西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

つれづれに(この本はすごい)

2014年10月20日 | カントリー&ウェスタンの本
 
”アメリカは歌う ” 歌に秘められたアメリカの謎  著者:東 理夫  2010(平成22)年  作品社 発刊  
 
今回の入院中に読んだ本のひとつ。例によって発売になった時に買ってはいたものの積読(つんどく)状態になっていた・・・・・でも今回読んでよかった。まったく素晴らしい本で、これまで聴いてきたアメリカ民謡、ヒルビリー、カントリー&ウェスタンの曲が歌詞まで添えられて丁寧に考察されており、こうした解説を読むとその歌の背景や歴史がわかって改めてその曲を聴いてみたいと思わせる内容になっているんですね。恐らくこの方面の曲に興味を持っている人達には合っていると思うし、ブルーグラス音楽を演っている人達も読んでみた方がためになると思います(歌内容の背景がわかるという点で)。 これまでのカントリー関係の本の中でも歌詞の内容に踏み込んだものというのはほとんどなかったように思います、”こういうCDが出ている、バンジョーは誰れそれが弾いていてフィドルは00が弾いているので悪かろうはずがない ”・・・・・といったような解説にはもうあきあきしてしまっている人たちも多いのではないでしょうか・・・・・・この本は全く視点が違います、読むのにやや根気がいるけれど本格的。 
私自身は最後の第4章「ドアマットからの脱出(カントリーの中の女性たち)」を読んでは ”なるほどなあ ”・・・という感想が多かったです。因みに、ドアマットというのはドアの外に敷かれる脚拭きマットのことで、”男のいいようになる ” という意味なんだそうです。 現代女性カントリー歌手達が歌う唄の内容がけっこうその時代を共有して生きるアメリカ女性たちの共感を呼ぶ内容であることに気付かされます。 
 
私達日本人は歌を聴いてすぐには歌の内容が解からないので メロディだったり演奏スタイルであったりで評価するきらいがあると思うんですが、やはり本場アメリカでは歌の内容で勝負する・・・・・というのが本筋のようです。 実生活に即したようなことを歌にして共感を得られるというのは解かるような気もします(日本の歌にもそんなのがありますから)。  K.T.オズリンという歌手が1987(昭和62)年に ”80’s Ladies ” を歌ってグラミー賞の最優秀女性カントリー歌手賞をとったが、その曲がその後の女性歌手への計り知れないほどの影響を与えた・・・・・・と書いてありました。 私自身はその歌手とその曲のことを知らないのです、そんなに書かれると聴いてみたいと思いますね。 そんなこんなで食わず嫌いの現代女性カントリー歌手への認識を改めないといけないのかな-と考えさせられた次第です 

第1章ジョン・ヘンリーと悲しみのナンバー・ナイン・・・・・”John Henry”を歌った歌手などがたくさん出てきます 
 1.伝説的なヒーロー、ジョン・ヘンリー 
 2.ジョン・ヘンリーのハンマーはなぜ9ポンドなのか?・・・”9 Pound Hammer ” とか”16 トン ”とかいった歌も出てきます 
 3.「9」という数字に秘められた謎 
 4.ジョン・ヘンリーとは何者か? 
 5.ジョン・ヘンリーと蒸気ドリルとの戦い 
 6.悲しみのナンバー・ナイン 

第2章アパラチア生まれのマーダー・バラッド・・・・”オハイオ川の岸辺で”、”Omie Wise”、”Poor Ellen Smith”、”Down In The Willow Garden”等  
 1.川の流れる場所で 
 2.克明な殺人の描写 
 3.マーダー・バラッドの原点 
 4.旧世界の血塗られた歌たち 
 5.ダガーナイフを手にした女 
 6.アパラチアのロミオとジュリエット 
 7.アパラチアという名のバックカントリー 
 8.アメリカ移民の四つの潮流 
 9.ボーダラーたちの戦いの日々 
10.女性憎悪(ミソジニー)の生まれる風土 

第3章北行き列車に乗りたい(二グロスピリッチュアルに隠された暗号) 
 1.「聖者の行進」の聖者とは誰のことか? 
 2.「漕げよマイケル」の舟はどこを目ざすのか? 
 3.二グロ・スピリッチュアルの誕生 
 4.アフリカへの帰還運動 
 5.ジョン・ブラウンの奴隷制廃止運動 
 6.二人のハリエット 
 7.二グロ・スピリッチュアルに隠された暗号 

