西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

鹿児島の第36回カントリー・フェスタ

2016年09月25日 | つれづれに
  
鹿児島の第36回カントリーフェスタ 
さて続きです、マーティ・ロビンスが 「 Gunfigher Ballads 」 という LPレコードを出しました、高かったけどなんとか工面して買った。私が Cowboy Song に目覚めるきっかけでした・・・・・ジーン・オートリーとか The Sons Of The Pioneers なんてグループも知り、アメリカ西部のアウトロー Billy The Kid のことを歌った古謡があるなんてことも知りました ( ライフルを持っている写真はビリー・ザ・キッドの実写真 )。「 西部開拓史 」という映画にも影響されてどんどんアメリカ西部的なものに興味を惹かれていったんですョ。 銭湯に貼ってあったポスターが印象に残っていて30年位経ってからある古本屋さんで見付けた時は思わず衝動買いしてしまって私だけの宝物になっています。若い頃買えなかったレコードも出逢ったら買ったりして・・・・・若い頃の感性はいつまでも残っているんですね。 
    
西部劇とカントリー&ウェスタン音楽、カウボーイ ソングはいまだに興味が尽きないものになっています。 ですから私にとってのアメリカはいまだに駅馬車が走っており、カウボーイは牛を追い、酒場にホンキートンクピアノが鳴り響き、酒場女達 ( Honky Tonk Angel という ) がダンスを踊り、無法者が拳銃をぶっ放す・・・・というそんなロマンの世界になっています。そう、”ロマン ” なんですね。 
Country & Western 音楽は日本では超マイナーな音楽ですが昔からきれいなメロディを持った佳曲がたくさんあります。ぜひその良さを若い人達が受け継いでほしいなと思います。 それから、西部劇映画とカントリー歌手が接点を持っていたのは1950年代までといってよく、現代では全く別物です。Time Changes Everything で時代の流れで情緒豊かな西部劇は作られなくなって久しいです。カントリー音楽も時代と共に変化してきました・・・・・今は自分に合ったものを自分で探していく時代なんだと思います。 
   
最後に、幕末の志士 高杉晋作の言葉 ” おもしろきことなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり ”・・・・・アハッ!! 
(*下の句は晋作と交流のあった博多の幕末の勤皇尼僧 野村望東尼が付けたといわれています) この言葉、私はけっこう好き
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鹿児島の第36回カントリー・フェスタ

2016年09月24日 | つれづれに
  
鹿児島第36回カントリーフェスタ 
年に1回鹿児島のカントリー・ミュージック好きの人達が集まって開く手作りの演奏会に参加して数曲歌わせてもらった。いつも手作りのプログラムがあって、その中に私自身の Country & Western への道を下記の題名で投稿記事として書いたので、今回はそれに補足しながら新しくして載せることにしました。 私の手元には案外写真が残っていなくて、3人で写った写真は今から4~5年前のフェスタの時に撮った写真(バンジョーのHarry 樋口君、ベースのWoody 庵地さんと) 
 ” 遥かなる西部への道 そして カントリー&ウェスタン音楽 ”
今回は恐らく皆さんが不思議に思っておられるであろう ”あいつは何でこんな音楽が好きになったんだろう? ” ということについて述べようと思います。 私は団塊世代の真っ只中の昭和24年に鹿児島県国分市( 現在は霧島市 )に生まれました。小学校高学年~中学の頃やっとテレビが普及してきてまだ日本製番組が未熟だったこともあってアメリカ製のドラマがたくさん放映されていました。そんな中、男の子達にとって西部劇は大きな魅力でした。「 ライフルマン 」、「 ローハイド 」、「 西部の男パラディン 」・・・・とかね。 主演のスター達の魅力も大したものでしたが、流れる主題もかっこよくてネ。特に当時のポピュラー歌手フランキー・レインが歌う ”ローハイド ” は圧巻で子供から大人まで魅了されたものです。今聴いてもウキウキします。そして音楽好きな男の子達は乏しい小遣いを貯めて主題歌の入ったシングル盤レコードをやっとの思いで買うんです。私も買いました・・・・つたないポータブル蓄音機( プレーヤーなんて云わなかったナア )でひとしきり聴いて、さてB面の曲を聴く・・・・と、これがまたいい曲なんですよ。曲名を見ると ”エル・パソ ”となっていて歌っているのがマーティ・ロビンスと書いてある。オッなかなか上手いじゃないか、カッコイイじゃないか・・・・と気になる。マーティ・ロビンスてどんな歌手だろう・・・・といつまでも気になる。パソコンなんかない時代だから調べようがないんですよ。当時楽器屋さんにレコード・マンスリーという無料の小冊子が置いてあった・・・・こんなのに歌手の情報が載っていたりするんですね。どうもカントリー&ウェスタンというジャンルの歌手らしい・・・・なんてことが判ってきて、他にどんな曲を歌っているのかなあ-と興味がわいてくる。そうこうするうちに、ある本屋さんの棚に「 ウェスタン音楽入門 」という本があるのに出逢った・・・・アッ、Country & Western のことが沢山載っている!!と狂喜・・・・お正月のお年玉かなんかで買ってね、眼光紙背に及ぶくらいに読んだ。「 カントリー&ウェスタン88曲集 」 という楽譜本を買ったのも同じ頃だったかなぁ。 
    
