西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

西部劇ー31- ( グレイフォックス )

2011年06月30日 | 西部劇映画

グレイフォックス
( The Grey Fox )
カナダ映画 監督:フィリップ・ボーゾス 1983(昭和58)年 A Mercury Pictures 制作 日本公開


平成23年6月25日(土)午後この映画を見た。レンタル落ちのバーゲンセールで買っていたもので 珍しく1983(昭和58)年制作のカナダ製の西部劇・・・・・日本で公開されたかどうかは判らないけれど私は未見のものだった。

ビデオの簡単な解説によると 「 西部史上名高き紳士強盗、”グレイフォックス ”として ”手を上げろ! 抵抗しなければ殺さない ” の名セリフと共にその名を馳せたビル・マイナーの実話に基づく映画化。 駅馬車強盗のビルが服役を終えて出獄したのはすでに20世紀。もはや襲うべき駅馬車はなく蒸気機関車が時代の先端を走っているのだ。それにも負けず列車強盗を企て7000ドルもの大金をせしめてカナダ史上初の”列車強盗”の名誉(!)をほしいままにしたビルだったが・・・・・」と書いてある。

最初のシーンに西部劇「駅馬車」のモノクロ画面で駅馬車が走る場面と、さらに古い西部劇を使った駅馬車強盗の場面が出てきます、そしてビルの過去の経歴が文字で流れ・・・・・それがビル・マイナーが若い頃の時代を連想させる場面なのでしょう。そして一転サン・クエンティン刑務所を出るカラーシーンに・・・・・30年の服役で年とったビルが自由な世界に通じる出口に向かう晴れやかな表情にどことなく哀感がただよっている。

妹の住むワシントン州に向かう列車の中で乗り合わせた家庭用機械のセールスマンが熱っぽく語る現代事情に時代の変化を感じとるビル~妹との再会~生活のために妹の夫が紹介してくれた牡蠣(oister)拾いの単調な仕事をするビル~そして 休日に見た映画 「 大列車強盗( The Great Robbery Train )」に瞠目し 気持ちの高ぶりを抑え切れないビルの表情~そして拳銃を買い 兄の安定を願った妹には ”シャバに出るのが遅すぎた、自分には他人が用意してくれた仕事ではダメだ、血の気が多いのかな・・・北へ行く ” といって別れてゆく・・・・・ビルはまたアウトロー生活に戻るのだ-と暗示させる場面だ・・・・人生の盛りを過ぎたビルの姿には哀感が漂っている。

生きてゆくために気乗りのしないいくつかの仕事に就くが、知り合った仲間と とうとう列車強盗をやらかしてしまう-年はとっても度胸だけは満点なのだ。ここまで淡々と続くシーンで派手な音楽は全くなくて全体に哀感がただよっている・・・・・・演じるリチャード・ファーンズワース()のキャラクターがとてもよい。
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グランパ・ジョーンズ物語 (5)

2011年06月27日 | つれづれに
 
Sacred Song について・・・・・・

米国盤 King Records K-111  Brown's Ferry Four  Sixteen Sacred Songs Vol 2

(1)Will The Circle Be Unbroken (2)Just A Little Talk With Jesus (3)If We Never Meet Again (4)The Lord Is Watching Over Me (5)Everybody Will Be Happy Over There (6)Hallelujah Morning (7)When The Good Lord Cares (8)Over In The Glory Land (9)When He Blessed My Soul (10)I'm Naturalized For Heaven (11)When He Calls His Reapers (12)Throne Eternal (13)I'll Meet You In The Morning (14)Jesus Hold My Hand (15)We Should Walk Together (16)There's A Page In The Bible


日本盤 Monument Records M-1111  Grandpa Jones Remembers The Brown's Ferry Four

(1)On The Jericho Road (2)I'll Meet You In The Morning (3)When I Get To The End Of The Way (4)No Tears In Heaven (5)Gone Home (6)Turn Your Radio On (7)Keep On The Firing Line (8)Just Over In The Glory Land  (9)Old Camp Meetin' Time (10)Empty Mansion (11)The Glory Land Way


カントリー系( Country & Western, Bluegrass ) の音楽では昔から必ずといっていいほどセイクレッド ソングが出てきます。宗教的な-とか信仰に根ざした歌なので Country Music が好きといってもこの Sacred Song については私達日本人にはいまひとつ解りずらいところがあります。 Sacred song, Hymn, Gospel・・・・・などと呼ばれてメロディラインのきれいな曲がたくさんあって素晴しいと思うのですが、これがどういうことを意味するのか、呼び方が色々あるのは何か違いがあるのか、どういう時に歌われるのか、などはよくわからないです。 若い頃から歌う人もいれば、盛りを過ぎてからゴスペル専門みたいになった歌手など様々ですし、この手の歌をほとんど歌わないカントリー歌手もいます・・・・・「 懐かしの~ 」でいえばジミー・ロジャースをはじめボブ・ウィルス、ハンク・トンプソン、レフティ・フリッツェルなんか歌っていませんね。 また、欧米系の人達にはこの歌(賛美歌など)はこんな時に歌うのであってそれ以外では歌わない、歌ってはいけない・・・・・などの暗黙の決まりごとがあるように思えて 適当に歌っていると ”エッ、なんでこんな時に? ” なんてことがあるのではないでしょうか。

手がかりになるようなことが Browns's Ferry Four のアルバム解説に載っていました・・・・・・以下はその訳です・・・・・・

”What is the appeal of Sacred Music ?(セイクレッドソングの魅力とは一体何でしょう)”この問いかけに対してこれまでにも沢山の答えがありましたが今日この問いは依然として続いています。多分連綿として続くセイクレッドソングへの best answer の一つに ”Sacred Song はあらゆる信仰の人達に訴えかけるもので、これらの歌は音楽として作られたがゆえに音楽は永遠のものになりうるのだ、それは永遠に続くことになろう”というのがあります。これは大袈裟にすぎるように思われますが sacred song の詞と音楽にはそれを聴く人達との間にゆるぎない確かな継続性があることを思うと、セイクレッドソングが持つ永遠性すなわち何百年も続いてきながら今日でも同じように受け入れられるものであるということは否定できないものです。同様に同じ詞と音楽がこれから先何百年も受け入れられていくであろうことは容易にいえることです。

