西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

お気に入りCD -6-

2009年10月29日 | つれづれに
Eddie Kirk 英国盤 BACM CD D-029 Eddie Kirk  Blue Bonnet Blues
(1)An Arm Full Of Heartaches (2)Sugar Baby (3)A Petal From A Faded Rose (4)When My Castles Came Tumbling Down (5)Blue Bonnet Blues (6)Blues Stay Away From Me(with Cliffie Stone,Tennessee Ernie Ford & Merle Travis) (7)Philosophy (8)Born To Lose (9)No Tears Tomorrow (10)Candy Kisses (11)The Gods Were Angry With Me(with Tex Ritter) (12)You, Sweet Little You (13)Save The Next Waltz For Me (14)I've Lived A Lifetime With You (15)I'd Rather Hear Most Anything (16)Leetle Juan Pedro(with Tennessee Ernie Ford) (17)The Two Years We Were Married (18)Unfaithful One (19)How Do You Mend A Broken Heart (20)Promise Me


Old Country & Western ないし Classic Country が好き-とか興味がある-という人達にとってとても熱心なCDレーベルが幾つかあります。ドイツの Bear Family Records とイギリスの Jasmine Records と British Archive Of Country Music (略してB.A.C.M)はその代表的なもので現在でも精力的に昔のカントリーをCDで出してくれています。3社に共通するのはマーケットを世界中のファンに向けているということだと思います(社名の入力検索でカタログを見れますよ)。

今ではほとんど忘れられてしまったような昔のカントリー歌手の曲をCDで出すわけですから当然そういう形にしないと成り立たないのは目に見えています。本場アメリカが見向きもしなくなった古い歌手を引っぱり出してきて詳しいデータや解説を載せて販売する・・・・・・というスタイルは案外好評のようで本場アメリカもあわてて逆輸入する形でファンのニーズに応えるとか、古きカントリーの見直しをするなんてことに発展したりしているようです。 80年以上の歴史を持つカントリー・ミュージックですから若い世代だけでなくて それぞれの世代が持つ想い出のカントリー歌手がきっといるんだろうし、それに応えてくれているのがこのようなレコード会社なんでしょう。
特にドイツは熱心なファンが多いのか とても詳しい解説を載せたりしているのでそれに刺激されたのか 割合おおざっぱだった本場アメリカのレコードやCD解説もこころなしか丁寧になってきた印象もあります。
アメリカという国は ”新しさ、若さ ” を尊ぶ国なので ”古い”ものはどんどん捨て去っていく・・・・・というようなところがあるので (Country Music に関していえば)逆に他からその価値を指摘されて初めて重い腰を上げる・・・・・なんていうところがあるんだと思います。 ここに挙げたエディ・カークはC-マーケティング(京都のK岡さんという方がやっておられる)というところからレコード、CDを買い始めた時に教えていただいたイギリスの B.A.C.M 社のカタログの中から初めて買ってみたCDでした。 Tower Records とかで買いたいと思っても classic country はほとんど期待できないのが残念です。 簡単な解説が載っています・・・・・

「エディ・カークは今日では完全に忘れられています、しかし1940年代末から1950年代初めにかけて何曲かのヒット曲を出していたことで再考されてもよいだけのものがあると思います。エディ(Edward Merle Kirk)は1919(大正8)年コロラド州 Greeley にある牧場で生まれました。若い頃はいっぱしのボクサーで、18才になるまでの数年間はフライ級のアマチュア競技に出ていたといいます。プロのミュージシャンとしてのスタートは The Beverly Hill Billies に歌手兼ギター奏者として参加した時からです。1935(昭和10)年には Larry Sunbrock に雇われて国中を演奏旅行した経験があります。同じ年には National Yodeling Championship に優勝して2年間そのタイトルを保持しています。 第二次世界大戦中は海軍に在籍、除隊後はカリフォルニアに住んで KXLA 放送局の Hometown Jamboree や KFI/KTTV 局の Town Hall Party (いずれも初期の頃の西海岸で有名なカントリーミュージックショウ)のレギュラーメンバーとして活躍しました、同じ頃に幾つかの西部劇( B-western )にも出演しています。

1947(昭和22)年に Capitolレコードと契約を結んで 翌1948(昭和23)年にトップテンヒット曲となった ”The Gods Were Angry With Me” を出しましたし、1949(昭和24)年にはジョージ・モーガン作の ”Candy Kisses” を歌ってトップテンヒットに輝いてもいます。その後もシングル盤を出し続けたのですがいずれも大ヒットするまでには到りませんでした。 1953(昭和28)年までには Capitolレコードを辞めて RCAレコードに移籍し 数枚のシングル盤をレコーディングしましたが成功に到らずじまいでした。RCA レコード社を辞めてからは徐々に music business に興味を無くしはじめるようになっていきました。後年は飛行機(a passion for flying と表現)に熱中するようになったといいます。 エディ・カークは1997(平成9)年に亡くなってカリフォルニアの Riverside National Cemetry に埋葬されました。
この B.A.C.M 社のCDが発売されたことで 今まで顧(かえり)みられることのなかったこの才能豊かなカントリー歌手のことが見直されることを私達は願っています。 」・・・・・・と述べてあります。

