西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

心強いナースたち

2017年02月28日 | 医療の仕事
 
ある日に 
朝起ききれず6:45発の鹿児島中央駅行き新幹線に乗り遅れる・・・・長い間には何度かこんなことがある、次の新幹線の中で 普段なら本を読んだりCDを聴いたりするのに 着くまでずっと車中 sleeping。
 
外科系には包交当番というのがある。手術後のまだ糸のついている創部を毎日消毒する役目。 大きな病院なら大体は若手の先生達がやる役目だけれど、HD病院のように90床前後のところはそんなこと関係なくて院長はじめみんなで日替わりで担当している。 
ある日の急性期病棟 ( 手術後の患者さんたちが多いところ )、その日は私が当番だったから 「 包交( ガーゼ、包帯交換のこと ) に行くよ~、誰れかついてきて~ 」 と呼びかける。 3~4人ついてきたナース達、顔ぶれを見るとみんなベテランナースばかりだったので 「 あれー、今日の顔ぶれは7~8年前の病棟のような気がする、若い人はいないのー? 」 と冗談交じりで言ってみた。 すると キッとにらまれて「 先生そんなこと言っていいんですか? 」 と言われた。 とはいってもこのメンバーも当時は若いナース達だったから・・・・今でも君達がいて心強いよ とかいってフォローして笑いあいながらの包交当番・・・・皆んな結婚して子供生んでもきれいで元気に仕事している、女性はやっぱり強い・・・と感じる
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西部劇 ” マグニフィセント・セブン ” を見に行った

2017年02月24日 | 西部劇映画
 
新作西部劇 ”マグニフィセント・セブン” を見に行った 
(H29)2/23鹿児島での仕事が終わって夜7:10から上映の新作西部劇 「 マグニフィセント・セブン 」 を見に行った。木曜日以外は7時まで仕事なので木曜日しか夕方の上映時間に間に合わないので食事もせずにあたふたと出かけた。1961(昭和36)年にあった西部劇 「 荒野の7人 」 のリメイク作品だし、さらにさかのぼればそれ自体が黒澤 明監督の時代劇 「 七人の侍 」 の西部劇化だったので少しは話題になるのかな・・・・と思っていましたがやはり時代が違うから注目度はいまひとつだったのではないでしょうか。 
 
鹿児島中央駅にある映画館でしたが、平日だったとしても観客は若い女性と私のたった2人でした・・・・・こんなことって何と考えていいのかなあ、250人は入りそうな客席に2人だけ・・・・・こんなに人がいないと怖いくらい。ひとりの若い女性は映画研究会とか映画クラブとかそんな人ではないかなあ・・・・・と思ったりしました。 
「七人の侍」は農民が野武士集団に、「荒野の7人」はメキシコ農民が野盗団に収奪される・・・・・そこで7人の侍、ガンマンを雇って協力して征伐してもらう・・・・・というストーリーでそれなりに味のある映画だったと思うんです。 今回の「 マグニフィセント・セブン 」 はパンフレットによると ”冷酷非道な悪漢ボーグに支配された西部の町でエマという女性がボーグ一味に家族を殺され、住民達も土地を二束三文の金額で土地を買いたたかれ、反抗すると殺される・・・・・という状況で、賞金稼ぎのサム等”ワケありのアウトロー7人”を雇って正義のための復讐を依頼する・・・・・というストーリーです。 
正直言って徹底的に娯楽作品に徹していて「 敵は軍勢、俺たちは7人。ド派手にやろうぜ! 」 なんて謳い文句が出ているくらいですから・・・・・悪漢たちは70~80人くらいいるんではないかなあ( 軍勢ですから )、戦いの場面になるともう唖然とするくらい7人がスーパーマン的大活躍、バッタバッタと敵を倒していくんですから唖然として笑ってしまうくらいでした。 ナイフ使いの上手い東洋人と弓の名手のインディアンがいるのが新しいアイデアなのかなあ・・・・・最後に7人のうち生き残ったのは3人。  
 