流行歌(flash song)はヒットパレードをパワフルに席巻してはすぐに新しい曲にとってかわられますが、 sacred music は何年にもわたって人気を保ち続ける-といったことがあります。毎年のように多くの新しい sacred song が生まれて すぐに世界的に受け入れられていきますが、その愛好者達のふるいに欠けられて生き残った歌というのはすぐに消えていったりはしません。流行歌のように新しい sacred song にとって代わられるなどということもないのです。このことは sacred music の特異なところです。セイクレッドソングの song list が増えることはあっても決して無くなることはないでしょう。多くの人にとって sacred song は創造的なもので、審美的な経験です。また別の人にとっては瞑想や平和を喚起させるものです。

sacred music は個人的なものです。それはある個人の聴き手のために書かれたものであり自分流に解釈されたものです。このアルバムでは色んな趣向に応えるべく16曲の sacred song をとりあげました。曲によっては創造的だったり審美的だったりですし喜びに満ちあふれたものだったり悲劇的なものだったりです。 解釈の仕方は今日ではレコードから得られるものでしょう。Sacred music の愛好者の間では The Brown's Ferry Four は何年にもわたってトップグループでした。

<ひとこと>
私の考えですが、解説の中に ” Sacred music is written for the individual listener to be translated in his own way. ” という文章がありますがこれが key sentense で、全てを言い当てているように思います。

ハンク・ウィリアムス作の一連のセイクレッド集とかクリス・クリストファーソン作の名曲 ” Why Me ”、古いカントリー歌手スチュアート・ハンブレン作の ”It Is No Secret ”とか ずっと以前にブログに載せたチッキー・ウィリアムス作の ” Beyond The Sunset (夕日の彼方に)” なんかもこの文章のように個人的に自分流の思いを託した歌だったものが多くの人に受け入れられたものなんだと思います。 有名な賛美歌だって大昔に遡れば同じような状況で出来た歌なんでしょうきっと。多くの人のふるいにかけられて残った歌というのは強いですね。
グランパ・ジョーンズには直接は関係なかったですが The Browns Ferry Four という過去のグループを通じて Sacred Song がどんなものであるかの一端を知ることが出来たように思います。 最後に赤いジャケットのレコードは後年になってグランパ・ジョーンズがその想い出として Monument Records 時代に出したものを日本のレコード会社が出してくれたものです・・・・地味な企画なのであまり売れなかったかもしれません(私も珍しいものとは判っていても発売当時買わなかったです、ずっと後になって500円位になっていた中古LPを見かけて買いましたが ほとんど新品同様でしたから買っていた人も何回もは聴かなかったんだと思う)

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グランパ・ジョーンズ物語 (4)

2011年06月27日 | つれづれに
 
Grandpa Jones 物語 (4)
・・・・・Brown's Ferry Four について  

米国盤 Gusto (Starday) Records SD-3017 Brown's Ferry Four ” 16 Greatest Hits ”

(1)Over In The Gloryland (2)Heaven Eternal For Me (3)When The Redeemed Are Gathering In (4)You Must Be Born Again (5)What Shall I Do With Jesus (6)Praise God! He Loves Everybody (7)The Arm Of God (8)Can't You Hear Him Calling (9)Everybody Will Be Happy Over There (10)Rock Of Ages Hide Thou Me (11)The Lord Is Watching Over Me (12)When The Good Lord Cares (13)Eternity Without Him (14)Bound For The Shore (15)If We Never Meet Again (16)Will The Circle Be Unbroken


オールドカントリーに興味を持っていると(何も Country Music だけに限りませんが)色々な関連があるので まるで木の枝葉が茂るように次々と面白そうなことが出てきます。 たとえば今回のグランパ・ジョーンズに例をとると 人物だけでもそこから・・・・ブラッドリー・キンケイド~Wendell Hall~カズン・エミー~マール・トラヴィス(往年の Country Guitar の名手)~デルモア・ブラザーズ(素晴らしいヒルビリーデュオの兄弟)、そしてM.トラヴィスからはカントリー・ギターについてとか~Joe Maphis や Johnny Bond 、Hank Thompson ・・・・・・といった具合に往年のカントリースター達へと無限につながっていって興味がつきません。それに加えてレコード会社や Grand Ole Opry だけでなくて Boone County Jamboree、WWVA Wheeling Jamboree といった沢山のカントリーミュージックショウもあって 未知のことがいっぱいです。 アメリカの Country Music の歴史はやがて1世紀になろうとしていますが、広い大地に色とりどりの人物、グループがいて・・・・・・と考えてくると Country Music の世界は昔から奥が深いことこの上ないものと感じます。日本では Country Music は超マイナーな領域なので音楽関係の本なんかもロックやジャズに比べたら1000:1( この数字、決して誇張だとは思いません )といってもいいでしょう・・・・・・一番アメリカ的なところが除外されていると思います。

さて、グランパ・ジョーンズ、マール・トラヴィス、デルモア兄弟の4人が 「 ブラウンズ・フェリーフォー 」なる Country Sacred Song を歌うグループを組んで活動したという話が出てきましたが、ちゃんと「 Brown's Ferry Four 」のレコードも過去には出されていたんですね。 私は再発盤ですが2枚だけ持っています・・・・・・ここに載せたLPレコードに The Brown's Ferry Four というタイトルで解説が載っていますので Grandpa Jones 関連として訳して載せることにしました。もちろん古い話なので書いてある内容もその当時のこととして理解してください。

Grandpa Jones (1913~1998年 ケンタッキー州出身 )
Merle Travis(1917~1983年 ケンタッキー州出身 )
Alton Delmore(1908~1964年 アラバマ州出身 )
Rabon Delmore(1916~1952年 アラバマ州出身 )

