西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

モーリン・オハラが亡くなった

2015年10月27日 | つれづれに
  
モーリン・オハラが亡くなった 

(H27)10月27日(火)朝 鹿児島の職場に着くと顔を合わせた職員のT君がいきなり ”モーリン・オハラが亡くなりましたよ ” と話しかけてきた。 ”エッ!そうかぁ、歳だったもんね仕方がないかな・・・・” といった会話で始まった一日でした。 映画好きで、大学では映画研究クラブに属していたというT君とは西部劇や映画俳優のことで時々話がはずむことがある、モーリン・オハラの死亡記事が載った地方新聞にわざわざマジックで囲みを入れて置いてくれていた。95歳だったそうです。 
上の記事は博多に帰ってから見た読売新聞の記事、下がT君が持ってきた鹿児島の地方新聞なんですが、大手の読売新聞の写真がよくないなぁ・・・・・もっと素敵な写真があるはずなんですけど全くセンスのない載せ方なのがちょっと残念ですネ。 
 
ジョン・ウェインと共演した2作 ジョン・フォード監督の騎兵隊映画 「 リオ・グランデの砦 」(1950年 写真はレーザーディスク盤)や アイルランドを舞台にした「静かなる男」(1952年)をまた見直してみたくなったし、彼女が歌うLPレコードがあって聴いてみたくなりました。 西部劇には「西部の王者」、「コマンチ族の怒り」、「リオ・グランデの砦」、「牧場荒らし」、「戦いの矢」、「荒野のガンマン」、「マクリントック」、「スタンピード」、「100万ドルの決斗」などけっこう出ていたようです。 
1920(大正9)年アイルランド生まれ
コメント

西部劇 ” アパッチ族の最後 ” を見た

2015年10月26日 | 西部劇映画
  
ロバート・テイラー西部劇 ”アパッチ族の最後( Ambush )” を見た 
MGM 1949年 MGM映画 監督:サム・ウッド 1950(昭和25)年日本公開 モノクロ
 

ホントにびっくりしたなぁ、この作品が見ることが出来るようになるなんて思いもしなかった。私は20歳台の頃から東京に行く機会がある時は必ずといっていいほど神田神保町にある古書店街を訪ねるのが好きでした・・・・・父、弟がいた東京、鎌倉に嫁に行った姉もいたので年に1回は行く機会があった。若い頃は時間があってもお金がない、仕事が忙しくなってからは暇がないーだったので色々工夫して中古レコードを買ったり大好きな西部劇の古~いパンフレットやプレスシート ( これは始めは何のことか判らなかったですが、press=報道機関への封切り映画の内容説明とでもいうのかな? )とかいったものを値段の安いものばっかり2~3枚づつ買い集めてきた、そして30数年たった結果たくさん。 

この西部劇についていうと、” この作品は恐らく一生見ることは出来ないだろうなぁ ” と思いながらも表紙デザインに魅せられて買って解説を読んで満足したものです。 紙質はワラ半紙で裏が透けて見えるほどに粗末、でもデザインが西部劇らしくてそそるものが多かったので買っておいたものです、内容も濃いものです。それが今、”西部劇パーフェクトコレクション ”( 各巻10作品収録 ) なる廉価DVD-BOX セットがシリーズで続いていて、見たくても見ることが出来なかった西部劇作品が現実に見ることが出来るようになったり、今後もその可能性が断然大きくなってきたのですから嬉しいです。 
 
この西部劇は大きく分けて4つの事柄を組み合わせた構成になっています 
(1)インディアンにさらわれた若い白人女性の救出に向けての騎兵隊の動き 
(2)騎兵隊中尉と身持ちの悪い一兵卒の騎兵隊員の妻との不倫 
(3)さらわれた白人女性の妹をめぐって主人公と騎兵隊大尉との恋のさやあて 
(4)騎兵隊とインディアンとの戦闘 
   
<ストーリー>1878年アリゾナ。酋長ディアブリトに率いられたアパッチが支配する山岳地帯で金鉱探索を行なっている主人公キンズマン(ロバート・テイラー)が騎兵隊に雇われている偵察員ホリー老人(ジョン・マッキンタイヤー)とともにアパッチに追われて辛うじて危機を脱してカンブル砦に逃げ帰った。キンズマンはすぐに砦の隊長プレヴァリー少佐(レオン・エームス)から元将軍の娘だというアン(アーリン・ダル)を紹介される、アパッチに襲われた測量隊に同行していて一人生き残ってさらわれたと思われるアンの姉メアリーを奪還するよう依頼されたのだ。一旦は断るがアンの熱意に心を動かされていく。 
   