アメリカ西部の匂いはあまり感じられませんでした・・・・・まあ楽しめればいいのかも。 終わって掃除に来た係りの人に 「 観客少ないね 」 といってみたら 「 最初の2日くらいはまずまずだったですよ、上映も明日までですから 」とのこと。 若い人達が見に来るのか気になるところですけど、題名のつけ方もよくないな、「 マグニフィセント・セブン 」 といったって何を連想できるでしょうか、西部劇だよって連想できるでしょうか?  西部劇の名作「 駅馬車 」 を 「 ステージコーチ(Stagecoach)」 という原題のまま上映するようなもんです、どんな映画か連想できないと日本題名としては失敗・・・・・そんなことを思ってしまった。 西部劇ってもうずっと難しい気がする
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プラモデル作りが役立って

2017年02月23日 | 医療の仕事
  
子供の頃のプラモデル作りが役立って 
今の小学生の男の子たちはどうか知らないけれど、私が少年の頃はおまけ付きグリコキャラメルというのがあって切手だったりちっちゃなプラモデルだったりが入っていた。今から思うとささいなことですがお菓子を買う楽しみの一つがそのおまけだった。 
私は飛行機が好きだったのでおまけの箱に飛行機が入っていると嬉しくて結局10数機集めたと思う・・・・・そこから発展して少し小さな、それこそ手のひらに載るようなプラモデルを何回か買った。 少年のことだから昔の軍用機に自然と目が行って「 零戦 」とか「 隼(ハヤブサ)」、「 雷電 」、「 紫電改 」、「 彗星 」 などと名前の付いた戦闘機を作ったりした。 いまでも覚えているけれど 「 零式艦上観測機 」 というフロートがついた水上複葉機が気に入ってかなり大きくなるまで机のスミに残っていた。 濃緑色の機体に白地に赤の日の丸がついていて旧式の複葉飛行機だけど何となくかわいいながらも風格があって好きだったのに何度かの引っ越しでいつの間にか捨てられてしまっていた。 
 
去年の暮れにカラオケに行った話を載せましたが、その時にいたお客さんのひとりが ”ちょっとやわな唄が続いたようですので日本の唄を歌います ” とかいって 「 暁に祈る 」 とかいう軍歌を歌ったのです。 その人が歌っている歌詞が映る動画に 私が少年の時に作った「 零式艦上観測機 」 という飛行機が出てきました。 昔のモノクロ映像ですがまさしく本物で、軍艦からカタパルトという装置で甲板なしでも飛び出していく映像が出ていた、 「 あぁ、あの時の飛行機だ 」 と思ってジッと見入ったのでした。歌った人は自分の父親が昔 海軍にいたとかで、親が歌っていたとかで歌ったらしいんですが僕には飛行機の映像が珍しかった・・・・少年の頃に作ったプラモデルの飛行機。 定宿にしているホテルで2/22の夜そんなことを思い出していた 
 
今日(2/23)全く久し振りにTさんが奥様に伴われてヨタヨタ歩行で受診に来られた。 
”先生、89歳だから仕方ないんですけど主人は脚が弱ってしょっちゅう転ぶようになりました、若い頃は零戦に乗っていた人なんですよ何とかなりませんか ”・・・・と。 なんと、”零戦 ” という響きも私の少年時代のプラモデルの響きだ 、ビックリして ”Tさんの年だったら今でいえば中学卒業してすぐ飛行兵志願するようなことだったんじゃないですか ” というと ” じゃんど、そえな時代じゃったでなあ( そうです、そんな時代でしたから )” と典型的な鹿児島弁で言われた。 私の少年時代にはたくさんいたコテコテの鹿児島弁を喋るおじいちゃん達も少なくなっていることに気付かされると同時に 若く元気ハツラツだったであろう時代の面影がその人に残っているのにちょっとほほえましい気がした 。 
奥様はおとなしく控えめだけどちゃんとご主人のことを心配されて何とか元気になって欲しい-と気遣っておられるが、当の本人は ”ワイヤだまっちょれ( お前はだまっていろ )” と・・・なかなかの亭主関白ぶりだ・・・・身体は弱っているのになあ(smile)  結局 介護保険を申請して認可がおりたらパワーリハビリをすすめます・・・と話した。 私が少年の頃に「零戦」の模型を作ったことも話をしたのだった。 久し振りに 「 薩摩隼人 」 を思わせる人に逢った気分だ、こんな人には長生きしてもらいたい
 
 
 
