハンク・スノウの歌、時にジミー・ロジャース流のヨーデルも歌っていますし、音も良くてカントリー本来の素朴な響きがここに詰まっています。

1年前の今頃(2008年12月14日)書いた記事を1年遅れで公開することとなりました・・・・・本日(今年12/6)新たに聴いてみましたがやっぱりいい・・・・今の季節に合う気がして
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ストンウォール・ジャクソン ハンク・ウィリアムスを歌う

2009年12月01日 | ハンク・ウィリアムスを歌う
 Stonewall Jackson (2) 
米国盤 Columbia LE-10536 Stonewall Jackson   A Tribute To Hank Williams  ( 私のは再発盤で原盤は1969年発売の CS-9880 )

(1)Here's To Hank (2)I'm So Lonesome I Could Cry (3)Lovesick Blues (4)Cold, Cold Heart (5)I Can't Help It (6)Lonesome Whistle (7)Your Cheatin' Heart (8)Take These Chains From My Heart (9)You Win Again (10)A Mansion On The Hill (11)Let's Turn Back The Years


今年1月からはじめた毎月1日のハンク・ウィリアムス関連の第12弾はストンウォール・ジャクソン( 1932年~現在 ノースカロライナ州出身 )です。平成18年秋の第17回熊本阿蘇カントリー・ゴールドに来て元気に歌ってくれました・・・・・その時は僕ははっきりと Stonewall Jackson に焦点をあわせて出かけていきましたが、レコードにサインを貰ったり片言の英語で話したり写真を撮って握手してくれたりして楽しい想い出があります。彼の出番の時 後半にハンクの歌を何曲か歌ってくれました。

往年の米国コロンビア・レコード社のカントリー歌手群の中ではカール・バトラーと並んで泥臭いカントリーの双璧ともいえた存在ですので その 「ストンウォール・ジャクソンが歌うハンク・ウィリアムス集」 とくれば聴く前からある程度想像の出来るスタイルです。 聴いてみると案の定 スティールギターにフィドル(カントリースタイルのバイオリン)、ピアノ、そしてリズムだけのバンジョーを伴奏におなじみのハンクの曲を歌っています・・・・・(1)Here's To Hank だけが語りを入れた自作曲です。(11)Let's Turn Back The Years が珍しくて採りあげる歌手は少ないのでは・・・・・。
アルバム全体にやわらかなコーラスが入っているので彼の鼻にかかったアクの強い Country Voice をやや和らげてくれます(ホッ!・・・・・smile)。 これだけカントリーフレイバーが徹底していればかえってマイッターと頭を下げるしかありません。ジャケットの顔にその頑固さが出ている感じです( 彼のハット姿は唯一のものか? )、僕はこんな頑固な人が大好きだなあ・・・・・変にカッコなんかつけずに自分の思うところをストレートに出していく そしてまたそれを受け入れるだけの度量を持っていたレコード会社・・・・いい時代だったんだと思います。 
ウェスリー・ローズが Stonewall Jackson との出会いを含めて解説を書いていますので補足しながら載せておきます・・・・・・・・・・

「 私はたった今この Stonewall Jackson の新しいアルバムを聴き終えたばかりです。ハンク・ウィリアムスの名曲に対する彼なりの解釈で十分すぎるものでこれ以上私が述べることはありません。ことさら驚くようなことはないのですが このLPレコードの後ろに隠されているストーリーについて私が知っていることがあるのです。 私は Stonewall Jackson が初めてナッシュビルにやって来た1956(昭和31)年10月に彼に初めて会った多くの人たちの中の一人なんです。彼はトラックで私達の事務所に乗りつけてきて、入ってくるなり自分のアイドルだった Hank Williams についての情報を色々聞き始めたのです。 ハンクはカントリーミュージック界の天才の一人でしたし なかなかの好人物で私の真の友人でもありました。私は Stonewall がハンクについて話すのを面白く聴いて、お互い長い時間語り合いました。

会話の途中で彼が私に -カントリー歌手になりたいんです、チャンスをもらえたら一生懸命やりますから- と言ったんです。 私達は彼が 兄の Wade Jackson が作った ”Don't Be Angry ”という曲( この曲は後年 Stonewall の歌でヒットした )を歌うのを聴いて契約を結んだのでした。 私は Grand Ole Opry (テネシー州の首都 Nashville で古くからある Country Music Show )のマネージャー W.'D' Kilpatrick に電話して彼のことをよろしくと頼むことにしたのです。

私は Stonewall について説明し、そのタレント性、人と上手くやっていく信頼性や能力などについて述べ立てたものでした。そして個人的にオーデションをして土曜日夜のオープリーのショウに出演できるチャンスがないかどうか見てくれないか-と頼んだのでした。 ”D”は -いいとも、彼に会って話してみるよ- と言ってくれたのです。 私は Stonewall に ”オープリーにゲスト出演できる見込みはほとんどないから出演できなくてもガッカリしないでくれよ” と言いました。 それでもすぐにチャンスがきて出演が叶うようになるさーと納得させたんです。

ほんとに信じられないような話なんですが 、Stonewall は満面に笑みを浮かべながら数時間後にもどってきて ”今度の土曜日の夜のオープリーに出演できるようになりました ”・・・・・と言ったのです。そして ”貴方は来れますか-”と尋ねてきたので ”もちろん喜んで行くよ ”と答えました。 これが great Country artist( Stonewall Jackson のこと )の career の始まりだったんですよ。 以来今日まで多くのヒットレコードを出し続けているんですね。
私はこのLPを買われた一人一人の方達が私と同じように自慢するくらいのお気に入りの1枚になるだろうと確信したいと思います。Stonewall Jackson にとってはアイドルだったハンク・ウィリアムスへの Tribute Album を作ることは運命みたいなものだったのです。 " I'm So Lonesome I Could Cry "、" Your Cheatin' Heart "、" Cold, Cold, Heart "、" A Mansion On The Hill " のようなハンクの名曲を聴けば Stonewall Jackson と Hank Williams がよく似ていることを感じられるはずです。 ハンクの曲の中でストンウォール・ジャクソンのお気に入りは " Let's Turn Back The Years " という曲なんですよ、このレコードにもしっかりと入っています。 聴いて下されば Stonewall Jackson にとって他のLPレコードとはちがって彼のキャリアの中でも最も重要なステップに位置していることをご理解いただけるはずです。
彼が私に Liner notes を書いて欲しいと依頼してきたことをとても誇らしく思います。 」・・・・・・・・・・と。

私見ですが、「 Stonewall Jackson 」という名前は南北戦争で有名を馳せた南軍の将軍の名前と同じなのでアメリカ南部、南西部に強い地盤を持つ当時のカントリー・ミュージックファン層にそれだけでとても大きなインパクトを与えるものがあったに違いないでしょうね・・・・・・もちろん Stonewall Jackson の歌手としての力量もあったには違いないのですが( smile )
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