テックス・リッター、マール・トラヴィスといった西海岸の Capitolレコード社草創期のカントリー歌手達に混じって結構名前の通った人だったようですが、先の2人がたくさんのLPレコードを出すまでになったのにエディはヒット曲があったにもかかわらず1枚のLPも出せないまま姿を消していったのでした・・・・・ということはやはり ”何かが足りなかった”・・・・・ということなんでしょう。 でもこのCDを聴くと昔のほのぼのとしたカントリーが甦ってきて-なかなかいいところがあります。トレモロを多用したスティールギターとフィドルの伴奏は真に素朴な時代のカントリーで、エディ・カークがとても歌の上手い歌手であったことがよく判ります。

有名なのは(6)Blues Stay Away From Me (8)Born To Lose (10)Candy Kisses (11)The Gods Were Angry With Me あたりですがエディが歌う ”Candy Kisses”はオリジナルのジョージ・モーガンのものに比べてとても swing していて 特に伴奏のフィドル( country style のバイオリン)のセンスのよさには舌を巻いてしまうほどです。ブルーグラスなんかでは絶対に聴かれないような弾き方で、おそらくWestern Swing 畑の人でないとこういう swinging fiddle は弾かないでしょうし なかなかの聴きものです。私は(12)You, Sweet Little You という曲がとてもメロディラインがきれいな素朴な佳曲で気に入りました。

これはエディ・カークという忘れられたカントリー歌手を顕彰するのに十分なベスト盤CDだと思います。
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お気に入りCD -5-

2009年10月26日 | つれづれに
Merle Haggard (2) 米国盤 MCA Records MCAD-20787  What A Friend We Have In Jesus
(1)What A Friend We Have In Jesus (2)Sing Low Sweet Chariot (3)Suppertime (4)Why Me (5)When God Comes And Gathers His Jewels (6)He Walks With Me (7)Where No One Stands Alone (8)The Old Rugged Cross (9)Softly And Tenderly (10)One Day At A Time


ひんやりする秋深い夜はカントリーファンにとって Country Song や Cowboy Song を聴くのに最適な季節です(正直いってカントリーは夏向きではない・・・・というのが私感)。 今日はマール・ハガードの Sacred song 、Gospel song を聴く。 名の通ったカントリー歌手でセイクレッドやゴスペルなど宗教的な歌を全くといっていいほど歌わない人がいます・・・・・古くは”Blue yodeler”ジミー・ロジャースがそうですし、その後はボブ・ウィルス( Western Swing の王者 )、レフティ・フリッツェル、ハンク・トンプソンなどです・・・・何だかテキサス出身者に多い感じだなあ。 
私はマール・ハガードもその部類に入る人かな(若い頃相当のワルだったようなので)・・・・・と思っていましたが、レコード時代にちゃんとその手のものを出して-”意外”-と思ったものでした。 このCDに入っている曲はどれも名の通った曲です。 音的にはとてもシンプルで、ピアノや控えめなスティールギター、時に女性コーラスをバックに マールもゆったりと・・・・というよりは神妙に歌っている感じです。(1)「友なるイエスは」が一番有名な曲、(2)(3)(8)は語りを入れたもの、特に(3)Suppertime はジム・リーヴスで有名な曲でした。(4)Why Me はクリス・クリストファーソン作の佳曲で個人的にはとても好きな曲・・・・ハンク・スノウの名唱がありますが曲がよいので誰が歌っても映える感じです。 ハンク・ウィリアムス作の(5)When God Comes And Gathers His Jewels はフィドルをいれて歌っています。
全体にかみしめるように歌うマールのスローテンポの歌がほとんどなので(2)(10)あたりはもう少し軽快に歌ってもよかったのに・・・・・と思いましたが・・・・やはり秋から冬にかけて聴くアルバムかな
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古色蒼然 ちょっと気がかり

2009年10月25日 | つれづれに
ここ数ヶ月私のブログに毎日70~110人くらいの方が訪問して見て下さっています・・・・・閲覧数はその1.5~2倍になります。始めた当初は自分なりのカントリー日記みたいなものなのでとてもそんなに予想もしませんでしたので興味を持って見てもらえることがとても有り難いことだと感謝しています。新しく訪問された方には是非知っておいて頂きたいのですが、私のブログで扱っているカントリーは Old Country とか Country Classics といわれるもので ほとんどが何十年も前のカントリーだということです。カビの生えたカントリーといってもいいかと思います・・・・・当然現代アメリカの現在進行形の Country Music ではありませんし、呼び方も単に私自身がその響きが好き-という理由で Country & Western という古い表現にしています(今は Country Music と表現するのが一般的)。 
今を生きる Country Music の話題は開設されているたくさんの方達のホームページがあって知ることが出来ると思います・・・・・・私のブログは Country Music の80年以上の歴史の中のほんの1コマずつを採りあげているに過ぎません。 唯一「温故知新」という名目だけで続けているものです・・・・・・パソコン未熟で更新もままならないですが少しづつ巾も広げていこうと思っています・・・・・・化石みたいなものですからそんなところを理解していただいて 時々は覘いてみて下さい。