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仕事のこと

2017年02月20日 | 医療の仕事
 
仕事のこと 
今日(平成29年)2/20(月)HRS病院の仕事帰りの道、ずっとこれからの仕事のことを考えていた。博多に仕事の中心を移すべく就職活動のことをボンヤリと考えていた・・・・・上手くいかない時は全部辞めてしまってリセットしてどこかに移らないといけないかも・・・・・と思ったりもする。途中コーヒー店に入ってコーヒー、迷っている時はまだ健康で仕事が出来るだけで幸せと考えるべきかな・・・・・。 ただ、医療の仕事というのは長く居ればいるほど自分に付いてきてくれる人達 ( 患者さんを主に ) がいる。 実際 今日来られた人の中にTさんという男性がいて 右手指と腰のほか心臓に悩みを抱えている。 
初めの頃は結構うるさ型の人でけっこうシビアにたくさん質問をしてくるやや攻撃型の人だったので ”やりにくいなあ ” と感じていた・・・・・それでもいつも丁寧に説明をして対応していたせいか 来院のたびに他に抱えている健康上の悩みを相談されるようになった。 専門の整形外科領域のことだけではなくて心臓血管系の手術も受けているとのことで相談のような形で質問してこられるのだ・・・・・口調はぶっきらぼうだけど心から心配されていることが言葉の端々に感じられる。 ”Tさん、整形外科領域で命にかかわるようなことはあまりないからやはり心臓のことを一番に考えたほうがいいですよ、そのためには○○病院とか△△病院とかの専門にいくべきですよ ”・・・・・と話す。 当たり前のことで解ってはいても 本人はやはり誰れかに背中を押して欲しかったんだと感じ取る・・・・・やっと一段落して帰る時に 「 先生はずっとここに居るんでしょう? 辞めたりはしないですよね? 」 と言われた。 こういう言葉を聴くと その人にとっていつ行っても私がそこに居るということが大事なことなんだ・・・・・と教えられます。 思わず 「 大丈夫、心配しなくてもずっとここにいるから 」 と答えた。  
その人にとって ” 常にそこに居る ”・・・・・という安心感というのが必要なことなんだと思ったと同時に 微力ながらまだ続けないとな・・・と背中を押された気がした。 自分の中ではたくさんの迷いがあって苦しいことの連続  早く暖かくなってほしい 
*写真は今日のこととは無関係
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つれづれに (春のきざし)

2017年02月19日 | つれづれに
春の兆し 
    
今日(H29)2/19は大変な日本晴れで家にいるのがもったいないような一日だった・・・・・ただ昔の写真を整理する日と決めていたので朝早くから作業。 午後3時頃になってデジカメだけを持って近くの白水公園にジョギングに出た、公園に着いて西日が差しかける頃で自分の影を撮ってスタート。最近 運動不足なので歩いたり走ったりで2時間かけた。 天気がいいので散歩する人達が大勢、子供達も多くてにぎやか。それでも大きな池をもった公園自体が大きいので静けさは十分・・・・・釣りやボート遊びも出来そうなくらい大きいんだけど今の公園は 「 あれをしてはいけません これも禁止です 」・・・・だもんなあ・・・・何のための公園なんだろうと思ってしまう。ボードに ” 池に近づいてはいけません ” だって、野良猫の方がずっと自由だ・・・・・子供達がかわいそうだな、私なんかが子供の頃はいかだを作って遊んだりして何でもできたんだけどなあ、行政の大人が規制してしまっているからどうしようもないね。 花火も禁止だって・・・・・(苦)。  冬の名残りの松ぼっくりもあちこちに 
  
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カウボーイ・ソング(ケン・カーソン)

2017年02月18日 | カウボーイ・ソング

Ken Carson
米国盤 The Longines Symphonette Recording Society LWS-149 America's Favorite Campfire Songs  featuring Ken Carson
(1)Nancy Tll (2)Clementine (3)Oh! Susanna (4)Spanish Cavalier (5)Whoopee Ti Yi Yo (6)Good Bye Old Paint (7)Shenandoah (8)Spanish S A Loving Tongue (9)Riding Old Paint (10)Foggy, Foggy Dew (11)Columbus Stockade Blues (12)Look Down That Lonesome Road