< The Brown's Ferry Four >

The Brown's Ferry Four. 北部アラバマにある小ちゃなコミュニティなのに有名、でもそんな場所が存在している-ということはほとんど誰れも知らないというのですから何とも皮肉なものです。
アラバマ州の Browns Ferry は有名なデルモア ブラザーズ( 兄 Alton 弟 Rabon )の誕生地で 2人が子供時代を過ごしたところです。兄弟は自分たちの故郷に誇りを持っており、彼等の初めてのレコーディング曲のひとつに ”The Browns Ferry Blues ” という大ヒット曲があるくらいです。 Brown's Ferry Four の半分はデルモア兄弟ですから この偉大なゴスペルカルテットが結成された時に(故郷の名前をつけて) The Browns Ferry Four という名前になったことは自然の成り行きといえるでしょう。残りの2人はケンタッキー州 Drakesboro 出身のマール・トラヴィス、それにマールの故郷に近いケンタッキー州 Henderson 近郊出身のグランパ・ジョーンズでした。

THe Browns Ferry Four のメンバーにいるグランパ・ジョーンズというのは全国放映のテレビショウ ” Hee Haw Show ”に出ているあのグランパと同じ人物なのか?・・・・とか ”Ole Rattler ”や ” Eight More Miles To Louisville ”等のヒット曲を出しているグランパと同じ人なのか?・・・・・と不思議がる人たちがたくさんいますが・・・・そうです同じ人物なんです・・・・しかも今年(1977年)The Country Music Hall Of Fame にノミネートされた本人なんです(グランパは1978=昭和53年に正式に選ばれた)。

The Browns Ferry Four でギターとバスボーカルを担当しているのは今年(1977=昭和52年)The Country Music Hall Of Fame に選出されたマール・トラヴィスでした。マールは国内で最も有名なギタリストの一人ですし、歌手としてもソングライターとしても多くのヒット曲をもっている人です。数ある曲の中でも ”Sixteen Tons ”、” Smoke, Smoke, Smoke ”、” Dark As A Dungeon ”はその一部です。

 The Browns Ferry Four が誕生したいきさつもほとんど信じがたいくらいのものです。1941(昭和16)年にデルモア ブラザーズはオハイオ州シンシナチの WLW 局にラジオ出演していましたが、マール・トラヴィスとグランパ・ジョーンズもそこのスタッフとして働いていました。各自それぞれの活動をしていたのですが、時々は WLW 局の土曜の夜に開かれる The Boone County Jamboree という Country Music Show に一緒に出演することがあったのです。

4人ともゴスペルがとても好きだったので同じショウに出逢わせた時にはステージやラジオ出演の合間に空き部屋を見つけては4人で歌い、時にはホールの通路でだったり、ショウの行き帰りのバスの中で-といった具合にマール・トラヴィスのギターに合わせて好みのゴスペル曲を歌ったのでした。この4人の若者によって醸し出されるクロスハーモニーとユニークなゴスペル曲 のことがすぐにラジオ局の番組制作者達の耳にもは入り、それをラジオ番組として流してみて 聴いている人達がどんな反応を示すかみてみよう-ということになったのでした。その結果 反響がすこぶるよくて 彼らの番組が WLW 局から放送されたものの中でも最も人気のあるショウになったのでした。 The Browns Ferry Four の急激な人気の高まりを聞きつけて、King レコード社からレコーディングしないか-ともちかけられたので4人もその申し出を受けたというわけです。。
以下はその後の History です。

The Browns Ferry Four が成功を収めたのは第二次世界大戦の最中でしたので Alton Delmore と Grandpa Jones は軍隊に入って従軍しました(グランパは陸軍に、アルトンは海軍に)、2人が帰国してみるとマール・トラヴィスはカリフォルニア州のハリウッドに移っていました。 グランパ・ジョーンズは Grand Ole Opry に加わり デルモア ブラザーズはテネシー州メンフィスの WREC 局へ行くことになりました。 こうして(4人が離れ離れになってしまった結果) The Browns Ferry Four のラジオ番組 は終わりを告げたのでした。

しかし、彼等は一緒にさらなるレコーディングを行なっています。テネシー州ナッシュビル(アメリカの Country Music のメッカ)での最後のレコーディングにはマール・トラヴィスは参加できませんでしたので マールの代わりのバスボーカルが必要だったために Hall Of Fame メンバーの中の誰かに頼む必要がありました。 ゴスペルが好きで しかも The Browns Ferry Four のスタイルに共感を寄せてくれる人物として Red Foley に白羽の矢が立って 彼が十分にマールの穴を埋めてくれたのでした。
このアルバムには Last Recording からレッド・フォーレーがバスボーカルで参加した3曲が含まれています・・・・即ち ” Everybody Will Be Happy Over There ”、” The Lord Is Watching Over Me ”、” When The Good Lord Cares ”です。このアルバムの素晴らしさは明らかにデルモア兄弟、マール・トラヴィス、グランパ・ジョーンズ の4人からなる ”The Browns Ferry Four ” が歌う Country Gospel 愛唱集にあるということができます。   ・・・・・・・・・・以上が解説です・・・・・・・次回に続く

<ひとこと> 聴いての感想は後日書く予定です
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グランパ・ジョーンズ物語(3)

2011年06月25日 | つれづれに
 
Grandpa Jones 物語 (3)

米国盤 King Records K-967 24 Great Country Songs That Will Live Forever

(1)Fast Moving Night Train (2)My Little Nagging Wife (3)Heart Stealin' Mama (4)Take It On Out Door (5)Chicken Don't Roost Too High (6)Ridin' On That Train (7)Darby's Ram (8)Come On Be My Rainbow (9)Happy Little Home In Arkansas (10)I've Been All Around This World (11)I Often Wonder Why You Changed Your Mind (12)The Bald Headed End Of The Broom (13)How Many Biscuits Can You Eat (14)I'll Never Lose That Loneliness For You (15)I'm Tying The Leaves So They Won't Come Down (16)You'll Make Our Shack A Mansion (17)Time, Time, Time, Time (18)Our Worlds Are Not The Same (19)The Feudin' Boogie (20)You Done Me Mean And Dirty (21)You've Come Back To Me (22)Going Down Town (23)Daisy Dean (24)My Old Red River Home