写真は「The Legendary Jimmie Rodgers 110 曲集」と題した日本盤全集(RCA Records RA-5459~66)です。私が20代前半の頃に3日間のアルバイトをしてやっと手に入れた思い出の8枚組ジミー・ロジャース レコードアルバム集・・・・・14400円と高価で お店の人に分割払いでできないでしょうか-と何回も交渉したのにどうしても Yes の返事がもらえなくて仕方なくアルバイトして買ったのでとても思い入れのあるものになっています(今の時代からすると3万円くらいの感覚なので 小さなレコード店だったからどうしても無理だったんだと思う)・・・・・世界的にも誇れる日本盤だったのではないでしょうか(懐)・・・・・今は4000円くらいで110曲全集のCDが売っているようです・・・便利になっていますね
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ムーン・マリカン物語 Part. 3

2009年10月12日 | つれづれに
Moon Mullican (4) 
米国盤 Nashville Records NLP-2080 I'll Sail My Ship Alone

(1)I'll Sail My Ship Alone (2)Jole Blon (3)Cherokee Boogie (4)Pipeliner Blues (5)Good Times Gonna Roll Again (6)Sweeter Than The Flowers (7)Wabash Cannonball (8)Ragged But Right (9)I Was Sorta Wonderin' (10)Farewell (Instrumental 曲)


<ムーン・マリカン物語 Part 3>

しかしムーン・マリカンは1950(昭和25)年には自分のレコーディングレパートリーのさらなるコントロールをし始めたようにみえます。
ムーン・マリカンがレコーディングしたものには King レコード社の R & B(リズム&ブルース)アーチスト Tiny Bradshaw が書いた最高にホットな曲 ” Well, Oh, Well ” や同じ King 社の R & B アーチスト Bullmoose Jackson がヒットさせ、後に country boogie の古典曲ともなった ” Cherokee Boogie ”のオリジナル録音などがあります。同じく1950年に録音した Roy Brown 作の ”Grandpa Stole My Baby ”では管楽器を使ってもいます。管楽器奏者たちはただレコーディングに駆り出されただけとはいえ King 社での多くの R & B セッションで演奏した黒人R&B プレイヤーそのものでした。

1951年~1952(昭和27)年はムーンはオープリーのスターとして演奏ツアーを続けました、しばしばハンク・ウィリアムスとも一緒になっています。  友人達の話や出版物の記事によると あるツアーで一緒になった時 ちょっとしたヒントからムーンとハンクはある曲作りに夢中になり始めたのだそうです。人の話によると、ムーンが ”New Jole Blon ” に付けたと同じような歌詞を作り ハンクがそれをノートに書き留め、それから2人は ”Big Texas”という古曲のメロディにあてはめて ”Jambalaya” を作った-というのです。 その曲はすぐにカントリークラッシックになって1952(昭和27)年にハンクの歌でヒットしたのでした。ハンクの名前だけが作曲家としてクレジットされてムーンは関係していないようにみなされている事実に対してもっと不満があったのでしょうが・・・全てはうやむやになってしまったのでした。
1952~1953(昭和28)年は多くの異例のセッション(unusual sessions と表現)をしています。一つは L.A (ロサンジェルス)でのもので Speedy West のスティールギターに Jimmy Bryant と Billy Strange のエレキギターを加えたものです。そのセッションでは ”Tokyo Boogie”と ”Pipeliner's Blues”の別ヴァージョンが録音されています。2曲ともこのLP( Part1のLP写真)に入っています。 別のセッションでは管楽器とサキソフォンを使って ”I Done It”、”Rocket To The Moon”を含むナンバーがあり、2曲ともムーンが jump-styled black blues に強く密接な関係がある-ということを実証するものとなっています。この2曲は奇跡的な成功をおさめたのですが、R & B 専門のラジオ局では脚光を浴びることはありませんでした。

1955(昭和30)年には事態が一変し始めたのは明白でした。エルヴィス・プレスリーの Sun レコードでの初レコーディング曲群がアメリカ南部を席捲し始めたり、初めの頃はカントリーヨーデル歌手として western band を率いて活動していた Bill Haley ()が ”Rock Around The Clock”のヒット でトップチャートに躍り出たりしたのでした。 そこで ムーンも変わる決心をしたのです。 その頃オープリーを去っています、よりよい稼ぎを求めてロードに出ても Grand Ole Opry で演奏するために毎週土曜日にはナッシュビルに駆けもどって来なければならない・・・・・ということに価値を見出せなくなった(足かせになるということなんでしょう)-と判断してのことでした。

動機ははっきり判らないのですが、エルヴィス・プレスリーが初めて大地を揺るがした Dorsey Brothers TV Show に出る丁度2日前の1956(昭和31)年1月26日に ムーンは Boyd Bennett & the Rockets というBill Hayley スタイルのバンド と一緒にスタジオに入っていったのでした。 エルヴィスの成功に触発されて幾人かのカントリー歌手がロカビリー演奏に挑戦しましたが、 Marty Robbins と Johnny Horton の見事な成功例を除けば 大半の歌手は順応出来なかったといっていいでしょう。そんな中 ムーン・マリカンは順応することにそれほど困難を感じなかったのです。つまりムーンが初期の頃に演っていた music の下地にあったロカビリー的要素が功を奏したという訳です。  彼の ”Seven Nights To Rock” や ”I'm Mad With You” は大成功とまではいかないまでも一部では成功を収めたのでした。