2/18(土曜日)も博多で朝から終日仕事だった、帰ってからバーボン・ウィスキーを飲みながら久し振りに American Cowboy Song~Traditional Folk Song を聴いた。このところ日本の歌謡曲のような歌ばかり聴いていたので、いつもの自分に戻ったようで新鮮な響きでいいなぁ~という気分になった。やはりバーボン ウィスキーにはこうした歌が合うなあ・・・・・バーボンも原点に戻って生まれて初めて飲んだ時の Early Times がいい。 初めて買ったときは丸ビンだった、バーボンがポピュラーになり始めた頃だった・・・・・初めて飲んだときはなんだか急に大人になった気分がしたものです。それからずっと Early Times が好き・・・・・。  
 
今日のレコードは昔のカウボーイ・ソングを歌うグループ The Sons Of The Pioneers に短期間だけど所属したバラッドの上手いケン・カーソン(~)だ・・・・・そうはいっても恐らく The Sons Of The Pioneers の熱烈なファンの人にしか知られていないかも知れない。 
ほぼ全曲とも生ギターとアコーディオンだけの伴奏で Ken Carson は変に崩したりせずにストレートに歌っているので好きなタイプの歌い方で気に入っている。曲も聴いていると題名は知らなくても聴いたことがあるメロディがたくさん出てくる。 
いつ頃買ったかはもう思い出せないけれど きっと The Sons Of The Pioneers のレコードを買った時に一緒に買ったと思う。当たり前のレコード会社が出したようなレコードではないかもしれない。(2)Clementine(いとしのクレメンタイン) とか (7)Shenandoah (シェナンドー ) のようなスロー~ミディアムテンポの曲がこの人には合っているように思う。 CDにはなっていないと思います、CDになったとしても多分今の時代の日本では全然もてないような歌でしょう・・・・・ 
同じ叙情的な内容の歌であっても日本の曲とは曲調がちがってアメリカ的な匂いが横溢している。ギターを持ったときに歌いたくなるような歌が多い。自分的には日本の唄を歌う時とこうしたアメリカ的な唄を歌う時に ガラッと雰囲気を切り替えて歌えるといいなあと感じる。 
 
最近 ちょっと暗めのフォーク演歌ともいえる 「すぎもとまさと」が歌うマイナー調の ” 吾亦紅(われもこう)” という曲のギター弾き語りの練習をしているけれど、これはこれで日本的な情感があっていいし、ケン・カーソンが歌うアメリカの叙情歌ともいえる ”Clementine ” や ”Shenandoah ” は別な意味での哀愁がある中にもアメリカ的な大らかさが感じられるのでいい。 ウーン日本の歌もアメリカの歌もどっちもいい! 
いま自分がアコーディオンを練習していることもあって練習曲としてもとても参考になる・・・・・アコーディオンとしての歌を引き立たせるための雰囲気の出し方とかとても参考になる・・・・・写真もなく未完成につき続く
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つれづれに (色々)

2017年02月14日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
 
  つれづれに・・・・色々 
 
(1)先日、私の携帯を見てあるナースが 「 先生はガラケーなんですね、うちの主人と一緒だぁ~ 」 とからかい気味に言われた。「 ガラケーで悪かったナ、ガラケーてガラパゴス島のことなんだってね 。太古の生き物が生息しているあの南米にある隔絶した島からきている・・・って最近知ったよ。簡単に言えば遅れてるってことだろう? でも、電話とメールしか使わないもん、それで十分だよ 」・・・・と話す。そのあとそのナースは本人の実物を示しながらスマホのよさを色々話してくれた。 
 
ところがどうしたタイミングのよさか事務のT君が 「 先生、携帯をスマホにしませんか?、U先生と一緒に。 病院支給の携帯を変えるだけなんですよ、どうです? 」と。 一気に心が動いてスマホデビューにすることになりそう・・・・機械のことは何~にもわかっていないのになあ(smile) 
 
(2)欲しいなと思っても手に入らない曲がある・・・・自分がずっと好きで歌ってきた田辺靖雄の 「 二人の星をさがそうよ 」・・・という曲。でも、先日ある人がMEG-CDというのがあるよ と教えてくれた。 「 廃盤・製造中止になったレコードやCDをジャケット写真、歌詞喝掲載など当時のデザインをできる限り忠実に再現し、CDパッケージとして復刻する商品で、お客の注文によりオンデマンドで製造して届ける 」 形のCDとのこと・・・・試しにこの曲を1枚注文した。 カラオケで歌う機会がある時はいつも自己満足で歌う曲だから楽しみ 
 