第4章ドアマットからの脱出(カントリーの中の女性たち) 
 1.ヒラリー・クリントンの「スタンド・バイ・ユア・マン発言」・・・・”私は夫の帰りをじっと待つタミー・ウィネットのような女じゃないわ”・・・・ 
 2.カントリー・アンド・ウェスタン・ミュージックの誕生 
 3.立ち上がる南部の女性たち 
 4.ジェンダーの問題を突きつけた「スーという名の少年」・・・・・ジョニー・キャッシュの歌でも異色作について 
 5.女たちの「独立記念日」
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つれづれに(中身は大事)

2014年04月20日 | カントリー&ウェスタンの本
   
古いけれど情熱を感じる本 
天神に行った時にときどき寄る古本屋さんで珍しい本に出逢った。本というよりか会報誌ですがまあクラッシックカントリーが好きな人にはお宝に出逢ったみたいなものです。私は全くその存在すらも知らなかったものです。 
「アメリカ民謡研究会誌 Western Journal Jan.1959 新年号 Vol.2」と書いてあります・・・・昔関西地区にあったCountry & Western 音楽愛好会の会報誌なんでしょう。1959(昭和34)年となっていますが、その時代って私のような団塊世代が小学校4~6年生に当たると思うので日本の Country & Western 音楽にとっては相当に古い時代にあたるもので、私なんかはまだカントリーの”カ”の字も知らなかった頃のものなんですね。 
 
びっくりするのはその内容の濃さです、紙質は昔のワラ半紙で決してよくないのに載っている内容ときたらその何十倍で、情報が少なかった時代を思うと、こんな情報がどうして入手できたのだろう-と不思議に思えるくらいで 今から見ても内容の濃さは一級品だと思う。ジミー・ロジャースの表紙は幹部会員の方の手書きで秀逸。小さく目次を載せてみました、点線の右には執筆者の個人名があるので削りましたが皆さん熱心さの塊(かたまり)という感じです・・・・・この American Folk Music Society の会長さんがなんと昔から音楽評論活動されている清水敏夫さんです、私は清水さんからカントリーのLPレコードを頂いたことがありますが こんなに古くから活動されているとは思いませんでした、この会報誌をみて納得です。 氏は Hank Williams 総論という記事で他の人と対談されています。折りしも Hank Williams ジュニアがデビューするかもしれない-という頃の話で ”ランダル君(ハンクの息子)が大成することに期待はしているが、僕は必ずしも彼がハンク芸術の後継者でなくともよいと思う。寧ろ攪乱したウェスタン界をオーソドックスなサウンドに引き戻す立場の人になって欲しいと思うね。”といわれています・・・・・ 
 
その頃からすると随分年月が流れて 今はもっとカントリーミュージックが混沌としています・・・・私なんか新しいカントリーをほとんど知らなくなって 果たして自分はカントリ-ミュージックが好き、Country Music ファンです-と自信を持って言えるんだろうかと懐疑的になっています。 

この会報誌を見てよかったのは111曲の Jimmie Rodgers 全作品表が載っていて各曲にジミーが歌ったときのキー(CとかGとかEフラットなど)が書いてあることでした。それに、Folk Singer シリーズという記事でカール・サンドバーグ(Carl Sandburg)のことが載っていて彼の「 Cowboy Songs and Negro Spirituals 」というLPレコードの写真が載っていたことです(私は初めて知りました)。

最後に当時の関西地区の会員の方達の一覧表がありますがその数の多いことにびっくり、高齢になられても皆さん Country Music 魂は健在でしょうかね。

さて、載っているクイズコーナーもハイレベル、参考までにひとつはこんな具合です「 Porter Wagoner Trio は Satisfied Mind のヒットで俄然有名となりましたが Trio とは Porter Wagoner のほかに誰と誰でせう」ですって・・・・・どうでしょう。 まあ私達だって好きだったらベンチャーズやブラザーズ・フォーのメンバーを今だにいえるくらいだから当時の人達にとっても言えたんでしょうかね。 

古い本なのに刺激になりました、200円でした (写真は本の表裏と目次の一部です)
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ベア・ファミリー レコード物語 3

2013年10月10日 | カントリー&ウェスタンの本

Bear Family Records 物語 (3)

前回の続き……

Walter: あなたは1950~1960年代のドイツの歌手についてもたくさんのLPレコードを出していますがそれはどういう理由からなんですか?