米国盤 King Records K-888 The Other Side Of Grandpa Jones 

(1)My Darling's Not My Darling Anymore (2)I'm Tying The Leaves So They Won't Come Down (3)Maybe You Will Miss Me When I'm Gone (4)Darling Won't You Love Me Now (5)Our Worlds Are Not The Same (6)Trouble, Trouble, Trouble (7)Tragic Romance (8)You'll Be Lonesome Too (9)She's Gone And Left Another Broken Heart (10)Are There Tears Behind Your Smiles (11)Call Me Darling Once Again (12)You Didn't Have To Leave Me (13)What Can I Do Without My Little Darling (14)You Never Can Be Mine


前回の続き・・・・・

グランパ・ジョーンズは1939(昭和14)年にウェストバージニア州 Wheeling を去り、いくつかの小さな放送局(WWVA局を含む)をまわった後1941年から1944年に軍隊に入隊するまでは the Boone County Jamboree() に落ち着きました。ごく普通の都市シンシナチ(オハイオ州)にしては別格の Boone County Jamboree は戦時中は刺激的なところでした。この地で彼はとてつもない成功を収めたのです・・・・・Ramona Riggins との出会いもそのひとつでした。 グランパ除隊後に二人は結婚、それ以来ラモーナは公私にわたってグランパのよきパートナーとなったのでした。彼女のハーモニー歌唱 、マンドリンやフィドル ( country style のバイオリン )、リズムギター、オートハープ演奏等が加わったことは音楽的に大変なメリットになったのです( Ramona Jones は優れた楽器のマルチプレーヤーです )。

オハイオ州のシンシナチは Syd Nathan が設立した King Records 社の本拠地でもありました。King レコードは 独立レーベルでしたが 次の20年間にはカントリーとブルースの分野でメジャー級のレコード会社に成長することになります。そして グランパ・ジョーンズとマール・トラヴィスはこの出来たての King Records 社に初めてのレコーディングをする栄誉にあずかったのでした。 彼曰く、「 私はレコードは初めてでしたがマールは経験済みでした。マールと私は the Sheppard Brothers と名のってデュエットをしたんですよ(2曲録音)。そして次は私の番で ”It's Raining Here This Morning ”と B面の ” I'll Be Around If You Need Me ”という曲をレコーディングしました。」・・・・とのこと。

マール・トラヴィスとグランパがデルモア・ブラザーズ( 兄 Alton と 弟 Rabon )と組んで the Brown's Ferry Four の名のもとに Sacred Song を King レコードに録音したのもこの頃でした。4人は珠玉の sacred country music のいくつかをレコーディングしたのですが・・・・・グランパ曰く、「 Alton Delmore が私達に音符の読み方を教えてくれたんですよ。 マールはのみ込みが早くてね、でも私は理解するのに長くかかりましたよ。誰に責任があるかをいうのはちょっと難しいですね。 でも、後年 TVショウ ” Hee Haw ”が始まった時に 私と Gordie Tapp、 Roy Clark、 Buck Owens の4人が Brown's Ferry Four と似たスタイルで古い音符のヒムを歌った楽しいひと時は素晴らしいものでしたよ。」

第二次世界大戦中は 多くのカントリーミュージシャンと同様にグランパも1944(昭和19)年に召集されてヨーロッパに出征しました。驚いたことに、ドイツのミュンヘンではさっそく音楽好きの軍隊仲間と Munich Mountaineers なるグループを組んで同僚の兵隊達を楽しませたのでした。  仕事を中途でやめて軍務についた者は退役と同時に元の仕事に戻れる-という戦時下の決まりがあったので 1946(昭和21)年に軍務を終えて除隊すると WLW 局の Boone County Jamboree に復帰したのです。しかし、そこでの受け入れ方があまり熱心なものではなかったので同年(昭和21)に Grand Ole Opry のオーディションを受けて採用され、そこに出演することになったのでした。 そして Pee Wee King のテントショウに加わって演奏ツアーを行なったのです。面白いことに、Bradley Kincaid がオープリーに来てテントショウを始めた時にはその元ボスのもとに馳せ参じて演奏したのでした。

1949(昭和24)年には Clyde Moody(ビル・モンローの初期 Bluegrass Boys にいましたが後に独立してカントリー歌手となり多くの Country Waltz を歌い The King Of The Country Waltz と称された人) や Chubby Wise(有名なフィドル奏者) 等と同じようにオープリーを去り、 Connie B.Gays の新興の Country Music 営業組織に誘われて Washington D.C. 地区に移って活動し、その後はバージニア州 Richmond にあるWRVA局の Old Dominion Barn Dance で Sunshine Sue というグループ に加わって1952~1956年まで出演したのでした。 1956年に Connie は再度グランパに声をかけて、非常に人気のある Jimmy Dean Show への助演を請うたのですが、グランパによると「 ロックンロールの連中がやって来てあっという間に目茶目茶にしてしまってね・・・・・ 」 それで1959(昭和34)年にはラモーナと共にオープリーに戻ったのでした。 それからというもの グランパ・ジョーンズはステージに、レコーディングに、” Hee Haw ” などのテレビショウに-と活発に活動をはじめて その人気が今日に到るも続いているのです(このレコードが出された1976=昭和51年時点での話)。
素晴らしいミュージシャンであると同時に節度ある紳士、働き者で幅広いエンターテナーでもあるグランパ・ジョーンズは 絶えず変化し続けて激しく流行に左右され続けるカントリーミュージック界にあって長年にわたって時代に順応しながら今日なお新鮮な Old-time music の香りを保ち続けているのです。
・・・・・・・・・・・・以上ここまでがLP「 Grandpa Jones Story 」の解説からでした・・・・・・次回に続く

<ひとこと> ここに載せたレコードは Grandpa Jones の初期 King レコード時代のものです。ただオリジナルではなくて King は後年 Starday レコード社と合併してさらに Gusto Records と代わっていったのでその時代に同じジャケットで出されたものです。私も初期の Grandpa Jones を聴いてみたい-と思ってずいぶん以前にアメリカの中古レコード屋さんから買ったもの、再発ものなので安かったです・・・・・ジャケットに Old Country の趣きがあってとっても気に入っています。はじめのLPには24曲も詰め込んであってさまざまなグランパの側面を知ることができます。アメリカ King Records 時代の音源がCDになっているかどうか・・・・私は知りませんし見たこともありません、彼のコメディアン的要素は you tube などの動画でないとわかりにくいかも知れないです


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グランパ・ジョーンズ物語 (2)