(3)今日は仕事が終わったら神経内科女医のT先生を囲んでの飲み会。レントゲン、薬局、ソーシャルワーカー、各階のナースで都合のつく人達が寄っての集まり。辞めそうな雰囲気のあったT先生が何らかの意向を告げられるのかもしれない・・・・実は私自身も揺れていて20年も勤めてきたところだから簡単に気持ちの整理ができないでいるし、どこでどう切り出していいのか心苦しい気持ちを抱えている。ワッと飲んで一時的でも忘れたいことがいっぱいだ。 
 
(4)2/12(日)遠藤周作原作の映画 「 沈黙(サイレンス)」 を観に行った。 原作は読んだことはなかったけれど、日本の織豊時代~江戸時代初期のキリシタン弾圧時代に遭遇した外国人神父(パードレ)たちの苦悩を描いた映画。 農民や神父に棄教を迫るための残酷なシーンも多く、踏み絵などのシーンも何度も出てくる。おそらくは当時の実際の過酷な状況を絵で見るようで何とも重たいテーマの映画だった。 自らもキリスト教信者だった遠藤周作さんならではの原作だったと思われますが・・・・・私はいつの日か島原の乱の舞台になった原城跡を訪ねたいと思っていたけれど、こんな映画を見てしまうと何だか訪ねるのに気が重くなってすこし怖いなという気がしてきました。マーティン・スコセッシという映画監督が10年の構想を練った作品とのこと・・・・これは娯楽映画ではない、重たいテーマをもった映画だ。 
70人くらいの観客、キリスト教の人たちとか遠藤周作ファンもおられたかもしれない。 
前日の雪の秋月とは打って変わって晴れの日だった。
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何ということ

2017年02月13日 | 医療の仕事
 
なぜ(哀) 
今日 2/13月曜日は博多の天神近くのHRS病院での仕事。朝一番いつものように隣りのコンビニで買ったコーヒーを飲みながら診療前の朝のひと時をゆっくりしていた・・・・・ふと携帯が振動している。鹿児島のHD病院からだった、ナースの声が震えている・・・・・
「 どうしたの? 」
「 Mさんが今朝亡くなりました 」
「 エッ、おととい入院したばかりじゃない、どうして 」
「 今朝方から急にレベルが落ちてきたんです、当直のU先生に診てもらったけどダメでした、U先生が診断書の病名を何にしようかと主治医のA先生に 聴いてみてといわれています 」
「 肋骨骨折で入院した人だよ、そんなんじゃ亡くなるはずないよ。 入院時の胸部レントゲンで血胸がありそうだから、エコーとCT検査をしておきましょう-といって済ませはずだったよ。その時肝臓に大きな腫瘍があるから高齢だから腫瘍マーカーだけでも検査しておきましょうと家族に説明したばっかりだったのにね 」 
 
・・・・・朝転落して背中を打ったというだけの89歳のおばあちゃん、2/10初めて診た時は車椅子にチョコンと座って右背中が痛いだけで 
「 Mさん、頭は大丈夫ね、打っとらんね? 肋骨が折れちょるから痛みが引くまでいっとき入院しようか、長い入院じゃないから頑張って ね 」 というと  
「 まだまだ元気よ先生、よろしくね 」とハキハキ答えたおばあちゃん。 
「 入院したら日常活動力が衰えないようにリハビリもして元気になろうか 」・・・・・と励ましたばかりだった。 
 
主治医の私が不在の時に亡くなるととっても申し訳ない気持ちになる。 
私が、整形外科的なことよりも肝臓の方に問題があるからそっちの方が深刻だと思います・・・・・と説明しておいたこともあって 家族の方からは特に責められるようなことはありませんでした・・・とのナース報告が来た。 Mさんゴメン(涙) 
心身とも寒い中 こんなことがあるといつも気が引き締まる思いで、コーヒーだけでなくこんな出来事が目を覚まさしてくれた
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中学生の職場体験