Richard: ほとんど何もレコードが出されなかったたといっていい人達ばかりなんです。入手できるレコードは色々な歌手が入ったオムニバスレコードばかりで、Bill Haley の例で申し上げたようにいつも同じ曲ばっかり入っているようなものだったんですね。私は古いものが好きでしたので幾人かのよい歌手のソロLPレコードを出したり、よい歌手を集めたオムニバスレコードも出し始めたのです。それらは最初の数年は売れ行きがよかったですよ。現在は売れ行きは止まってしまいましたがドイツのオールディーズ音楽は年に数枚のLPは出し続けるつもりです・・・・・ほんとはもっと出したいのですがね。 私たちはドイツでのこの種の膨大な数の音源リストを持っているんですよ。

Walter: レコード販売のことばかり聴きましたが、mail order(通信販売)カタログのことについても何か話してください

Richard: まず第一に、通信販売カタログがなかったら正規の流通経路によらないこのレコード販売業は成功しなかったと思います。スタート時は数百人の顧客でしたが、現在は世界中から約8000人ものファンが私たちのところから買ってくれているんですよ( 恐らく2013年の今はもっと大きなファンがいると思われます )。あなたもご存知のように、私たちは世界中のカントリー&ロックンロールの膨大な通販カタログを持っています。もちろん販売のほとんどを占めているという意味ではありませんが、選択の巾では私たちのところが最大であると自負しています。
私はこの事業を始めた時から幅広い範囲のレコードをストックしておきたいといつも切望していました。過去10年間でそれは上手くいったことが判ったのですが、それは 以前も申し上げましたように、各種のレコードを選択できるように幅広い在庫を持つこと、しかも全ての注文にたいして迅速に届けることをモットーとすること、読みづらいペーパー束式リストではなくて少なくとも年に2回の増補版を出すようなペイパーブック形式のカタログを発行すること・・・・・・などがその根拠になっていると信じています。

Walter: 今日は有難う、ベアファミリーレコードが次の10年に向かって成功することを祈っています。(・・・・以上でした)
  
<私のひと言>
私的には Bear Family Records 社の仕事というのは ”他人のふんどしで相撲をとる ” 的ではあるんですが はじめはコレクター向けであったかもしれないですが、音楽好きの人が望む痒いところに手の届く丁寧な制作姿勢が世界的に評価されてきた結果でしょうし、一般の音楽愛好家にとっても評価されるようになった-と思っています。おかげで本場アメリカのCDなども詳細なデータを載せるようになった気がします・・・・・未だにバラバラ感の否めない Hank Williams の Total な曲集なども ベアファミリーにまかせたらいいものが出来ると思うんですけどね・・・・・ 
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ベア・ファミリー レコード物語 2

2013年10月06日 | カントリー&ウェスタンの本
 
Bear Family Records 物語 (2)

前回からの続き( この辺のところに創立者 Richard Weize 氏の真髄があるようです )、()カッコで私の補足を入れました・・・・・・・

Walter Fuchs: なぜこれ( メジャーレコード会社から音源をリースして出したレコード制作販売業 )が成功したとお思いですか?

Richard Weize: たくさんの重要な要因があると思います。例えば、Bear Family Records はメジャーレコード会社から出された1950,60年代のカントリー、ロックンロール、ロカビリーミュージックの音源を お金を出して借り受けてレコードを出した初めてのコレクター向けのレコードレーベルだと信じています。 長い間廃盤になっていたレコード、あるいはレコーディングされたものの一度も発売されなかったものを レコードコレクターが持っているような45回転シングル盤や78回転SPレコードからダビングして手に入れる-というのではなくて 良質な状態で手に入れる ということには何かしら新鮮味がありました。 人々は良好な音質、盤質と私のレコード制作への労力、努力、注意深い編集に対して満足してくれました。
コレクターといわれる人達もジャケットに記した豊富なレコーディング情報を評価してくれたと思っています。経験を積むにつれてよりよい作品にすることができました。

失なわれた音源テープや情報について私たちがメジャーレコード会社とやりとりしたことについては皆さんには信じてもらえないようなことがあります。しかし、粘り強く交渉すればするほど確かな素材が得られましたし、時にはレコードを出せるようになるまで2、3年かかったなんてこともありました( あくまでも正確な情報を載せたいという粘りでしょうね )。 例えば、所有者から音源テープが見つけられない-と返答があった場合に 初めは実際に持っていないのだろうと信じていました。それならと、音源テープがないというその曲が以前他の国でライセンスをもらって初めて出されていないかどうか当ってみたりしました。こんなことはホントに簡単なことではないんですよ。