しかし、ロカビリーを演っても Moon Mullican はそのスターにはなれませんでした。頭が禿げて太っていて50才に手が届こうとするムーンではとてもプレスリーや Jerry Lee Lewis や Carl Perkins に肉迫するだけのものはなかったのでした。 the Boyd Bennett Session を終えるとムーンは Decca レコード社に移籍し、”Moon's Rock ”など数曲の素晴らしいロックンロール曲をレコーディングしています。1960年代初めには Starday レコード社に移籍して Kingレコード時代のヒット曲の再録音を含むいくつかの佳曲をレコーディングしてもいます。

彼の最後のビッグヒットは1961(昭和41)年の ”Rugged But Right ” でした、ムーンはテキサスでは依然としてホットな活動を続けていたのです。しかし、世の中の音楽的嗜好の変化が徐々に大きく影響し始めてくるとムーンは地元に留まることが多くなってくるのでした。1962(昭和42)年のカンサスシティでのショウで 演奏中に心疾患を起こしてしばらく出演できなくなりましたが、
次の年にはカムバックし て典型的な Moon Fashion でステージに復帰してスターデイ社でレコーディングしたドライブのかかった killer ヴァージョンスタイルの ”Pipeliner's Blues” を演って聴衆の拍手喝采を浴びたのでした。

ムーンは Hall-Way とか Spar といった弱小レーベルにレコーディングを続けましたが1960年代中期になると輝きに衰えが見え始めたのは明らかでした。安っぽいアレンジでムーンの contemporary sound への見え透いた試みがなされはしましたが、実際は彼の初期のサウンドにも劣るようなものでした。

1966(昭和46)年末にもう一度だけナッシュヴィルでレコーディングセッションがもたれました。 それから程なくして1967(昭和47)年1月1日深夜 心臓麻痺を起こしたムーンは2時間後に帰らぬ人となったのでした。1月3日 Beaumont で行われた葬儀には Jimmie Davis(ムーンがかつてルイジアナ知事選挙で応援したカントリー歌手) が出席して弔辞を述べ 追悼の歌も歌ったのでした。Ray Price and the Cherokee Cowboys が♪の形をした大きな花輪を送ったそうです。

確かに Moon Mullican の音楽と似たような音楽をやっている人はいます、しかしそれは今日でも Jerry Lee Lewis や Micky Gilley その他大勢によってフォローされてスタンダードになっているムーンのあけっぴろげで自由闊達なやり方なのです。 Moon Mullican はロカビリーやロックンロールの基礎確立に貢献したといえます、もしそれが信じられないようでしたらこのレコード(Part1 に載せたレコード)にある曲の数々を聴いてみて下さい-きっと納得がゆくはずです・・・・・・以上で翻訳終わり

ところで今回載せたレコードは、ムーン晩年在籍の Starday Records の廉価レーベルである Nashville Records 盤です。ムーンのピアノに単音のフィドル( country style のバイオリン)とスティールギターだけでシンプルですが何ともいえない Classic Country のよさが出ているものになっています。ムーンの声はややハスキーでやわらかいのでとても聴きやすくて私は boogie よりも普通のカントリー曲が好きです。  
CDは幾つか出ているみたいです。スターデイ レコード時代の音源がCDになっているといいんでしょうが・・・・・・終わり
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ムーン・マリカン物語 Part. 2

2009年10月11日 | つれづれに
Moon Mullican (3) 
ヨーロッパ盤 Official Records Sing-555  Moon Mullican Sings His All-Time Greatest Hits (原盤は アメリカ King Records-555)

(1)I'll Sail My Ship Alone (2)Honolulu Rock-A Roll-A (3)The Leaves Mustn't Fall (4)Mona Lisa (5)Sugar Beet (6)New Jole Blon (7)Sweeter Than The Flowers (8)Pipeliner's Blues (9)I Was Sorta Wonderrin' (10)Cherokee Boogie (11)You Don't Have To Be A Baby To Cry (12)Foggy River
   

<ムーン・マリカン物語 Part 2>

ムーン・マリカンの人を引きつける個性が功を奏してめでたく Cliff Bruner & the Texas Wanderers に入ることができたのでした。彼はそこでは Bruner と共に  ”Pipeliner's Blues ”(この曲はムーンにとって終生の定番曲になった) の初ヴァージョンを含む多くの曲をレコーディングしたのでした。また the Sunshine Boys や Buddy Jones 、Jimmie Davis 、the Modern Mountaineers 等といった人達ともレコーディングしています。そして、1939(昭和14)年にカントリー界初めてのトラックドライバーソングである Ted Daffan (1912-1996 テキサス州出身のカントリー歌手) の ”Truck Driver's Blues ” を Cliff Bruner and his Boys と共にレコーディングしたのもムーン・マリカンでした。これらの個人やグループと一緒にレコーディングしたムーンの作品群は 全て嬉々として気ままに何でも採り上げた戦前の Western Swing が反映されており ”Joe Turner Blues ” から ”Blue Skies ”、”When You're Smilin' ”まであらゆるものを歌っていました。
1943(昭和18)年にムーンはジミー・デイヴィス(1899~2000年 ルイジアナ州出身 ”You Are My Sunshine ”で有名なカントリー歌手。ルイジアナ州知事を2回つとめています)のためにツアーバンドを結成してルイジアナ州知事選挙戦に携わりました。それには当時ほんの若造で 後にWestern Swing の伝説的なフィドル奏者(カントリースタイルのバイオリン奏者)となった若き日のジョニー・ギンブルもテナーバンジョー奏者として参加していました。そのギンブル曰く、「何はともあれ彼はジミー・デイヴィス票獲得に奔走したと確信できますよ」とのこと。 ムーンは stop time(選挙演説などが終わって合間の時間などを指しているんだと思います)に ”That's What I Like About The South ”と題して次のように歌ったものです・・・・”Long about three or four months from now You can do us a favor and I'll tell you bow Go to favor and I'll tell you bow Go to the polls and I know you can-  JIMMIE DAVIS is your man!! ”・・・・・ギンブルは「ムーンはいつも満場の喝采を浴びていましたよ」・・・と付け加えた。

