アラン・ラッド
毎週 博多から鹿児島への新幹線での単身赴任の生活をしているので車中では寝ているかCDで音楽を聴いているか、本を読んでいるかでその時の体調に合わせてしている。今日は川本三郎さんの文庫本をひろい読みした。前から積読(つんどく)状態だった古本1冊「ハリウッドの黄金時代」、ほとんどが女優さんですが男性のスターとしてアラン・ラッド、ケーリー・グラント、ゲイリー・クーパーの3人が載っている。中ではアラン・ラッドの小伝が珍しい。昭和生まれの人なら西部劇「シェーン」で有名なことはみんな知っているはず・・・・平成生まれの人達には知られているのかどうかは自信がありません。
私もアラン・ラッドについては西部劇「シェーン」でしか知らないんです・・・でも川本三郎さんが書いているこの本には彼の素顔が書いてあるんですね、ざっとこんな具合です。
・アラン・ラッド 去り行く男
・1913~1964年アーカンソー州で貧しい家庭に生まれた。5歳の時に父親は死に、再婚した母親はその後に自殺した・・・といった逆境にあってアラン・ラッドはさまざまな職業をアルバイトとして経験しながらハイスクールを出た。俳優を志したが下積みの生活が続いた
・25歳の時に元女優で当時ハリウッドで俳優のエイジェントとして活動していたスー・キャロル(後に二人は結婚)と出会ってから俳優らしい役を得るようになった。低予算の映画に多数出演。
・代表作は1953(昭和28)年にジョージ・スチーブンス監督によって作られその年に公開された西部劇「シェーン」。西部劇には珍しい静かな演技で世代を越えた多くの人々に愛された。
・「シェーン」は見るたびに違う新しい発見を与えてくれる。
・アラン・ラッドは批評家からは「大根、無個性」と批判され演技力のない”映画会社によって作られたスター”とみなされた、彼自身もハリウッドの黄金時代をひたすら優等生として生きた
・アラン・ラッドはスターになってからファンレターに返事を書くことで有名だった
・身長172cmとアメリカ人としては低くて彼のコンプレックスであったらしい
・1947(昭和22)年にはじめてマネー・メイキング・スターのベスト10に入った人気絶頂にあった時でさえファンの前に出ることを嫌がったとのこと
・晩年は睡眠薬の常用者となり1964(昭和39)年に50歳で死んだ
川本三郎さんが最後に次のように書いておられます・・・・・
「背が低いというコンプレックスに悩まされ他人の前に姿をさらすことを嫌ったメランコリックなアラン・ラッドにとって唯一の心休まる場所はカリフォルニア州の高原地帯に買った牧場だったという、この人里離れた牧場でだけ素顔を取り戻すことができたのかも知れない。アラン・ラッドの生涯を振り返ったうえで ”シェーン ”のラスト・シーンをもう一度見ると、その孤独な終り方に感無量になる 」・・・と。
*「シェーン」は繰り返しビデオ、レーザーデスク、DVDと発売になっていました。ひところBlue-ray discの日本盤がでるという話でしたが結局立ち消えになりました。あまりにも安価なDVDが出回っていたせいでしょうか。私は中古屋さんに外国盤のブルーレイが500円で出ているのを見つけて買いました、日本語字幕が付いているのが嬉しいです。 これからの若い世代にも「シェーン」は見てほしいなあ