西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

小紀行 ( 故郷のお城 富隈城跡 )

2010年08月21日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
故郷のお城 富隈城 跡
お盆の墓参りの帰りに海沿いの浜の市というところに寄って富隈城跡(とみくま)を見る。
 このお城は島津義久が舞鶴城(国分新城)に移る前に住んだ隠居の城で、こちらも小ぶりながら総石垣の味わい深い古城だ。
立て看板の説明によると・・・・・・「 富隈城は島津16代義久によって築かれた城で、平地にあり、小山を本丸代わりにした平山城です・・・・城の作りは天守閣がない館形式で城門も茅葺きであったということです。義久は文禄四年(1595)から慶長九年(1604)まであしかけ十年間ここに居住しました。
義久が富隈に来たのは、豊臣秀吉の島津征伐に敗れ、降伏した意思を表すため、鹿児島の城を弟 義弘の息子 家久に譲り、富隈に隠居の形をとったためだといわれます。義久は在城の間、朝鮮出兵、関が原の戦いなどが相次ぎ、日本は激動し、島津氏にとっても苦難の時代でした。 義弘が関が原で家康の本陣を突き、敵中突破してわずかの家臣と帰り着いて、兄と対面したのもこの富隈城でした。 朝鮮出兵にも富隈衆が多数参戦しました。また秀吉の勘気にふれ、文禄元年(1592)薩摩の坊津に流された近衛信輔(関白の位に就く、書道の達人で三みゃく院流の祖)も、文禄五年(1596)許されて帰京の途中この城に立ち寄り、歌会や能楽等を行なっています。」・・・・・・・とあります。

国道10号線に近く、小高い丘状になっていて頂上まで登ると前方に錦港湾と桜島が見渡せてなかなか景色のいい場所ですが 戦国時代という当時の状況を考えると どこからでも攻められそうな孤立した城という感じなので その後新しく築いた舞鶴城(国分新城)に移ったんでしょう・・・・・歴史を感じさせる古城だ
(2010=平成20年8月15日 記)
コメント
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