2017年02月12日 | 医療の仕事

中学生の職場体験学習 
2月7日(火)は外来主任さんから「 K中学の学生2人が先生たちの診療風景を見学に来ますから何かかかわってあげてください 」・・・・・と言われた。 毎年この時期になるとやってくる定期便みたいな行事。 学校では中学1年生たちが自分の希望する職業について見学する企画があるらしい、幼稚園生も来たことがあってその時はただニコニコして一緒に写真に納まってあげるだけでよかったけれど中学生になると色々と質問してきたりするのでちょっと面白い。 
 
二人の男子学生、一人は将来医者になりたい、もう一人は歯医者さんの息子さんで跡を継ぐのか歯科医希望とのこと・・・・・簡単な自己紹介文がきている。 二人ともちゃんとスポーツクラブに属して部活をやっている・・・・・これは絶対に必要だよと話をした。「 先生も学生時代は野球と剣道をしていたよ。 何でもそうだけど 医者も心身ともタフでないとやっていけないよ、上手くいってあたりまえの仕事ってけっこうストレスがあるし小さなことにいつまでもこだわらずにどんどん先に進むことだよ。それに、もし研究部門とかじゃなくて臨床医を目指すのなら 駆け出しの頃は患者さんというのは自分よりも年配の人が圧倒的に多いから言葉使いも大事だし、それに医療関係のことだけじゃなくて社会一般のことにもしっかり目を向けてたくさんの( 知識の ) 引き出しを持っておいたほうがいいよ・・・・・お年よりの話に合わせることが出来るくらいに色んな知識を持っていたほうがいい、そうすることで診療もスムーズにいくことが多いから」・・・・・・等の話をした。 でも後で考えたらまだ学生さんだし、これは医学部の学生にでも言う言葉かな・・・・・と思って反省。 二人とも数学が得意と書いてある、私は数学が苦手でとても苦労したので ”数学が得意か・・・・・うらやましいよ、めげずにやっていれば大丈夫、ぜひ目標を達してね ” といっておいた。 でも今になって思うと、世の中 数学がなくても足し算・引き算・掛け算・割り算があれば何にも困ることないしなあ・・・・・というのが実感。 これからの若い人に間違ってもそんなこということ出来なかった(smile)。 
印象として、いまの若い学生さんは大人と話しをするのが苦手なのか、大人と話し慣れていないようだ・・・・・と思った。
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雪の筑前 秋月

2017年02月11日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
  
雪の筑前 秋月 (トップ写真は秋月城の石垣と石碑)  
 平成29年2月11日(土)は建国記念日で祭日。前日 鹿児島で勤め先のT君と二人で近くの居酒屋さんで呑みながらお互いの今後の行く末について話をした。お互いのというよりか私自身の・・・・・といった方がいい。最近 移動のつらさと仕事のあとの空白の時間の寂しさに耐えられなくなっている自分がいる・・・・・と話をした。色々な話の後、最終の新幹線で帰った、帰り着いたのは12時近くで入浴後コトンと眠ってしまった。

明けて今日、祭日でゆっくりしようと思っていたら何と外は銀世界だった。ちょっと寝不足でつらいけれどめったにないことだからと雪の秋月城と秋月の町を写真に撮りたい・・・・・と日頃から思っていたこともあって出かけることにした。レンタカー屋さんに電話すると連休だから空車がない、どうしてもというなら事務所に直接来てキャンセル車を待ってくださいとのことでそうする。幸い雪の悪天でキャンセルがあって借りることが出来た、でも大分自動車道は通行止めで二日市から朝倉方面の一般道路を行く。 秋月に近づくにつれてひっきりなしの雪で背景の山は雪霞み状態で、空もどんよりと暗くなんとも寒々としている(写真)。 
   
秋月について駐車場に車を止めて歩いて回る、秋月には何度か来ているけれど冬の、しかも雪の降る秋月は初めてだった。シーズンオフということもあるんでしょうけど、連休とはいっても観光客は無いに等しかった。駐車場管理の人に ” 連休なのに人がいないですね、今はシーズンオフなんですね、雪の秋月を訪ねてみたくて来ました。写真を撮ろうと思っているんです ” というと、” 貴方と同じような人が先に何人か行かれていますよ ” とのこと。 似たような考えを持っている人がいるんだ・・・・・と思いながら歩き回った。 なるほど、防寒衣にスキー帽姿でカメラを持った数人の男性に出会った。 皆な独りで来ているようで 途中逢った人に ” 雪の秋月、いいですね ” と話しかけてみた。その人はしゃべらなかったけれどニッコリして相槌をうつようにうなづいてくれた。 お城の前のメイン通り ”杉の馬場 ”も写真のよう、それにしても人がいない・・・・・シーズン中なら出店が出ているのに全て閉鎖しておりうらぶれた感じだ。野鳥川の流れる水も超清んで冷たそうだ。
   
