西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

西部劇 ー1ー( ゲイリー・クーパー西部劇 ” 真昼の決闘 ” )

2014年02月24日 | 西部劇映画

 
真昼の決闘 ( High Noon )・・・・・(1) 
監督: フレッド・ジンネマン 1952年制作 映画 1953(昭和)年日本公開  モノクロ


この映画は個人的には一番好きな西部劇です。映画館だけでなくて図書館の催し物の映画会やビデオ、LD、DVDなども入れると12~13回は見ていると思う。
<ストーリー>
西部の町ハードレイヴィルのある日曜日、保安官ウィル・ケイン(ゲーリー・クーパー)とエミー(グレース・ケリー)が結婚式を挙げる日に昔ウィルが監獄に送り込んだ無法者フランク・ミラー(アイアン・マクドナルド)が釈放されたとの電報が届く、しかも弟ベン・ミラー(シェブ・ウーリー)と子分2人を連れて仕返しに来るという・・・・・ここから俄然緊迫感がただよってくる。 一時は夫婦で町を去ろうとするが逃げ切れないと判断したウィルは町の人達の協力を得て迎え撃とうと決断するのだった。しかし昔とは状況が違って誰れ一人として町の人達の協力が得られず、友人達にも見離されて結局一人で迎え撃つはめになるのだった・・・・・迫り来る危機に覚悟を決め、遺書を書き迎え撃つ孤独の保安官ウィル・ケインの運命は・・・・という訳で ムダのないスピ-ディな展開で今見てもハラハラする面白い作品。    
もう語り尽くされているんでしょうが、私なりの見どころとしての意見・・・・・

(1)ジョン・ウェインやクリント・イーストウッドのスーパーマン的西部劇と違ってここでの保安官は迫りくる恐怖感に額に汗して苦悩する普通の人間保安官として描かれていること 
(2)ウィルが新婚にもかかわらず ” 逃げる訳にはいかない ” とエミーに告げて男の意地を通すところ・・・・根本的なところでの男女の考え方の違いがでている( ただ、エミー自身も過去に親兄弟を拳銃沙汰で殺された過去があって非暴力主義のクエーカー教徒になった経緯がある )(写真1)(写真2)   

(3)鋭い目つきと不敵な面構えの悪役達がこの作品を引き締めている・・・・・二挺拳銃の二人( 写真3=タバコをくわえているのがリー・ヴァン・クリーフ、真ん中はボブ・ウィルク)、右はシェブ・ウーリー。 後年マカロニウェスタンで成功することになる若き日のリー・ヴァン・クリーフ、親分の到着するまでハーモニカなんかを吹いている
  
(4)豊富な脇役陣・・・・・町長役のトマス・ミッチェル(写真4)、保安官助手役のロイド・ブリッジス(写真5 私の世代ではTVドラマ ” 潜水王ネルソン ” の主役で有名です )、メキシコの妖艶女優ケティ・フラド=この頃が一番綺麗だったのではという気がします・・・・・など(写真5)
   
・・・・もっと前の世代の人達には他の俳優さん達(写真6) 協力の要請に居留守を使う友人=ヘンリー・モーガン、フランク・ミラーを裁いた検事=オットー・クリューガー(写真7)、前任の保安官ロン・チャ二ー(
写真8)なども挙げるんでしょうけど
   
・・・・・何回も見ていると脇役陣が気になってきますし、覚えてしまいます。 

(5)カントリー・ミュージックに興味のある人には ウィルが助っ人を求めて訪ねる教会で皆が歌っているシーンの曲が ” The Circuit Ridin' Preacher (巡回牧師の唄)” という Sacred Song かな?? ということと最初に射たれる悪漢ベン・ミラー役が古くからのカントリー歌手のシェブ・ウーリーだということ・・・・・この人オクラホマ出身のカウボーイで 1960年代のTV西部劇 ”
ローハイド ” で牛追いの斥候ピート・ノーラン役でレギュラー出演していたので年配の人達は知っている人も多いと思いますが、他にも多くの西部劇に出ているようです。 それに何といっても興味深いのは映画の主題歌を当時のカントリーのスター歌手テックス・リッターが歌っていることでしょう・・・・・Do not forsake me oh my darling~On this a wedding day~と歌う歌詞の内容を追っていくと自ずと映画のストーリーが判るようになっています、これについては Part 4 で述べる予定です。  

(6)最後の撃ち合いは隠れたり追われたりしているうちに一人一人倒してゆくという全くリアルなタッチで描かれており、手に汗握る展開・・・・・時代が進み、カメラ、技術などがいくら進歩してもこれだけの力のある作品はそう現れるものではなく、やはりフレッド・ジンネマン監督の力量によるところ大なんだなぁと感じます。

イヤァーまさに西部劇の名作にふさわしい。
私が映画館で見たのは何回目かのリバイバル上映の時で、その時ゲーリー・クーパーの名前も覚えました(それ以前に6才の頃父にくっついて行って見たらしい・・・でも全く記憶なし)。 その後 機会ある毎に見ていると・・・・男女の複雑ないきさつなんかも大人になって初めて解かる・・・・・てなところもあって別の面でも結構深みのある作品だと感じます。


ところで前出の映画評論家 児玉数夫さんの「 西部劇大鑑 」(写真9) によると ” この傑作は昭和30年、日活によって時代劇化された ”・・・・・と書いてありました、ワァー何という映画なんでしょう・・・( 題名が書いてないので判りませんが )見てみたいもの・・・・・