隊内では身持ちの悪い兵隊カノヴァン(ブルース・カウリング)はその妻マーサ(ジーン・ヘイゲン)とデラニー中尉(ドン・テイラー)との仲の件でいざかいを起こし砦の隊長プレヴァリー少佐まで刺して重傷を負わせ、脱走してしまうのだった。 

隊長代理を務めることになったロリソン大尉(ジョン・ホディアク)はアンと恋仲だったが、アンの方は主人公キンズマンにも心惹かれていく。 
いよいよディアブリト率いるアパッチの本拠を襲撃することになってロリソン大尉率いる騎兵隊が出発する。途中ウォルバーソン大尉(例レイ・ティール)の別働隊は偵察員ホリー老人の先導で山頂に向かい、ロリソン大尉の本隊はキンズマンの案内で麓の方に回ることとなった。キンズマンの作戦でインディアンの馬を追い払い勝利をおさめることになったが生き残った酋長デアブリトの一隊は辛うじて敗走しロリソンの部隊を待ち伏せする・・・・・ああロリソン大尉の率いる騎兵隊は全滅することに、そしてキンズマンの別働隊の運命は・・・・・ということで面白くとにかく見てみることをお奨めします。途中で捕虜となるインディアンの男タナ(チーフ・サンダークラウド)も不気味な存在・・・・・なかなかの秀作西部劇と思います。画質もよいDVDです 
 
     

ロバート・テイラー(1911~1969年ネブラスカ州出身)といえば私の世代ではリアルタイムで見ることは出来なかった俳優さんです。後年名画座などでたびたびお目にかかったビビアン・リーとの共演で ”哀愁 ” という戦時下のロマンス映画が有名だと思いますが、西部劇にもけっこう出ているんですね。ハンサムですが西部劇では渋い感じでなかなかの好漢ぶりです。 
ところで、”Ambush ” を辞書で引いてみると待伏せ(して襲うこと)とありました・・・・・そうです、映画の中でもインディアンが待ち伏せする・・・・・というシーンがあるんです。これが意外な待ち伏せの仕方でこの西部劇を印象に残るものにしていると思っています。 こんな単語はすぐ覚えてしまうんだから・・・・・ったくしょうがないです(smile)。写真がぼやけて載せられなものが多々あったので未完成につき後日に続く
コメント (2)

小紀行 ( 肥前 大村城を訪ねて )

2015年10月11日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
   
肥前 大村城(玖島城)を訪ねて 

連休のH27.10/11(日)長崎県大村市にある大村城を見に行った。以前から訪ねてみたいと思っていたところでやっと実現・・・・・博多から長崎行きの特急に乗り、鳥栖~佐賀~肥前鹿島と過ぎて諫早で降りて、そこから大村線に乗り換えて2駅目が大村駅だ。大村の町は昔 車で通ったことがあるだけで実際に見て回るのは初めてだった。印象としては、前方を大村湾が占めているので明るい感じがするけれど、どこが町の中心なのかはっきりしないこじんまりとした地方都市という感じ。でも現在は長崎空港があって長崎の空の玄関口になっているところでもある。 戦前は陸海軍の駐屯地や飛行場があった軍都であったようでその方面の遺跡も残っているらしい。 
私の興味は城下町としての大村で、日本初のキリシタン大名 大村純忠()の子大村喜前(よしあき)以来の古い城下町・・・・・ということなので大村城を中心に見て回ったのでした。大村駅は小さくて観光案内所がなかったので駅員さんに聴くと 歩けば30分はかかるとのことで時間節約のためタクシーで行くことにした。 
運転手さんに ” 大村城跡まで ” と告げると ”玖島城(くしまじょう、 大村城の別名 ) だね、お客さんお城を見に来なさったとね・・・・武家屋敷とか古かとこもあるけんね ” といわれて色々話してくれた。着いてみると、鬱蒼とした木々に覆われた海沿いの小山といった感じで町側からはお城らしいところが見られなかった・・・・・でも森の中に入ってみると石垣に白壁のまぎれもない城跡だった。1599(慶長4)年に大村喜前(よしあき)によって築かれたという大村氏2万7千石の本城、これくらいの石高だと本来なら城持ち大名にはなれなかったはずでしょうが そこは昔からその地に根を張っていた名族なので戦国時代からそのまま江戸時代~明治維新まで続いたんでしょうね。こじんまりとした城跡でしたが、けっこう高い石垣もあって小さいながらも威厳・風格のある城郭でした。 