でも、自分はそんな町のイメージを想像していたので、雪が却って余計なものを隠してくれてすっきりした姿にみえるのだった。冬の景色の方が江戸時代に近い姿なのかも知れない。それにしても凍えるような寒さで手袋を持ってこなかった手には冷たさがこたえる、靴も雪でグシャグシャになりそうで冷たい。あまりの寒さに色々寄り道したくない感じになった、だから秋月郷土館の見学なんかはパスしてひたすら歩く、歩かないととにかくガタガタ震えるくらいだ。 流れてくる水も冷たそうで清んでいる、いつものように水に映る自分の影を撮った、訪問記念にいつもしている。 
    
杉の馬場をまっすぐ行くと左手はお堀、そして長屋門があり、さらに行くと黒門がある。黒門は一番古いらしく、黒田氏以前の秋月氏時代からの遺跡であるとか。門の黒さと雪の白さのコントラストが映えてきれいだった。黒門をくぐっていくと左手に秋月中学校のグランドと校舎がある、この校舎が昔ながらの木造校舎で、城跡と何となくマッチしていていい感じだ。 
   
城跡を後に前方に広がっている住宅街・田んぼの方に下っていった・・・・・田代家とか久野家とかの武家屋敷がある。モノトーン気味の冬の秋月に昔ながらの赤いポストがかわいらしくいろどりを添えていた。 
   
田代家の玄関では自分ででっかく握って持っていったおにぎりとキャラメル、日本茶を出して腹ごしらえ。無料開放されている武家屋敷、誰れもいない寒い時期ならではのことだった。そしてさらに道なりに行くと右手に今光教の教会があって入り口を入ってすぐ右に大きな石があります・・・九州征伐で秋月に来た豊臣秀吉が腰掛けた石と伝えられています。私も過去に何回か腰掛けてみたことあり、今回はおにぎりに腰掛けてもらった。 
  
さらに下っていくと有名な眼鏡橋があった、古い町には時々残っていますね。秋月の眼鏡橋は由緒あるもののようです。 
   
最後に今回初めて訪ねたいなと思っていたことがある。秋月は幕末から明治にかけて面白い(ちょっと語弊がある表現ですが)事件があったところです。それは西南戦争に先立つ不平士族による(1)秋月の乱と(2)元秋月藩士臼井六郎による日本最後のあだ討ち事件・・・・・といわれているものです。それにかかわった人達のお墓がこの地のお寺にあるんですね・・・・・日本の歴史に興味があればの話ですが、訪ねていきました。秋月の乱の首謀者宮崎三兄弟(宮崎車之助ほか)のお墓は今回もわかりませんでしたが、臼井六郎のはありました、古心禅寺というところ。この人の前半生は両親の仇討ちだけに捧げた人生・・・・・秋月藩の幕末における攘夷派と公武合体派の抗争で父親 臼井亘理が暗殺され、巻き添えで母親も斬られて殺害された・・・・・六郎10歳の出来事で凄惨な現場を見た少年の心は・・・・・というわけです。墓碑のそばの説明板には”日本最後の仇討 臼井六郎 父簡堂 母清子 の傍に眠る苦節13年 六郎の心はいかに 明治13年10月17日 ”・・・・・書いてありました。  こんな小さな町にたくさんの歴史が埋もれている・・・・・という感じです。もっと色々なことを知ってから訪ねてきたい町・・・・・かな。なお、この実話は2011(平成23)年2月にテレビドラマとして放送されていて臼井六郎を藤原竜也が熱演して見ごたえのあるドラマになっています、DVDにもなっていて見ることが出来ます(以前来た時に秋月郷土館の人が教えてくれました)・・・・・・・以下 未完につき続く 
   

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