Marvin Rainwater ( 残念ながら最近亡くなりました )のある音源を要請したときに ”音源の所持なし ”との答えが返ってきました。 ところが、会社のある人物を介してみると確かに所持していることが判って遂には手に入れることが出来た-なんてことがあったんです。ある時などはあとで彼らのファイルシステムを知って驚いたんですが、”Rainwater ”という項目のファイルをちょっと見て調べなきゃならない-というだけでマスターテープの存在を常に否定する人がいることに気づいたんです、しかもその事に対してその人は全く意に介していないんですから。
( ”ったくしょうがねえなぁ ” というニュアンスでしょうか・・・・・smile、 担当者が探すのを面倒くさがって適当に ”ない ” と返答したというようなニュアンスでしょうか? ここら辺は大雑把なアメリカ人と厳密なドイツ人の気質の違いのやりとりみたいで笑えるところかなあ・・・・smile )

私はヨーロッパにある他のコレクターレーベルでは音源テープがないとわかると早くからあきらめてしまっていることを知っています、でも私は違う。私の感覚では第一に自分自身が満足するためにレコードを出すことであって、二番目には自分が好きなものだけを出す-そして同時に、レコードが売れようが売れまいが気にしない製作方針にあります。言い換えれば 私は第一級のものを作りたいし、それを市場に出したいだけなんですよ。幸いなことにほとんどのレコードが十分に採算がとれましたし、そうでなかったのは少数です。それ以外のものにも利点がありました。

私は今まで出した中で最高のLPレコードのひとつは Anita Carter( BFX-15004 ) のアルバムだと思っています、しかしそれは商業的にはずっとうまく行っていません。私達が出しているレコードのもう一つの大切な点は、レコードをもっと魅力的にするためにジャケット表紙にたくさんのお金をかける努力をしたことです。とてもいい写真なのに状態がよくなくて 他にこれといった良い写真が見つけられない時はお金をかけてその良い写真を修復するようにします。

私の一番むちゃな制作計画( crazy project と表現 )は14枚のLPレコードと小冊子からなる the Lefty Frizzell box set でした。それを作るのに調査、写真修復、フルカラーのジャケットなどに大変な資金を費やしました。 恐らく将来的にみても絶対採算が採れないでしょう( Richard Weize は別の記事で6000セット売れないと元がとれない、30年はかかる・・・・と吐露しています、CD時代になってるからなおさらね )。しかし、Lefty Frizzell はポピュラーミュージックの中ではもっとも人々( 私はどっちかというと同業のミュージシャンに? と思うのですが・・・・)に影響を与えた歌手ですからやる必要があったのです。
それに、Charlie Records( イギリスのコレクターレーベル ) がリリースした Sun-box set に載っている Colin Escott のような人達から ”Box-set 物が評価されると新しいスタンダードとして確立されるよ ” といったコメントを貰うのはいい気分なんです。  でも一方で次のようなことも認めない訳にはいきません。 ロイ・オービソンのレコードリリースの例なんですが、よい仕事だとはいえませんでした。 ロイ・オービソンのRCAレコードでのレコーディングが全部で6曲であると私に教えてくれたいわゆる専門家という人の言を信じて急いでリリースしたんですが、後で7曲目のレコーディングがあることが判ったのです。そこで後になって私達はその曲をコンピレーションレコード( 色々な歌手が入っているオムニバスレコードのこと ) に追加したんです、それしか方法がありませんでした( こんなところに 完璧を期したかったのにミスして悔しいといったドイツ魂がうかがえるところかなぁ )。

私はオリジナルLPをそのままというんじゃなくて それに追加トラックを加えて出したいと考えていました。しかし、そんなことをしたらファーストアルバム(オリジナル)を買った全てのロイ・オービソン ファンはだまされた-と感じるでしょうね、なぜって たった数曲の追加曲を入手したいがために再度レコードを買うはめになるからです。私は思うんですが、コレクターの人達というのは長年だまされ続けてきました、たった1、2曲のためにLPを買わなければならないのですからね。メジャーレコード会社は手をかえ品を替えして同じ曲を何度も何度も出していましたからね。そんな事情を知っているもんですから 1970年代終わりに私達が出した Bill Haley-Box の理由が次のような経緯にあるというわけです・・・・・すなわち、ドイツMCAレコードは14枚のビル・ヘイリーのLPを発売していて、約200曲含まれているんですが、ビルがMCAで行なった102回のレコーディングでの丁度70曲を手に入れるためには14枚全部のLPを買わなければならなかったのです。そこで私達はコレクターたちがビル・ヘイリーのMCA録音全曲を5枚のLPにまとめて一挙に入手できるようにひとまとめの BOX-set にして出したというわけです。