2011年06月20日 | つれづれに
 
 Grandpa Jones 物語(2)

米国盤 VL-3900 Grandpa Jones / Pickin' Time ( 日本盤 MCL-1040 )
(1)Eight More Miles To Louisville (ルイビルへ8マイル) (2)Don't Bring Your Banjo Home (バンジョーを持って帰らないで)(3)Dark As A Dungeon (土牢の如く暗く)(4)Waiting For A Train (汽車を待って)(5)Old Rattler's Pup (6)The All-American Boy (7)The Huntin's Over For Tonight(今夜の猟は終り) (8)Pickin' Time (9)Mountain Dew (10)Old Towser
米国盤 MCA Records MCAD-10549 The Country Music Hall Of Fame / Grandpa Jones
このCDには上記の曲の他に次の曲群が入っていて合わせて Decca レコード時代の全録音とのこと (11)When The Jones' Get Together (12)Falling Leaves (13)Daylight Saving Time (14)It Takes A Lot Of Living (15)Don't Look Back (16)Cindy


前回からの続き・・・・・・・

「 Cap & Andy 」として知られた Warren Caplinger と Andy Patterson の2人組プログループがオハイオ州 Akron でのラジオ出演中のルイス( グランパのことで以下同じ )を聴いて彼を雇ったのでした。結局3人はオハイオ州クリ-ブランドで「 Lum and Abner Show 」 のバックバンド the Pine Ridge String Band として終始したのですが、このグループのメンバーの中に ” Bashful Harmonica Joe ” として知られる Joe Troyan がいました。 ルイスと Joe Troyan のふたりは当時のトップカントリー歌手( 当時はヒルビリー歌手と云われたんでしょうきっと ) の一人である Bradley Kincaid (1895~1989年ケンタッキー州出身)に雇われます・・・・・B.キンケイドがマサチューセッツ州ボストンのWBZ放送局での演奏活動に必要だったために2人を週給50ドルで雇ったのでした。 Bradley Kincaid と一緒の時代は若いルイスにとって実りの多い時代で、真のカントリーミュージックの entertaining とはどういうものであるか-を知り学ぶ機会になったのでした。ブラッドレー・キンケイドは当時 絶頂期にあったにもかかわらず Country Music の歴史の再考という中では今日 不当に見逃されてきている人物でしょう。 Louis Marshall Jones がたまたま出会い、以来知られるようになった the Grandpa というキャラクターのスタートは彼の20代初期の まさにこの時代にあったのでした。

旅に追われ、夜にはよりよいパートのステージをせまられたうえに早朝の B. Kincaid のラジオショウに出なければいけなかったルイスは 時としてマイクに向かってしわがれ声になったのでしょう・・・・ ”ちゃんと古いマイクロフォンに向かえよ、お前さんの声はまるでおいぼれ爺さんの声みたいじゃないか!” というキンケイドからのお叱りの言葉がかかったのですが、ルイスの声はいっこうに変わらなかったことから もともと老人みたいな声だったんだろうと思われたのでした。 そうこうするうちにラジオを聴いたあちこちの聴衆から ”彼は一体いくつなんだ ”という問い合わせの手紙と葉書が殺到してきたのでした。 こうして ”Grandpa ”としてのキャラクターが誕生したのでした・・・・・彼22才の時のことです。

ひっきりなしの演奏旅行に疲れ果てたグランパは 1937(昭和12)年に Bradley Kincaid の元を去り ウェストバージニア州 Wheeling にある WWVA Jamboree のキャストとして参加しました・・・・・はじめは the Rhythm Rangers の一員として、その後はコメディアンとしてでしたが、やがて Hamlin's Wizard Oil をスポンサーとする 自身のラジオショウ番組を WWVA 放送局で持つようになったのでした。彼にとって Wheeling 時代はとても重要な時代でした・・・・・というのは、ここで歌手、作曲家、バンジョー奏者として有名な Cousin Emmy (1903~1980年ケンタッキー州出身)に出会ったのです。 彼曰く、「 彼女の thumb string lick のバンジョー演奏はこれまで聴いた中で最高だったよ。 Emmy を追っかけに追っかけてね ついに彼女から演奏法を教えてもらえたんだよ 」・・・・とのこと。 それまではギターだけが持ち楽器だったのですが ここに banjo が加わることで「 完全な Grandpa Jones スタイル 」が完成することになったのでした( the full Grandpa Jones persona of today と表現 )・・・・・・・・・・次回に続く

<ひとこと> 今回のレコード&CDは端的にグランパ・ジョーンズのスタイルを知るにはうってつけのアルバムだと思います、多くの曲でバンジョーも弾いています。 代表曲の ”Mountain Dew ” も入っていますし、ジミー・ロジャースの ”T For Texas ”、そしてマール・トラヴィス作のシリアスな曲 ” Dark As A Dungeon ” が秀逸でここでのハイライトではないでしょうか?
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グランパ・ジョーンズ物語 (1)

2011年06月15日 | つれづれに
 Grandpa Jones 物語 (1) 
米国盤 CMH-Reecords CMH-9007 The Grandpa Jones Story (2枚組)

(1)Sweet Dreams Of Kentucky (2)My Carolina Sunshine Girl (3)Jesse James (4)Raining Here This Morning (5)Eight More Miles To Louisville (6)Tragic Romance (7)Kentucky (8)Old Rattler (9)Mountain Laurel (10)I'm On My Way Back Home (11)Sweeping Through The Gates (12)There's A Hand That's A-Waiting (13)Old Camp Meeting Time (14)Closer To God Than Ever Before (15)I'll Meet You In The Morning (16)You'll Make Our Shack A Mansion


最近いつも持ち歩いていた英和辞典とグランパ・ジョーンズのレコード解説記事コピーのおかげで 今回の不慮の入院中は暇つぶしに翻訳をすすめて退屈しのぎになりました。
グランパ・ジョーンズは Country Music の世界では実に得がたいエンターテナーでしたので 既にご存知の方も今回初めて知った-という方にも原文をなるべく省略しないで できるだけわかり易くするために私なりに調べた補足(*)を入れながら4回に分けて載せることにしました。