さて、運転手さんに礼を云ってタクシーを降り、なだらかな道を登って行くと左手に白壁の石垣が見えてきていよいよ城郭なんだ・・・・・という雰囲気が出てきた。 道なりに行くと鬱蒼とした木々が現れ、まづ右手に浜田弥兵衛の碑というのが立っていました( 江戸初期の大村出身の朱印船貿易家で、長崎代官末次平蔵配下の船長で台湾との貿易で活躍した人とのこと・・・未知 )。石碑を右手に見ながら石垣のならびに沿って左に曲がって歩いていく。 
    
しばらく行くと虎口門跡の前に出てきた、右手には戊辰戦争の記念碑(大村藩から東北に出征した人達のことが書いてあり、隣にあった少年の像はその時に東北の秋田地方の戦いで15歳で戦死した鼓主 濱田謹吾の像とのことで 袖に縫い付けてあった母親の和歌が皆の涙を誘ったとのこと・・・)、大村に駐屯していた旧陸軍46連隊の碑といった石碑が並んでいます。このての石碑、記念碑というのはどの地方の城郭や神社にいっても見られます、郷土の偉人を顕彰するといったものですネ。 一般的には知られていないその土地特有のものが多いので勉強になります。その石碑群の裏は城の空堀になっているそうで、鬱蒼とした林の中にあるくぼ地といった風でした。。 
   
石碑群の前に立ってお城側を見ると本丸に至る虎口門跡の高石垣があって正面に男の子と女の子の絵が載った”七五三の写真撮ります” の看板が立っていた。そこから入っていくと両側に石灯篭があってすぐに大村神社がある本丸に行けるようだが、入らずに石碑群を右手に見ながらまっすぐ石垣に沿っていく。 
    
ちょっと行くと丁度石垣の角のところの正面にまた佐藤嘉平次少佐の碑 ( 第1次世界大戦で中国の青島=チンタオ攻略に活躍して戦死した大村出身の軍人さんで、千々石出身の橘中佐、日田出身の広瀬中佐と共にこの時代の人々に ”軍神 ”と崇められた・・・・と書いてありました。日露戦争の旅順港閉塞作戦で有名な広瀬中佐以外は全く未知のことでした。こうした ”軍神 ”といわれたような人達は戦後の日本の自虐史観のなかで忘れられていった人達だったかもわかりません)。 さて、石垣を左に折れていくとまた本丸に通じる入り口( 台所門跡 )があったのでそこから本丸に入ってみる。 
   

大村城本丸には天守閣はなかったそうで、今は質素な作りの大村神社と赤く塗った稲荷神社( 右に見える赤い鳥居から入って行くとありましたがそこら辺が藩主居館だったとのこと )、その他ここにも石碑群が建っていました。大小2つの穴のあいた貝吹石というのがあって小さい方を吹くと法螺貝の音を出すので合戦の時の合図にした-と書いてありました、どうも吹きにくい気がするんだけどホントかなあ(smile)。 城内側からみた写真を撮りながら石碑群を見てみた。 
     
写真は左から大村純勝の碑( 大村純忠から純信まで4人の当主に仕えた家老で大村家の発展に大きな役割を果たしました云々・・・・と書いてありました)、 
幕末の名君大村純熈(すみひろ)の銅像(蘭学に深い興味を持ち、藩に西洋式の軍隊を導入するなどして藩を倒幕へ導きましたとのこと)、 
大村喜前公遺徳碑(よしあき=この人キリシタン大名大村純忠の子で大村藩の藩祖、幼少時に洗礼を受けてドン・サンチョと称したそうですがキリスト教の禁止が厳しくなることを察知して領地を守るために棄教してキリスト教を取り締まるようになったとのこと。殿様としては藩政の基礎固めをした人で、大村氏の中興の祖といわれているそうです。大村氏17代になるんだそうです)の石碑がありました。
  
一通り見たあと裏手にある搦め手門跡(木の横に標柱が立っていて裏門という意味だと書いてありました)から出たり入ったりして写真を撮った・・・・・以後続く


 

コメント

つれづれに( この本はすごい 2 )

2015年10月05日 | 西部劇の本
 
  
”捜索者” The Searchers / The Making of an American Legend 著者グレン・フランクル/ 高見 浩 訳  2015(平成27)年8月30日発行 新潮社 3400円 