もうひとつ忘れてはいけないこと、販売の助けにもなったことなんですが、アルバム群に心よくライナーノートを書いてくれた Charles Wolfe、 Rich Kienzle 、Bob Allan、 Colin Escott、 Hank Davis、 Ronnie Pugh、 Martin Hawkins といった人達の存在です・・・・・全ての専門家達が我々の企画にたくさんの時間をかけてくれましたので感謝の言葉もありません。また、Diethold Leu、 Don Roy、 John Beecher、 Bob Pinson 、Manfred Guenther、 Josef Fimpel 等いつも協力してくれたコレクター達そして書く時に情報を手助けしてくれ、中には深夜にもかかわらず電話で情報を知らせてくれたような人もいて 多くの人達に感謝してもししたりないくらいです・・・・・・以下次回に続く

<私のひとこと>
ベアファミリーの中心になるスタッフ写真を見るとみんなヒッピーみたいな格好してますが どうしてどうして大変な愛好家たちのようです。カタログには各スタッフ紹介のほか アメリカの ”ワシントンポスト ”や ”テネシアン ”といった新聞が Bear Family Records のことを採りあげた記事も載っています。 そこにも Richards Weize 氏のコメントが載っていて忌憚のない意見を述べていますので別の機会に訳したいと思っています。
トップ写真のレコードは私が初めて買ったBear Family のレコード「 Rex Allen Sings Boney Kneed Hairy Legged Cowboy Songs 」で以前載せています
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ベア・ファミリー レコード物語 1

2013年09月26日 | カントリー&ウェスタンの本
 
Bear Family Records 物語 (1)

まだ残暑は厳しいもののどうにか朝夕に冷たい風が吹くようになって私的にはやっとカントリー&カウボーイ ソングの季節が来たな・・・・・と感じています。 何を初めにーと思った時、古本整理をしていたら出てきた懐かしい小本があります、Bear Family Records 社のカタログ・・・・そうだここから再スタートしようということにしました。 Classic Country Music に興味を持っている全世界の人達には福音のレーベルでした、いや今でもそうです。自分には乏しい小遣いの中から ”これぞ ”と思うものしか買えなかった時代があったので懐かしいです、きっと同じような経験のある同好の士がおられると思います。
このドイツの「ベアファミリーレコード社」について3回にわたって載せることにしました。 まだレコード時代に私もベア・ファミリーから主にカウボーイソング系のLPレコードを買いましたが、その時業者さんから同社のカタログをもらいました。 トップに掲げた写真は Catalog 1986/87 (昭和61/62年)とあるので Bear Family Records 社のごく初期のカタログだと思いますが、その中に創立者 Richard Weize へのインタビュー記事があって「 About Us 」という形でベア・ファミリー社の成り立ちを知ることが出来るインタビュー記事になっていますので全てを訳してみました、英語の勉強、頭の体操がてらですが私なりの補足カッコ内()を加えています・・・・・・面白いですよ。
トップの写真はカタログ表紙と1ページ目の見開き写真
  

SWFラジオの Walter Fuchs という人がベア・ファミリー レコード社の創立者 Richard Weize 氏にインタビューしたもの   

Walter Fuchs(以下 Walter): リチャードさん、貴方は1975(昭和50)年に Bear Family レコード社をスタートさせていますがそのいきさつについて教えてください

Richard : そうですね、私は1950年代からずっとレコードコレクターだったのです。10代の頃ははじめはロックンロールを集めていましたが1950年代終わり頃にはカントリーミュージックに集中するようになりました。ご存知のようにレコード収集というのはお金がかかるものなんですよ、特に外国から買うとなると尚さらね。そこで、1962~63(昭和37、38)年頃に私は直接アメリカの輸出業者から卸値で買い始めたんです、と同時にコレクター仲間にも提供するようにしました。そうすることで私達はかなり妥当な値段でレコードを入手することができました。 次の数年間には私は Country Corner 設立メンバーの一人になって 短命に終わってしまったものの私自身のマガジン” Country Collector's Information ”を発行し始めました。