戦時中はムーンとクリフ・ブルナーは The Showboys と称するバンドを押し立ててテキサス州の Beaumont 辺りで仕事していました、ラジオショウやクラブで演奏したりバーベキューレストランやダンスホールといったところでです。1946(昭和21)年には新しく設立された King レコードのオーナーである Syd Nathan と知己を得て10年間にわたってこのアルバム(Part 1. に載せたLP)にある16曲のようなきわめて優れた音楽を生み出し続けたのでした。 万事にそつがなくて、野心家で怒りっぽく、いつも口にくわえタバコの Syd Nathan はまさに King レコード社を設立したばかりでした。1946(昭和21)年に出されたムーンの初めてのソロレコーディング曲 ”The Lonesome Hearted Blues”(King 565)は新設の King レコード社だったため(商品の)流通問題のために困難を伴ないました。
1946(昭和21)年の秋に行われた first session では ”What A Soldier Knocks and Finds Nobody Home ” のようなセンチメンタルなカントリーバラッドから熱気に溢れた ”Shoot The Moon ”や ”Don't Ever Take My Picture Down ”といった曲まで16曲をレコーディングしています。この1回目のセッションで録音した曲の中に Harry Choates ()のヒット曲 ”Jole Blon ”の風刺ヴァージョンとして ”New Jole Blon”をレコーディングしたのでした・・・・・その中でオリジナルでは Cajun フランス語で歌われた歌詞のところを早口のでたらめ英語に置き換えて歌っています。ところがそれが1947(昭和22)年にヒットして King レコードが独立レーベルとして立ち行くための助けになった一要因ともなったのでした。

ムーンの次のヒット曲は1947(昭和22)年秋にオハイオ州シンシナチで録音された後すぐに発売されたとても感傷的でセンチメンタルな曲 ”Sweeter Than The Flower ” でした。その感傷的な曲は ムーンのいつものレパートリー(Moon's normal repertorie と表現)とは多くの点で正反対の曲といってよいものでした。しかし、彼はまた時折り古曲 ”Deep Elm”のバリエイションである ”Triflin' Woman Blues”のようなアップテンポの stompers(足を踏み鳴らしたくなるような調子の曲)もレコーディングしています。そのようなナンバーではテンポの速い Swing Jazz や黒人音楽に影響されたムーンの歌い方、持ち前の piney woods piano playing がそっくりそのまま出ています。

センチメンタルな曲のレコーディングはどうみても彼自身が選んだものではありませんでしたが、当時のカントリー市場では感傷的なバラッドがより好まれる状況にある-ということを Syd Nathan も感じとっていたので-ムーンの感傷的な曲はそのことと大いに関係があると思われます ( 私感ですが・・・・・第二次世界大戦という殺伐とした時代が終わってすぐの頃なので 音楽的にはよりロマンチックなものが人々の間で好まれた時代だった-と言えるんだと思います-ハンク秋山- )。 ”テーブルの上の酒瓶はピンピンはねなきゃね”・・・・・という持ち前の哲学があって舞台でのムーンは相も変わらず Swing (onstage Moon rocked it と表現 ) していたのでした。自らの人気の広がりと共に1940年代末までカントリーをやり続けたのです。  そして彼は1949(昭和24)年にフロリダを演奏旅行した時に 短期間のうちにトップスターに登りつめてきたある若いカントリー歌手に出会いました、それが Grand Ole Opry ( 1927年以来 今日までテネシー州ナッシュヴィルで続いている Country Music Show )の新人スター Hank Williams だったのです。 二人はすぐに仲良くなり ハンクがムーンをオープリーの永久メンバーに加えてくれるように取り計らってくれたのでした。オープリーのお偉方はムーンの持ち楽器が弦楽器でないのを理由に渋ったのですが結局渋々ながら受け入れてくれたのでした。

ピアニストやフィドラー(カントリースタイルのバイオリン奏者)というのは初期のオープリーではありふれているとみなされたが故の扱いだったのです。本来ならムーン以前に誰かがピアノという楽器を弦楽器に劣らないくらいの位置づけをしておいてくれるべきだったのですが、結局はムーンのビッグヒット ”I'll Sail My Ship Alone” が出て初めてオープリーでピアノの価値が確立された-といえるのでした。オープリーのお偉方は彼に ”The King of The Hillbilly Piano Players ”という称号を送ったのでした、ムーンはオープリーで初めての歌うピアノ奏者になったのでした。  続く