Story の源は1976(昭和51)年にアメリカのCMHレコード社というところから出された「 The Grandpa Jones Story 」なる2枚組LP(写真)の解説です・・・・・現在カウボーイコーラスグループ Riders In The Sky のリーダーとして活動している ”レンジャー”ダグ こと Douglas B Green が書いているんですね。 それに1992(平成4)年にMCAレコード社( 昔の Decca Records )から The Country Music Hall Of Fame シリーズの一環として出されたグランパ・ジョーンズのCD解説 ( 写真は次回載せます ) を加味しましたので Country Music の歴史の一面を知るという意味で楽しんでもらえると嬉しいです。 グランパ・ジョーンズのスタイルは現代の Country Music 界では lost art になってしまったものですが、若い頃から田舎のお爺ちゃんスタイルにメーキャップしてバンジョーをかき鳴らしながら陽気に歌うパフォーマンスがどのようにして誕生したのか-が解って興味深いものです。

私もグランパは大好きでレコードもけっこう集めました・・・・・レコードは手持ちのものからデジカメ撮影して載せました。    以下訳

Grandpa Jones はカントリー ミュージックの世界では最も忘れ難いキャラクターでしょう(always been something of an enigma とも表現)。世界で最も有名なバンジョー奏者のひとりでしたが、プロになって8年たった1937(昭和12)年になって初めてバンジョーを弾き始めたのでした(それまではギター)。いまや彼も本物のお爺ちゃん(grandfather) になってしまいましたが、このカラフルでユーモラスなケンタッキー人は22才の頃からステージ上で自分の年齢よりもずっと昔の時代人を演じることに人生の大半を費やしたのでした。 Old-time Country Music の大家の一人でもあり、時にはドタバタ喜劇 時には ” Hee Haw ” のような巧みなテレビショウなどに携わってきたことに誇りをもっている人でもあります。しかし、こうした謎めいた人物を端的に説明しようとする時 昔の学校のエンターテナー(先生?)に例えるといいでしょう-即ち懸命に働き、とても多芸多才でとりわけ適応力があるということ。彼の50年に及ぼうかというキャリアの中で抜きん出た人気の持続の秘密がどこにあるんだろう-と説明するならそれは持ち前の適応能力にある-といえると思います。

Louis Marshall Jones は1913(昭和2)年10月20日にケンタッキー州北西部の小さな町 Niagara に10人兄弟姉妹の末っ子として生まれました。彼のルーツはどんなカントリー歌手よりも Country(田舎)だったといえるでしょう・・・・・子供時代のジョーンズ家は家を持たず ケンタッキーやオハイオ河を渡ったインディアナ州 Evansville 近郊で小作人として あるいは材木の仕事に従事してあちこち転々と移動する生活だったといいます。この時代とこの地域の多くのファミリー( すぐに思いつくだけでも Bill Monroe 、Merle Travis 、Everly 兄弟など )と同じように彼の家族にも多くのアマチュア音楽家がいました・・・・・父親の David Clifton Jones は Old- time fiddler(カントリースタイルのバイオリン奏者) でしたし、母親も old-time fiddler の娘で 彼女自身も演奏したといった具合です。 両親の影響もさりながら、彼が初めて真に音楽的な感化を受けたのは製材所のオーナーの息子達からでした・・・・・すなわち Wilbert Howard が弾くギターと Joe Lee Howard が弾くアコースティック ハワイアンギターです。ライブ音楽の楽し味を知ったのもこの頃でした。  彼が人前で演奏する経験をしたのは11才頃のことで、近所に住む Miff McKinley という名のギター&ハーモニカ奏者と組んでダンス会場で演奏したのが初めてでした。母親が Cheap John's と称する店で75㌣くらいのギターを初めて買ってくれたのもこの頃でした。  稼ぎのよかった兄達からの手招きで彼が10代の頃にジョーンズ家はオハイオ州 Akron に移り住んでいます。

シカゴの WLS Barn Dance (1924=大正13年にイリノイ州シカゴで始まったカントリーミュージックのラジオ番組で Grand Ole Opry の前身になったもの)から流れる音楽と 姉が買ってきたジミー・ロジャースのレコードは彼に大きな影響を与えました。当時、ミュージシャンを目指す数多の人達と同様に 彼もジミー・ロジャースの Blue Yodel を真似てヨーデルの訓練に余念がなかったのでした。その結果ヨーデルのテクニックは上達し、今日に至るまで唄っているのです。 彼曰く、「 ジミー・ロジャースの唄はステージにあがる毎に今でも歌っているよ。”My Dear Old Southern Home ” なんか特にね 」とのこと。 1923年に ”It Ain't Gonna Rain No More ”という唄をヒットさせて自らを ”The Red Headed Music Maker ”と名乗った Wendell Hall (1896~1969 年カンサス州出身のカントリー歌手の草分けの一人、今ではほとんど忘れられていて私も初めて知りました) が歌手兼ホスト役を務めるタレントコンテストに出場して、当時流行りだった Jimmie Rodgers Song のギター、歌、ヨーデルを認められて優勝し50ドル獲得したのは1929(昭和4)年のことでした。 その時歌ったのは ” Going Back To Texas ” と ” My Dear Old Southern Home ”の2曲で・・・・・思い出しながら曰く、「 50ドルもらってね、そりゃもうすっ飛んで行ってもっと上等のギターを買ったもんさ 」・・・・・とのこと。

コンテストに優勝して有名になると すぐにダンスやハイスクールでの集まりのほか、ノーギャラではありましたが Akron の WJW 放送局で「 Young Singer of Old Songs 」という早朝番組の仕事が舞い込んできたり、その地区で夜の出演契約も結ぶこともできたのでした。

彼が歌った唄は the Vagabonds (1920年代のカントリーバンドでポップスとカントリーを mix した初めてのバンドといっていいもので 後のC&W music に影響を及ぼしたと言われるそうです) のセンチメンタルな唄とか Bob Nolan のペンになる the Sons Of The Pioneers のカウボーイクラッシックソング、 それにもちろんジミー・ロジャースの Blue yodel song といった 当時のモダンソングだよ-と彼自身が強く主張しているものですが、自ずと ” Old-time ”と呼べるものでした・・・・・・・・・・・次回に続く