( 今でも持っている ”ローハイド ” のシングル盤、”アラスカ魂 ”はB面が Jimmie Driftwood の歌で有名な ”ニューオーリンズの戦い ”をジョニーが歌っているものでした・・・・残念ながら紛失してしまってここに載せたのは後年買ったもの。本もレコードもみ~んな自分と一緒に年をとってきているーsmileー) 
歌手の名前もたくさん覚えてね・・・・こうして知識だけは豊かになっていったのでした。 当時のカントリーではスリーハンクといって Hank Williams( 当時既に故人 )、Hank Snow、Hank Thompson が既に大物スターだったのですが、私よりか先輩方は知っていたでしょうが情報がなくてマーティ・ロビンス、ジョニー・ホートンが先だったなあ。でもレコードは簡単には買えない時代でした。ベンチャーズのエレキ演奏とかブラザーズ・フォーなんかのアメリカン・フォークソングなども魅力があってね。とても買えない・・・・だからよくラジオを聴いたもんです。当時はホントに色んなジャンルがありました。 最近、作家の五木寛之さんの 「 わが人生の歌がたり/昭和の哀歓 」 という本を読んでいたら ” 私はいまの音楽で寂しいと思うのは一つが主流になると、ほかのものが影をひそめてしまうことなんです。百花繚乱いろいろな音楽の花が開いていた時代、全部一緒に時代の中に共存していた。今思えばそれがすごくうらやましくてすばらしいなと感じますね ”・・・・・と書いてある。 私も同感で、歌謡曲・シャンソン・カンツォーネ・ジャズ・ハワイアン・タンゴ・ラテンそして隅っこにカントリー&ウェスタン。 映画音楽だって印象に残るものが沢山あったものネ。 DJにも幅広いジャンルをカバーできるような人が多かったですよ。 下の写真は 故 Hank Thompson のデビュー25周年記念アルバムの中に収録されていたもので1951年テキサス州ダラスで撮られた3Hank が一緒に写った唯一と思われる写真とのこと、左から Thompson、Snow、Williams です。みんな若くて輝いている時代ですね -嬉-)。  次回に続く
 
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チャスラフスカ選手の死

2016年09月02日 | つれづれに
 
 
"東京オリンピックの体操の花" だった チャスラフスカ 
東京オリンピックがあったのは1964(昭和39)年だった・・・・私が中学校(15歳)の頃だから遠い昔になってしまいました。テレビもまだ白黒でね、日本の体操も 特に男子は強かったと記憶しています。遠藤幸雄選手なんかよくおぼえているなあ・・・床運動で片手倒立なんていう技があって( 現代体操では見かけなくなりましたが )、床に脚を投げ出して坐わった状態から片腕だけで身体を浮かせて倒立位にもっていくんですから・・・ワッと思ったものでした。 そして女子体操はなんといってもチェコスロバキアのチャスラフスカ選手でした、思春期にさしかかっていた私達男の子はチャスラフスカ選手の演技にすっかり魅了されましたネ。成熟した女性美というものに目覚めた・・・と、ちょっと大げさかもわからないけどそんな感じでした。技(わざ)もさることながら体操演技そのものに美しさがあった時代かも知れないです。チャスラフスカさんの時代以降しばらくの時代は小さな女の子達の( ちょっと悪い表現ですが )猿回しのような演技になってしまって成熟した大人の女性の華麗な演技とは程遠くなっていったきらいがありました。 
まだ米ソ冷戦の時代だったですが、共産圏の国の人でこんなに日本人に好かれた人はいなかったのではないでしょうか・・・・その後のチャスラフスカさんの人生は( 政治体制がらみのことで ) 必ずしも幸福だったとはいえないようですが、ちょっと昔の私達日本人には記憶に残る人です。 
(写真は読売新聞から)
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