( このレコードは1988(昭和63)に出たデンマーク盤ですがCDの時代になってレコードが売れなくなったためか新品なのに600円くらいで売っていました。相当昔のアメリカの Kingレコード原盤をそのまま使っています。 なおこのレコードはCD(King KCD-555)にもなっているようです・・・・・ムーンの歌っていいね )
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ムーン・マリカン物語 Part. 1

2009年10月08日 | つれづれに
Moon Mullican (2)
米国盤 Western Records-2001 Moon Mullican Seven Nights To Rock / The King Years, 1946-56

(1)Seven Nights To Rock (2)Southern Hospitality (3)Well, Oh Well (4)Grandpa Stole My Baby (5)Cherokee Boogie (6)What Have I Done That Made You Go Away (7)Tokyo Boogie (8)Shoot The Moon (9)I'm Mad With You (10)I Done It (11)Rocket To The Moon (12)Trifling Woman Blues (13)Good Deal, Lucille (14)Don't Ever Take My Picture Down (15)Rheumatism Boogie (16)Pipeliner's Blues


私はマール・トラヴィス(1917~1998年 ケンタッキー州出身)とか ここに採り上げたムーン・マリカン(1909~1967年 テキサス州出身)とかいった昔の歌手だけれどもどこかお洒落で洒脱な雰囲気を持ったカントリー歌手がとても好きです。楽器の上手い人はたくさんいますがどういうわけかこの2人のような雰囲気を持った人には現代のカントリー歌手には見当たりません、私が見つけられないだけ・・・・なのかも知れませんが。 この Moon Mullican のレコードは15年位前に偶然出会ったもので1300円位で買ったもの・・・・・ジャケット裏に Rich Kienzle という人がムーン・マリカンについて割と詳しくぎっしりと解説を書いていますので 「ムーン・マリカン物語」 という形で補足()や私の感想を加えながら3回に分けて訳して載せてみたいと思います。けっこう一般の辞書には載っていないようなslang(俗語)が出てきます---そのままの形で載せましたが判り次第訳文に変える予定です。人名も沢山出てきてそれぞれ country music 界の歴史的な人達なんでしょうが煩雑になることを避けるため最低限の補足にとどめました。

<ムーン・マリカン物語 Part.1>

1981(昭和56)年の初夏の頃 ”the Killer ”と異名をとる Jerry Lee Lewis (1935年~現在 ルイジアナ州出身のカントリー、ロカビリー歌手) の伝記本2冊のうち1冊目が出版されようとしていた。ジェリーの従兄弟にあたる Micky Gilley (1936年~現在 ミシシッピ州出身のカントリー歌手)はこの世界では最も人気のあるカントリー歌手の一人ですし、もう一人の従兄弟で聖職者の Jimmy Lee Swaggart は広く人気のあるテレビ巡回牧師です。3人には一つの共通点があります・・・・それはたたきつけるような、ほとばしるような Country/ Boogie / Blues のピアノ奏法で、いずれもルイジアナ州 Ferriday にいた子供時代に習い覚えて以来やってきたピアノ奏法です。幾人かのピアニストが彼らに影響を与えています・・・・ひとりはナッシュヴィル出身の最も有名な黒人ピアニスト Cecil Gant 、それにサンジェゴ出身の Country Boogie whirlwhind の Merrill E. Moore() 、もう一人の hillbilly boogie のチャンピオン Roy Hall 、そしてこのレコードの主人公で the King of the Hillbilly Piano Player と云われた Aubrey "Moon" Mullican です。

ムーンは今日に至るまでCountry music pioneer(先駆者)として認識されてきませんでした。同じカントリー仲間のだれからも tribute album は有りませんし彼についての伝記や音楽について詳細な研究もありません。彼がこれまでにレコーディングしたあらゆるテイクや曲の膨大なディスコグラフィーからのレコード再発もありませんでした。そうしたことにもかかわらずムーンの偉業にゆるぎはないのです。

第一に ピアノを弾きながら歌う-ということでは恐らく彼が初めてのカントリーピアニストでしょう。ムーン以前の country pianist はバックアッププレーだったり western swing band でのリードプレイだったり でした。当時のカントリーシンガー達の持ち楽器はギターであってピアノではなかったのです。
第二にムーンは黒人ブルースや barrelhouse piano style の影響を示した初めての白人カントリーピアニストの一人でした。全てが Merrill Moore から Jerry Lee Lewis や Ronnie Milsap(1945年~現在 ノースカロライナ州出身の盲目のカントリー歌手) 、Gary Stewart() といった人達に道を拓く先駆けとなったのでした。