<ひとこと> このレコードは十八番の ”Mountain Dew ”が入っていないとかでグランパ・ジョーンズの Best Of とは云えないんでしょうが彼の音的な歴史となっているようです。解説の後には各曲についてグランパ自身が語ったコメントが載っていてこのレコードをより一層豊かなものにしています。大変いいものでCDにもなっているかも知れません
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つれづれに (レコードジャケットはいいな)

2011年06月12日 | つれづれに
   
今回の急な入院で 死にかけてしまいましたが、私の blog 「 懐かしのカントリー&ウェスタン 」 にはまだまだたくさんの思い入れがあって ちょっとマニアックかなぁ といったものは避けてきたきらいがあります。 でも今回のことで そんなことは気にせずにどんどん載せておきたいと思うようになりました・・・・・昔の Country & Western のレコードで自分なりに好きで集めたり見たり聴いたりしてきたことを忌憚なく出して若い人達に ”温故知新 ”として繋がればいいかなとも思います。 写真のジャケットは私の入院中に友人のジョニーK君が見舞いに来て ” コレでもながめて元気をだしな ”・・・・と置いていってくれた日本盤レコードです・・・・・入院中だから聴けるわけないのに ジャケットを眺めているだけで何となく癒されて元気が出ます・・・・これってレコードで育った世代の特徴かなあ(smile)。 それにしても古いものばっかりです、私たちが若い頃には買えなくて眺めるだけの時代のレコード・・・・・でも眺めるだけで音が想像できる それこそ ”懐かしのカントリー&ウェスタン ”なんですね、昔買えなかったレコードに出逢ったとき思わず買ってしまうというのもわかる気がします。
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ヴァーノン・オックスフォード ハンク・ウィリアムスを歌う

2011年06月11日 | ハンク・ウィリアムスを歌う
  Vernon Oxford (2)
英国盤 Meteor Records SKYL-7002 Vernon Oxford / A Tribute To Hank Williams


(1)Kaw-Liga (2)Your Cheatin Heart (3)Hey Good Looking (4)When God Comes And Gathers His Jewels (5)Baby We're Really In Love (6)Wedding Bells (7)Cold Cold Heart (8)I Saw The Light (9)Setting The Woods On Fire (10)I Can't Help It (11)You Win Again (12)Jambalaya (13)I'm So Lonesome I Could Cry (14)Mansion On The Hill (15)The Funeral


久し振りの 「 ~ハンク・ウィリアムスを歌う 」 アルバムです。
以前 不運なカントリー歌手ヴァーノン・オクスフォード (1941年~現在 アーカンソー州出身 ) の記事を書いた時、最後のほうで彼には「 ハンク・ウィリアムスを歌う 」というアルバムがあって いつか欲しいなと楽しみに探したい-みたいなことを書きました。 ところが 驚いたことに私が仕事で行き来する鹿児島にこのLPレコードを持っている方がおられたのです、しかも知っていてたまにお会いする方だったので2度ビックリしました・・・・・クリス宮脇さんというカントリー好きの 私と同年代の方です。
今回 私が不慮の入院生活を余儀なくされたことを知って元気づけようとこのアルバムをもってお見舞いに-ということだったらしいのです。退院した後でしたが 私はこのことを知ってとても嬉しくて、有難くて感謝の気持ちでいっぱいです・・・・・どんな薬よりもよく効いた気分がしますよクリスさん。

私宛のメッセージが入っていましたがいつも Blog を見てくださっているようで 平成22年12月に載せた ” ヴァーノン・オクスフォード ” の記事を見ていつか渡そうと思っていた・・・・とのこと。 クリスさんが30数年前に京都のカントリー専門店で買ったものだそうで、 ”若き日のカントリー少年がジャケットで決めて買い求めた1枚です ” とありました。世の中には似たような経過で Country & Western が好きになった人がいるんですね・・・・・このレコードは単にカントリーが好きというだけではなくて、Hank Williams に強い思い入れがあるとか Vernon Oxford というカントリー歌手に注目するとかの 気持ちがないと買うようなアルバムではない気がします・・・・・クリスさんは筋金入りのカントリーボーイなんですねきっと。

ヴァーノン・オクスフォードは1965(昭和40)年にアメリカ RCA レコード社からデビューしています。しかし、時代は甘美なナッシュビルサウンド全盛時代だったためにアナクロニズムなカントリーが敬遠されて時流に乗ることが出来ずに消えていったのでした・・・・・ところが、ヴァーノンの Country Feeling に惚れこんだイギリスのあるカントリーファンが彼をイギリスに呼んでレコーディングさせて復活した-といういきさつがあったのでした。
このレコードはアイルランドのダブリンで録音された-と記されています・・・・・解説も、musician の記載も全くないのでどういう意図で録音されたのか判らないのですが やはりヴァーノン・オクスフォードのもつ Hank Williams Style の雰囲気に焦点を絞った企画だったのでしょう・・・・・彼のコメントのような何かメッセージでもあればよかったのに-とちょっと残念。

さて内容の方はといいますと ハンク・ウィリアムスの代表的な曲が並んでいて、始めと最後にちょこっとヴァーノンのお喋りが録音されています、口数が少ないのもこの人の特徴なんでしょうか。 ハンクの曲群の中で比較的珍しいのは(4)When God Comes And Gathers His Jewels と(5)Baby We're Really In Love Again それに 語りだけの(15)The Funeral だと思います。 彼は Hank Williams の熱心な信奉者だったらしくて声の質、歌い方ともまさにハンクスタイルで、このレコードのバックの演奏形態もスティールギター、フィドル(カントリースタイルのバイオリン)、ピアノ、ドーブローギター(電気増幅のないスティールギターみたいなもの)、エレキギター、ドラムスといった編成で曲によって楽器が使い分けられていますがバックコーラスも入れない全くの純カントリースタイルになっています ( Steel Guitar が素晴らしい )。 ヴァーノンの歌い方がストイックなまでに core なので一般受けはしないかも知れません・・・・・単品のCDとして出れば売れそうな気がしますが不明・・・・・アメリカには地道に我が道を行くみたいなこんなカントリー歌手もいるんですね、「ハンク・ウィリアムスを歌う」集では以前とりあげたD.L.メナードという Cajun Country Singer と似たり寄ったりで 純度100%という感じです。 