今日( 27.10/5 )天神近くの職場から仕事帰りに ”西部劇パーフェクトコレクション ”という10枚組の廉価DVDの新しいのが出ている(12巻目)とのことで天神ジュンク堂書店に寄ってみた。映画本のコーナーにあるので行ってみるとDVDよりも先にこの新刊書が目に入って思わず目が点になってしまいました・・・・・衝動買いもいいところで、表紙を見ただけで買ったのでした。 
公開当時(1956=昭和31年 )はあまり注目されなかったというジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の西部劇「 捜索者( The Searchers 」 が近年アメリカで再評価されて2008(平成20)年アメリカ映画協会(American Film Institute)の西部劇部門で第1位になったというんですね、しかもそれが一時的なものではなくて続いていると。 
 
「捜索者」はインディアン(コマンチ族)にさらわれた兄の幼い娘2人を探して7年の捜索に出る弟イーサン・エドワーズ(ジョン・フォード)の物語でしたが、この本をちょこっと初めのほうを読んでみたところ、この物語には1836年東部テキサスで9歳の少女シンシア・アン・パーカー等5人がコマンチ族のインディアンにさらわれた事実があって シンシアの伯父ジェイムズ・パーカーが8年にわたってシンシアを含む子供達を捜し続けた・・・・・というちゃんとした史実に基づく事実があったということなんだそうです。 

帯裏には ”19世紀に実際に起きた少女シンシア・アン・パーカーの拉致事件。その凄惨な闘争劇を調べ上げ、奪還された女性が産んだ息子クオナの数奇な運命をたどり、西部開拓史における「神話的悲劇」として語り継がれる事件の真相を追う。さらには名匠ジョン・フォード監督が、この物語を西部劇屈指の作品へと昇華するまでを克明に描く。名画でアメリカ近代史を知る、全米話題のノンフィクション大作 ”・・・・・と書いてあります。読んでいくと本の前半がシンシア・アン・パーカーの拉致事件~彼女が生んだインディアン混血のコマンチ族酋長クアナ・パーカーの生涯に関する内容。後半は「捜索者」の原作者である西部小説家アラン・ルメイについて-から始まってジョン・フォード監督とジョン・ウェイン周辺のことについて一通りの紹介、そして映画「捜索者」の制作にまつわる話へ~と移っていきます。 
 
貴重なのは原作者アラン・ルメイ(Alan Le May)についてページを設けていることです。ジョン・フォードやジョン・ウェインについてはこれまでもたくさんの本など情報があっているので無くてもよかったかなと思うのですが、今や現代の人達にはジョン・フォードやジョン・ウェインを知らないという人達が多くなっていることを思うとやはり必要なページなんだと思います。まだ最後まで読みきってはいないので追々感想など載せようと思っています・・・でもこの本、西部劇好きの人やアメリカ西部に興味を持っている人達にはどうしても奨めたくなる作品で やはり肩入れしたくなります。

ついでですが、ジョン・フォード一家の俳優だったハリー・ケリーJr. が書いた本 「 ジョン・フォードの旗の下に 」( 高橋千尋 訳 1997年発刊 筑摩書房 ) も併せて読まれたらいいと思います・・・・・西部劇「 捜索者 」 について1項目あててあって 撮影の時の状況やハリー・ケリーJr. なりの感想が載っていたりします(写真2、ジョン・フォード御大を中心に右上から時計回りにハリー・ケリーJr.~ワード・ボンド~ベン・ジョンソン~ジョン・ウェインです)。

さて、今回紹介しました「捜索者」の本はハードカバー524ページの本なので1ヶ月は楽しめそうで、DVDもまた観直してみたくなりそうな感じ
コメント (4)

大リーグは面白いなぁ イチロー/ピッチャー登板 

2015年10月05日 | 野球
 
エッ! イチローが投手として公式戦登板 
 
今日(H27.10/5)仕事から帰って郵便受けから夕刊を取り出してトップの小さな見出しにビックリ・・・・・なんとマイアミ・マーリンズのイチローがフィラデルフィア・フィリーズとの最終戦に八回に4番手ピッチャーとして公式登板したと書いてあった。打者5人に18球投げて2塁打2本を浴びて1失点で残り2人を打ちとった・・・・とのこと。なんでも自ら志願して登板したとか。 愛工大名電 高校時代に投手だったらしいので全く経験がないわけではなくてまんざらでもないんでしょうけど 日本ではあり得ないことでしょうね。 確か一度日本のオールスターゲームでお遊び的に投げたことがありましたけど・・・・・投手で投げる時は野手と違ってストッキングは短く隠した方が似合うような気がしますが・・・・・(smile)
コメント