1966(昭和41)年初めにイギリスに移住したのですが、その時に500枚近くのLPレコードと1000枚のシングルレコード、500枚のSPレコードなど珍しいコレクションの大半を売り払ってしまいました。手元に40枚ほどのアルバムだけを所持するだけで、次の2年間はチョコチョコッと買うくらいで実質的にはレコード収集から遠ざかってしまったのです。

1968(昭和43)年になって第1回 International Festival of Country Music が Wembley Stadium で開催されたので見に行ったのですが、その時からまたまた Country Music への興味が再燃して、スイスで発行されている the Hillbilly Magazin という雑誌にイギリスから投稿し始めました。 Country Music のレコード収集も再開したのですが、今度は個人レベルのものだけに限るようにしました。古いSPレコードの多くは非常に珍しくて入手困難でしたので1969(昭和44)年に数枚のコレクター向けのアルバムを出すことに決めたんですが、その中の1枚が Goevel Reeves(ゴーべル・リーヴス=カウボーイ歌手) でした。

1970年代初めにドイツに戻ってからは他のコレクター仲間と一緒に Folk Variety レーベルを立ち上げたのです。それ以来ずっと私達はたくさんのレコードを発売し、レコード輸入も再開しました。この時代に私は Bill Clifton と Hedy West の2人と親交を深め、二人のレコードを出したり 二人をドイツの folk club と出演契約させたりもしました。 

私とパートナーはとにかくフルタイムの仕事で生計を立てていたのですが、でも実質的には非営利事業でした。 1975(昭和50)年初めに私のパートナーが政界に入ることになって 仕事をかけもちすることが出来なくなったので、1975(昭和50)年中頃になって事業を一人で続けていくかそれとも辞めてしまうか-という問題に直面しました・・・・・・結果的には Bear Family Records 社を立ち上げて事業を続けることにした-という訳なのです。

Walter : レコードレーベルを Bear Family Records と名付けたのはどうしてなんですか?

Richard : 私は熊が好きでしたのではじめは Bear Records という名前にするつもりでした。それでレーベルのシンボルマークを探そうとしたんですが なかなか無くて・・・・・ある時1898(明治31)年発刊の百科事典を見ていたらその中に熊の親子の写真が目にとまったんです、いいなと思って Bear Family Records と名付けたというわけです。

最初に出したレコードは前記の Folk Variety Records で既に出していたものと新しく企画していたものとにしました。Bill Clifton と Hedy West とはすでに契約も済ませていたので二人によるさらなるレコード発売も合わせて計画しました。私はレコードの仕事に多くの時間を費やしていたのでフルタイムの仕事に興味を失くしてしまっていました、そのことが上司を悩ませたのか契約を破棄されてしまいました。そんなこんなで音楽への愛着もあるものの家族をかかえながら無収入状態である-という問題に直面してしまったのです。そこで、組織をさらに拡張して(販売促進のための?)定期的レコード在庫リストを作成して送るようにした結果かなり生活状況が改善できたのでした。次の数年間も現実的には苦しい闘いでしたが、Hedy West と Bill Clifton を中心とする友人達からの経済的援助のおかげで事なきを得たのでした。

Walter : それから貴方はメジャーレコード会社からリース(借りて)を受けてレコードを販売し始めましたね 。

Richard : そうです、これは正解でしたよ。1977(昭和52)年にメジャーレコード会社が小さなレコード会社にブルーグラスの音源を貸し出したのを初めて見たのです(恐らく独立レーベルの Rounderレコードのことだと思います、Flatt & Scruggs のLPレコードが出たことを指している?)。 CBS Special Product というものでしたが、私は似たようなことができるのではないかと気付いたのです。そこで、1978(昭和53)年春に私は ”The Unissued Johnny Cash ” というLPレコードを発売したんです、それはキャッシュの1950年代終わりから1960年代初め頃の未発表曲12曲を含んだアルバムでした。それは今日ほど容易なことではありませんでした・・・・・・その企画にはとてもお金がかかりました、実際予測した以上のべらぼうな金額でした。そこで販売前の宣伝に努めたんです、その結果ABCレコードから出た Robin Luke を次に出す-といったようなことが続けられたのです。1985(昭和60)年の時点で170種類のLPレコードを出しましたが年内までに200種類に達するよう望んでいるのです・・・・・・・以下次回に続く