私は(1)Kawliga と(4)When God Comes And Gathers His Jewel (9)Setting The Woods On Fire (10)I Can't Help It が気に入りました・・・・・単品のCDとして出てくれるといいのになぁ!!
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つれづれに ( 私の西部劇ベスト11作品 )

2011年06月06日 | つれづれに
9月12日(金)仕事帰りに近くの飲み屋さんに寄って一杯飲んで帰ろうと思って行くと職場のT君が来ていた。映画好きのT君と話をしているうち西部劇映画の話題になって・・・・・近々西部劇好きのMさんという方が絵の個展を開かれるので来ませんかという、なんでもその絵が全て西部劇に関するものであるという話・・・・・僕は ”今は昔 ” になってしまった西部劇について採り上げてくれる人がいることに嬉しい気持ちになった。

数日してT君が 「 Mさんからです 」 と一冊の本を戴いたのがこれです・・・・・いやぁ~嬉しかったな、大感激。 この本の存在は知っていたものの、西部劇好きの人達が作ったごく内輪のもので 書店に並ぶような本ではない・・・・と知っていたので諦めていたのです。2003(平成15)年7月発行とあります・・・・早速見てみると、戦後にあった「 牧童 」や「 西部劇通信 」 といった会報誌で活躍された先輩方が再結集してその思い入れの記事を載せたものでした。 表紙の写真が素晴らしくてジョン・フォード監督を中心に「 荒野の決闘 」出演の人達の集合写真。     

さて、中に編集に携わった方々がそれぞれ西部劇 Best 10 を書いておられます・・・・その中に、”先輩達に混じって「 駅馬車 」が上だ、いや「 荒野の決闘 」だとやり合うのは身分不相応、よって可愛らしくTV西部劇にしました ”・・・・・という方がおられました。 思わず私も同じ気持ちがするなあ-と思ってしまいました。 もちろん名作といわれる西部劇は再公開とかの機会に映画館で見てはいるのですが、終戦~1950年代の時代の風を感じながらリアルタイムに見た先輩達に比べれば 団塊の世代に属する私はどうしても遅れて来た世代といわざるを得ないもの・・・・・・・で、ちょっと真似してそうした名作を除いて1960年代初め頃にリアルタイムで見て面白かった私の ”曖昧な ” Best 10を・・・・と試みてみた次第

(1)ガン・ファイター・・・・・・カーク・ダグラスが口笛で吹く ”黄色いドレスの女の子 ”を覚えている。よかったもう一度見たい
(2)西部開拓史・・・・・・・・・・・女優のキャロル・ベイカーが一番きれいだった頃、70ミリ大作で当時ワクワクして見ました
(3)リバティ・バランスを射った男・・・・・・悪漢リバティ・バランス役のリー・マーヴィンの存在がこの映画を引き締めている
(4)昼下りの決斗・・・・・・・ジョエル・マクリーとランドルフ・スコットをリアルタイムで見た最初で最後の映画
(4)ダンディ少佐・・・・・・・・・マーチ調の映画音楽も覚えています、チャールトン・ヘストンの騎兵隊姿がかっこよかった
(5)モンタナの西・・・・もう一度見たい ! 最近知人のランディ衛藤さんから米国版DVDをいただきましたが夢が壊れそうな気がしてまだ見ていません・・・Eさんゴメンナサイ

(6)栄光の野郎ども・・・・・騎兵隊映画でした、もう一度見たい
(7)墓石と決闘・・・・・・・・・OK牧場の決闘の後日談ということですが 当時はそこまでは知らなかったので興味津々で見ましたが・・・・よかった
(8)太陽の中の対決・・・・・ポール・ニューマンの異色作でとてもよかった 好きな作品
(9)ウィル・ペニー・・・・・チャールトン・ヘストンが初老のカウボーイを演じる切なくなる西部劇だったけれど余韻の残る作品で大好き                 
(10)ラスト・シューティスト・・・・ジョン・ウェイン最後の西部劇
(11)トゥームストン・・・・1990年代の西部劇としては出色の面白さ

僕は若い人達にも西部劇はいいよ、沢山見るほどにその良さが解ってくると思う・・・・・といって勧めています。
T君、Mさん有難う、作品展必ず行きます

(コメントを頂きましたので2008=平成20年9月16日の記事を前にもってきました・・・・新たにすこし書き足しています)
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はじめての入院(医療の仕事 3)

2011年06月05日 | 医療の仕事
はじめての入院

仕事で博多と鹿児島を行ったり来たりする生活をもう10年続けていますが、先月 出先の鹿児島のホテルで朝 大量吐血して救急車で運ばれて出血性胃潰瘍で2週間入院生活をよぎなくされました。 
吐き気があってそれこそ便器に顔を寄せての小さな洗面器満杯くらいの新鮮血、凝血塊の吐血。鏡で自分の顔を見るとまるで血の気の無い白壁のような色だった ”癌か ” と思ったのがはじめの感想・・・・・立ち上がることが出来ずに這っていって勤め先の院長に電話をするのがやっとだった。ショック前状態になり救急車の中で生まれて初めて「 死ぬかもしれない- 」 と実感しました。救急車の中で 自分の身体からスッと抜け出ていくような体験をしましたが、後で思うと死ぬってそんなことかもしれないなと思ったものです。 
幸い適切な処置をしていただいて元気に回復し、あとは抗潰瘍薬の継続と食事の時よく噛むことの指導を得て昨日(6/4)退院・・・・・今回のことがあってたくさんの方にお見舞いを頂いたりお世話になりました。必ずしも私のグログを見て下さっている方々ばかりではありませんがこのページにも感謝の意を書いておきたく思います。東北大震災もそうでしたが、個人的な今回の出来事で生活スタイルや意識の変革を・・・・・といろいろ考えさせられました。 健康の有りがた味をこれほど感じたことはありません

尚、入院でブログ更新ができない間にコメントを頂きました ” 夢でいいから ” 様には返信ができなくて本当に申し訳ありませんでした・・・・・昨日はじめて目にして古い記事へのコメントでしたのでよく見てそれぞれに返信を寄せたいと思っています(謝)
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