Aubrey Mullican は1909(明治42)年 3月29日テキサス州 Polk County(郡)の Corrigan にある小さな村に生まれました、ヒューストンとビューモントの北60マイルにある辺りです。東テキサス地方は松が生える森林地帯で、そこは伐採に従事する黒人労働者の材木キャンプが点在するところでした。キャンプには安酒場があって、それは黒人 blues や barrel house music が取り混ぜになって酔っぱらいと喧騒の荒っぽい安酒場でした。そんな酒場では Buster Pickens とか Cowboy Washington といった派手な名前ながら無名のピアノ奏者連中が幅を利かせていてlocal legend として活躍していました。彼らの名声がキャンプ以外の地に広がらなかったのは不思議なくらいです。そんな音楽に親しんだひとりに Joe Jones がいました。彼は Mullican farm の小作人で8才の頃のムーンに blues guitar を教えた人でした。
同じその頃にムーンの父親が20ドルの pump organ を買ってきたので彼の娘達は教会でオルガンを習い覚えたのでした(当時Mullican家は週に3日教会に通っていたそうです)。父親は自分の息子が材木キャンプの安酒場のピアノ奏者達がやっているような類の音楽をオルガンを使って無断で練習し始めるのを嫌ったものでした。しかしムーンはやり続けます、pump organ を blues と boogie style に応用して chugging で infectious な”pumping piano style” の先駆者になるべく習い覚えたのでした。
14才の時 Corrigan の北方にあるテキサス州 Lufkin という町のあるカフェでのことはいまや伝説になっています・・・・2時間ピアノを弾きっぱなしでポケットが40ドルのチップでいっぱいになったといいます。そうしたことがあっても父親の機嫌をよくすることにはつながらず、結局多くの喧嘩のすえ切れてしまったムーンは 16歳になった時農場を後にヒューストンへと飛び出していったのでした。そこでの数年間はカフェや cathouse で演奏しましたが、どこにいっても 何故か”Moon”というニックネームがついたのでした・・・・・それについてある人は彼がいつも夜仕事しているからだろう-と言い、別の人は例えば Cliff Bruner() が自らを” Moonshine ”と呼んだと同じように同時代の人とみなされたんだといいます。今となっては正確な由来についてはおそらく永遠に判らないでしょう。

1930年代中頃までには Milton Brown(1903-1936 テキサス州出身 Western Swing 創設者の一人) と Bob Wills(1905-1975 テキサス州出身 Western Swing の王者) の2人は テキサスやオクラホマでラジオ、レコードあるいはダンスホールで Western jazz music の演奏活動をやり始めていました。勿論、Milton Brown は1932(昭和7)年に自分のバンド The Musical Brownies(=ミルトンが the Light Crust Doughboys をやめて結成したバンド) に Fred ”Papa”Calhoun というピアノ奏者を加えてピアノをリード楽器としてカントリーに用い始めたパイオニア的人物でした。このカルホーンのピアノ演奏は the Musical Brownies によく合ってバンドにとって必要不可欠な音になったのでした。この original Brownies は1936(昭和11)年にMilton Brown が交通事故死してバンドが解散になるまで続きました。しかし、ピアニストのFred Calhoun はミュージシャンではあっても歌手ではありませんでした。
the Brownies が解散してフィドル奏者(カントリースタイルのバイオリン奏者)の Cliff Bruner とスティールギター奏者の Bob Dunn が自分達のバンド(バカヴォンズのことか・・・)を結成しました。その頃ムーン自身は the Blueridge Playboys というバンドに在籍していましたが、Cliff Bruner が新しいバンド the Texas Wanderers を結成してピアノ奏者を雇うべくオーディションをした時に ムーン よりもずっと優秀なプレイヤーがいたのにもかかわらずMoon Mullicanを採用したのでした。  続く
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懐かしのカントリー&ウェスタン 126 [ レイ・プライス (5)]

2009年10月05日 | つれづれに
Ray Price (5) 
米国盤 Columbia Records LE-10028 Ray Price  Another Bridge To Burn (原盤はCS-9328)

(1)Healing Hands Of Time (Willie Nelson)(2)Another Bridge To Burn (Harlan Howard)(3)Take These Chains From My Heart (Fred Rose) (4)Don't You Believe Her (Nat Stuckey)(5)I Want To Hear It From You ()(6)Don't Touch Me (Hank Chochran)(7)( I'd Be ) A Legend In My Time (Don Gibson) (8)I'd Fight The World (Hank Chochran & Joe Allison) (9)Go Away (Willie Nelson)(10)Too Late (Jimmy Wakely)(11)It Should Be Easier Now (Willie Nelson)


このアルバムはレイ・プライス (1926年~現在 テキサス州出身) のカントリー・バラッドの上手さがきわだつもの。全曲ミディアム~スローテンポな曲で、これだけかったるい曲のオンパレードだと途中でだれてしまいそうなのに フィドル(カントリースタイルのバイオリン)とスティールギター入りの純カントリースタイルで 女性コーラスも入らないものなので Ray Price の歌の上手さをじっくり味わうことが出来るものになっています・・・・聴いていると本当に素晴らしいなあ-大人のカントリーだなあ-と感じますし、秋~冬の夜長に聴くととても映える感じです。 レコードジャケットもいい雰囲気で、数あるレイ・プライスのアルバムの中からファンからの要望で1966(昭和43)年発売のものが再発売されたもの-というだけあって(ジャケットのマークのところに Re-Released By Popular Demand と書いてあります)歌の中身の濃さには納得・・・・・です。

レコード盤の各曲クレジットを見ると当時の(1960年代頃の)の名作曲家と思われる人達が名前を連ねています・・・・・曲名のあとの()内に作曲家を書いておきました。 内容的には男女間の確執、機微の違いによる別れ、新しい出会い・・・・・といったまあ日本で云うところの”演歌”の世界なんでしょうけど、レイ・プライスのしわがれ声とシャウト唱法 ( けっして美声ではないと思いますがとっても味のある歌い方 ) で聴かされると うっとりしてしまいます。ツボをよくこころえた steel guitar と 単音の fiddle (カントリースタイルのバイオリン)そして時折り聴かれるレキントギター風の生ギターが ”カントリーバラッドの良さ”を引き立ててくれています。