今の時代に西部劇が全く映画から消えて久しいのですが、この「 真昼の決闘 」や「シェーン」 などを見るかぎりにおいては西部劇が廃れた理由にインディアンの人権がどうのこうの-なんていう理屈は当てはまりません。 現代でも問題なく作れるような内容ですから、監督の力量によるところ大だと思うのです・・・・・刺激の強いものでないと受けないという見る側の意識の変化も大きいでしょう、結局 時代が進めば何でもよくなるかというとそうとは限らない-という気がします。
それにしても西部劇不毛の時代があまりにも長すぎました(1980年代頃でも既に言われていたことですが )・・・・・昔 栄えた数々の西部劇作品、大勢いたファンは( 女性ファンもけっこうおられました )一体どこへ行ってしまったんでしょう? 
「 真昼の決闘 」は永遠に西部劇名作ベスト10として存在し続けることでしょう・・・・・   

トップの写真はレーザーディスクのものですが映画の中には無かった写真です・・・・宣伝用のものなんでしょうか・・・      <Part2へ続く>
(古い未掲載記事で2008=平成20年1月6日のものを)

コメント (8)
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つれづれに(映画”永遠の0を見た”)

2014年02月03日 | つれづれに
映画 ”永遠の0(ゼロ)”を見た


話題の映画「永遠の0(ゼロ)」を見た。
戦前の日本海軍の主力戦闘機だった「零式艦上戦闘機(零戦)」搭乗員の話、太平洋戦争開戦から終戦間際の神風特攻隊、そして戦後に到るある搭乗員の経緯を追った物語。現代に生きるある姉弟が自分達の祖父が特攻隊に志願して死んだことを知り、その関係者(特攻隊の生き残り)を訪ねて真相を知るまで-を途中にその時代に生きた人達の回想映像を入れながら辿ってゆく形式になっている。

先づは零戦の航空母艦からの発着、爆音を轟かせての飛行、空中戦の模様などまるで自分が戦闘機に乗っているような感覚におちいる真に迫る映像に驚かされます、でも内容は悲しい物語なんですね。その時代に生き、戦争で戦わざるを得なかった若者達の苦悩が描かれており心を打ちます・・・・・戦争の悲惨さを描いた作品と思います。この映画を戦争を賛美している-ととる人がいれば映画を見ずに言っているかよほどひねくれた捉え方をする人でしょう。

若い弟の方が久し振りに友人達に会い、若い女性達との合コンの場で「特攻隊なんて自爆テロと一緒だろう」と言われて「違う!一般人を巻き込んで殺すようなテロとは違う!」とムキになって反論する場面がありますが、これは原作者の主張でもあるんじゃないでしょうか(後で知ったのですがこのシーンは原作には無くて似たような内容を差し替えて入れたんだそうです)・・・・・・戦争映画もたくさん見てきたけれど神風特攻隊員達の心の苦悩まで踏み込んだ映画はかつてなかったような気がする、今の平和な日本の前に多くの犠牲があったことを喚起させるような映画にもなっています。 俳優の夏八木 勲さんを久し振りに見ましたが、この映画が最後になってしまったんですね・・・・・好きな俳優さんでした(初めて見たのは ”11人の侍 ”という時代劇・・・夏八木さんは若かったですが雰囲気や容貌は今と変わらないという印象でした)

この映画はロングランになっていて、写真は年末に鹿児島から博多に帰る時に鹿児島中央駅前に展示してあった零戦(本物です)、この映画の宣伝の一環として展示があったのかも・・・・・・思わず写真に撮りました

<追記>この後もう1回見に行きました。よく解らないところがあったこともですが、なぜか繰り返し見たくなる映画です・・・・・重いテーマが潜んでいる内容なので日本人にしか理解できない映画かもしれません。 結局そのあともう一回見てしまった・・・・計3回、こんなことは生まれて初めて
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つれづれに(ピート・シーガーが亡くなった)

2014年02月03日 | つれづれに
American Folk Legend ピート・シーガー亡くなる

アメリカンフォークの元祖の一人ピート・シーガーが亡くなったことを知る。
1960年代のフォークブームの頃にはよく知られた人で、日本のフォーク第1世代の人達はけっこう影響を受けたと思われます。 亡くなった私の6才上の姉なんかが大学時代の頃にアメリカンフォークはフーテナニーとかいって盛り上がった頃かな? 私達 団塊世代になるとちょっと後のブラザーズ・フォー、キングストン・トリオ、PPM(ピーター、ポール&マリー)とかジョーン・バエズあたり-になるのでピート・シーガーはそんなに聴いていません・・・・・地味だったし。 2枚組の Folkways 盤LP( 日本盤 )を買ったことがありましたがいつの間にか紛失してしまった。
写真はいつか大型スーパーのCDコーナーで見かけて300円くらいと安かったので買ったものですが 解説などは載っていませんが中身は全くの本物。American Traditional Folk Song ばかりを歌ったものでアメリカの良心ともいえる Folkways Records 社での録音のものと思われます。私達がよく知っている曲をバンジョーか12弦ギターを弾きながらとつとつと歌うもので、中でも私は ”峠の我が家 ”、”スワニー河 ”がとてもよくて好きでした。”ジェシー・ジェイムス”なんかも長丁場の歌詞を省略せずに歌い切っています。 バンジョーも Long neck で皮の裏にフタの無いものを使っているんでしょう・・・・・素朴でいいな。
かつての日本ではこうした地味なものも興味を持たれて受け入れた時代があったのですよね。 このCD1枚だけが私にとってのピート・シーガーの宝
 
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