膨大なお金がかかったという”Unissued Johnny Cash”が中央左に載っています

<私のひとこと>
第二次世界大戦の敗戦国ドイツと日本がアメリカから影響を受けたカントリー&ウェスタン ミュージックへの関心とスタートは同じだと思うのですが、Bear Family Records 社などの活動をみていると持続性と熱心さ、思い入れの深さ、全世界をマーケット対象に入れた視野の広さ等々ではドイツの方が上なのではと・・・・・感じます。
Folk Variety レコードが Bear Family レコードの前身であることもこのインタビュー記事で初めて知りました。中古で興味ある歌手の Folk Variety 何枚か買ったことがありますがCDの時代になったせいかただ同然みたいな値段でした(カウボーイ歌手のゴーベル・リーヴスは以前載せています)、コレクター向けのレーベルだったのですね
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つれづれに (本 「カントリー音楽一筋」 を買った)

2011年11月10日 | カントリー&ウェスタンの本

「カントリー音楽一筋 」 / 寺本圭一が語るカントリー音楽と人生 (平成22年4月発刊 かまくら春秋社)


海老蔵の時代劇映画 「 一命 」を見た日の帰りに天神のジュンク堂書店で買った。大きな書店にしか置いてない本なのでしょうか初めて見かけました・・・・・日本のカントリー歌手の草分けの一人として有名な方なので興味深く読みました。東京に長く住んだことのない九州の田舎者の私からすると戦後の日本の Country & Western 音楽の発展事情はまるで別世界の出来事のようですが 写真も豊富で 面白く読むことができました。
亡くなった6つ上の姉は東京で大学生活を送ったので きっと寺本さん達のステージは見たんでしょう・・・・・夏休みなどに帰ってきた時に持ち帰ってきた色々な音楽の本やコンサートのパンフレットを見て私はずいぶん音楽的な刺激を受けたものでした。
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本 -18-(Country & Western)

2008年08月17日 | カントリー&ウェスタンの本
カントリー音楽のアメリカ  家族、階層、国、社会   ロバート・T・ロルフ 著  ロルフ 早苗 訳   南雲堂フェニックス
先日本屋さんに行ったらこのような本が出ていました、今年の夏(2008年7月25日)発売です。題名に見られるようにこれは現代アメリカのカントリー・ミュージックを理解するためのある一面を述べたもので、実に詳細に書かれているので現在進行形のカントリーを知るにはうってつけの本ではないかと思います。

序文に大まかな要旨が述べてありますが、それによると・・・・・「カントリー音楽はアメリカ南部、特にその農業地帯に暮らした一般大衆の生活に根ざした音楽であった・・・年月とともに全国的、さらには国際的に広まり、都市や郊外で様々な生活をしている人々に語りかける音楽となった。本書では比較的新しい、商業ルートに乗り広く歌われたカントリーソングを取り上げ、それらの歌がアメリカの暮らしを具体的にどう語っているか、アメリカ社会の重要な側面をどんな姿勢で描いているかを詳細に見て行く・・・・カントリー・ヒット曲の多くはロマンティックなラブソングかあふれるばかりの若さへの賛歌だが、そういった作品は本書には登場しない。そのような歌に混ざって、家族、階層識別、愛国心、深刻な社会問題を歌った作品があり、そうした歌に焦点を当てている・・・・カントリー音楽に登場する社会政治的関心に光を当てるのに筆者がふさわしいと感じた歌を取り上げた・・・・・”ほとんどのアメリカ大統領を選出するミドル・アメリカ、という世界の政治で最も影響力を持つ人々が何者であるかを知りたければ、カントリー音楽に関心を払うべきだ”・・・という言葉には真実がある」 と述べられています。

 約60曲が「家族」 「階層」 「国:9・11以降」 「社会」 等の分野に分けられて詳細に載っており、しかも1985~2004年までの歌がほとんどなのでほぼ今を生きるカントリーソングといってもよいと思います。
歌手としてKenny Chesney 、Patty Loveless 、Randy Travis、 Suzy Bogguss 、Reba Mcentire 、Martina Mcbride 、Brad Paisley、 Sawyer Brown 、Alan Jackson 、Travis Tritt ほかの現代のカントリー歌手がほとんど出てきます。