レイ・プライスのバンドは the Cherokee Cowboys といって名門バンドのひとつと言われていました・・・・・そこからは若き日のウィリー・ネルソン(1933年~現在)の他にカントリー歌手として名を成した人に Roger Miller (1936~1992年)、 Johnny Bush (1935年~現在) 、Johnny Paycheck (1938~2003年) などが輩出していますし、さらに名スティールギター奏者の Jimmy Day や Buddy Emmons など今からみると錚々たる人達がレイ・プライスのバンドに在籍してサポートしていたのでした。

このレコードのバックがチェロキー・カウボーイズ自体の演奏であるかどうかは判りませんが(レコードの場合 往々にしてスタジオミュージシャンを使ってのことも多いので)素晴らしいバックサウンドです。  尚、レイ・プライスは Willie Nelson の作曲家としての才能を高く評価していてここ以外でもウィリーの曲を沢山採り上げて歌っています。

私自身の感想なんですが 今の時代のカントリーとこの時代のカントリーとのサウンド的な違いは ”ドラムにある”と感じています。昔のカントリーはドラムが控え目で ( バック・オウエンズですらそうです ) バタバタとロック的なリズムの刻み方をしていない点に尽きるように思います-だから歌を安心して聴ける-と感じています。
このアルバム、単独でCDになっていたら私的には是非お勧め-ですがそのあたりの情報は判りません。
レイ・プライスっていいなぁー!大好きなカントリー歌手。
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モウ・バンディ ハンク・ウィリアムスを歌う

2009年10月01日 | ハンク・ウィリアムスを歌う
 Moe Bandy (1) 
米国盤 Columbia Records PC-38652  Moe Bandy Sings The Songs Of  Hank Williams

(1)Mind Your Own Business (2)I'm Sorry For You My Friend (3)I Could Never Be Ashamed Of You (4)Why Don't You Love Me (5)Jambalaya ( On The Bayou ) (6)Your Cheatin' Heart (7)You Win Again (8)A House Of Gold (9)A Mansion On The Hill (10)Move It On Over


毎月1日のハンク・ウィリアムス関連の第10弾はモウ・バンディが1983(昭和58)年に発表したハンク・ウィリアムス集です。 モウ・バンディ ( 1944年~現在 ミシシッピー州 Meridian 出身・・・・・”Blue Yodeler”ジミー・ロジャースが生まれたところですね !) は1976年に 「Hank Williams You Wrote My Life」 というタイトルのアルバムを出しているくらいですから ハンクに影響を受けた歌手の一人なんでしょうね( 時代的にはかなり離れてはいますが )。
1980年代ともなると Rockin' Country の影響が大きいのですが ( 特にドラムの使い方がロック的 ) モウ・バンディはもう力いっぱい好唱していて ハンク自身の歌に比べると暗さなど微塵も感じられないものになっています。 サウンド的にはスティール・ギター、フィドル( カントリースタイルのバイオリン )、ホンキートンクピアノ、曲によっては女性コーラスが入る形です。 ただ本格的ホンキートンクスタイルには違いないのですがどこか違って聴こえます・・・・・・それは今時のロックスタイルのドラムの叩き方にあるのかなあ、リズムの刻み方にあるのかなあ・・・・それと、けっこうシビアな内容の歌でもややアップテンポにあっさり歌ってしまっているので 何だか物足りないです・・・・・”何が”・・・とははっきりとは指摘できませんがやっぱり何かが足りません。 例えば(9)A Mansion On The Hill をややアップテンポ気味に歌っていますが・・・・・歌が上手い歌手だけにもっと感情を込めてじっくりと聴かせるスタイルにしたらよかったのに まったく淡々とあっさり歌ってしまっているので 何の余韻も残らないカラオケサウンドって・・・・感じになっています。  このアルバムの全ての曲にそれを感じますし・・・・・歌の歌詞の内容なんか何処吹く風・・・・みたいに歌っているから聴いていて感情移入できず、うわべだけの薄っぺらなハンク・ウィリアムス ソング集になっているようで-非常に残念な気がしました( あくまでも私感ですが )。

ジャケットにはなんの解説も載っていません・・・・・ハンク・ウィリアムスについて思い入れがあれば何らかのコメントなり解説なりあってしかるべきなのに何にもないということは はっきりとしたコンセプトの元に作られたアルバムではなくて これまでのLPレコードに入れていたハンクの曲をレコード会社の方で勝手に寄せ集めて単に ”Sings Hank Williams ”という形にしただけ-かも知れません??

各曲を単独にポツンと聴けばそれぞれに良さがあっていいと思います・・・・でも通しで聴くとどうしても深みが足りないかな? それなりのよさはありますが可もなく不可もなし・・・・・というのが私の感想。でもハンクの歌をたくさん歌ってくれているだけでも有り難いかな-ハンクはこんな後輩がいると草葉の蔭で喜んでいるかもしれない・・・(面白)

一番良いと感じたのは(6)Your Cheatin' Heart でした。 あまりみんなに採り上げられない曲(2)I'm Sorry For You My Friend がちょっと珍しいな・・・・。
1980年代のレコードなのでCDとしても発売されているのかも知れませんがよく判りません・・・・・
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