この本を見ると私たち日本人が抱いているCountry Musicに対するイメージが何だか表面的なものに思われてきます・・・・私達がさりげなく聴いたり歌ったりしているカントリーソングの中にアメリカの人達にとってはもっと深い意味を持っている歌が存在するんだ・・・ということを教えられるような内容の本でした。この本に載っているようなCountry Songを聴いて見ようかな・・・・という気持ちを起こさせるきっかけになるかも知れないです。
280ページで3000円と高価ですが内容はとても濃いものです、ただ写真やイラストは全く載ってなくて、ブルーグラスについても全体から見ると聴衆の数が少ないという理由から載っていません
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本 -16-(Country & Western)

2008年06月23日 | カントリー&ウェスタンの本
ハンク・ウィリアムズ物語   ロジャー・ウィリアムズ 著   南川貞治・望月雄二 共訳    1975(昭和50)年 音楽之友社
原題が「Sing A Sad Song THE LIFE OF HANK WILLIAMS」というハンク・ウィリアムスの伝記です。僕は発売になった時買いましたが、実のところ興味ありそうなところだけ読んで積んどくだけになって未だに読破するに到っていません・・・・でも古本で見つけられたらぜひお勧めです。 索引まで入れて411頁のハードカバー本  以下目次

著者まえがき
ハンク・ウィリアムズ物語(第1章から第20章まで)
ハンク・ウィリアムズLPアルバム総リスト(C & W 評論家 島田 耕さん作成)
ハンク・ウィリアムズ作品表 (同上)
ハンク・ウィリアムスに捧げる歌(同上)
訳者あとがき

ハンク幼少の頃からのつながりのあった人達の多くがまだ存命の頃に書かれたものだけに、その人達から聞いた話が載っており より実像に近いハンクの姿が見えてくるような内容の本になっています。興味があったのはハンクがギターを教わったという黒人street musician のティー・トットという人についてだったのですが・・・・ギターや歌(後年のハンクの歌の幾つかはティー・トットが歌っていたものだろうと云われています)もさることながら、「一回限りのステージでいかに聴衆を惹きつけるか」という技術 (面白く観客を魅了しなければ帽子にお金を入れてもらえない・・・・・というstreet musician の生きるための術) を知らず知らずのうちに学んだことが一番大きかったのでは と述べてあることでした。それに後年、ハンク自身がそのことを公に認める発言をしていた と知って感動しました・・・・人種差別の激しかった当時の深南部アラバマ州のことを考えればとても特異なことのように思えて・・・・。ティー・トットはハンクの才能を認めながらも後年大成したハンクの姿を知ることなく亡くなったそうです。
フィドラー(バイオリン奏者) のジェリー・リバースがハンクのバンド”The Drifting Cowboys”に入団する時の話も面白い・・・・先ずハンクが「Sally Goodin'」という曲を弾いて「この曲弾けるか?」と云われたのでハンクよりもスムーズに弾いたところ「俺よりも上手に弾けるってことは名フィドラーってことさ、君を雇うよ」・・・・とあいなったいきさつ等をジェリーが語ってくれています。(J.リバースは何年か前の熊本カントリーゴールドにも来ました・・・・僕は近くで見て、年とっていましたがああこの人がH.ウィリアムスと行動を共にした人なんだ・・・と思って感無量でした)
他のカントリー歌手がThe Drifting Cowboysの演奏について 「ハンク以外はみな10代か20代そこそこの若者だったけどとにかく上手かったよ」 と語っているのも印象的だし、ハンクのいとこが語る「彼はしらふの時より、酔っている時の方が天才的だったね・・・・」 というのも何だか解るような気がしてきます。 こんなエピソードが沢山なので ハンク・ウィリアムス ファンには必携の本と思います。ただ写真がハンクの顔だけの1枚のみしか載っていないのはいかにも不親切、著者まえがきに「多くの主要な情報資料を有するはずの関係筋が非協力的であった」 とありましたが(具体的にはハンクの前妻オードリー・ウィリアムス等のことかな??)そのためなんでしょうねきっと。 日本で版を重ねなかったのはあまり売れなかったということなんでしょうか・・・・・・廃刊になって久しく、ぜひ復刊を期待したいところです。

因みに、僕が初めて聴いたハンクの曲は 「カウライジャ」で、中学の頃同級生に写真屋の息子がいて彼がハンクのドーナツ盤 (茶色のジャケットで「Kawligia」と「Jambalaya」が入っているもの、恐らく彼のお父さんのレコードだったと思う) を聴かしてくれたのでした・・・・「変な歌い方だなあ」 と思ったのが第一印象。 初めて「いいなあ」と感激したハンクの歌は「I Saw The Light」でした。
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