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The Delmore Brothers (2)
日本盤 ビクター音楽 VIP-5073 The Delmore Brothers Sixteen All-Time Favorites
(1)Blues Sta Away From Me (2)Sweet Sweet Thing (3)Everybody Loves Her (4)I'll Be There (5)Blues You Never Lose (6)Freight Train Boogie (7)Please Be My Sunshine (8)Muddy Water (9)Field Hand Man (10)Midnight Train (11)Born To Be Blue (12)Brown's Ferry Blues (13)Hillbilly Boogie (14)Good Time Saturday Night (15)There's Something About Love (16)Steamboat Boogie
日本盤 ビクター音楽 VIP-5074 In Memory Of The Delmore Brothers
(1)Sand Mountain Blues (2)Frozen Girl (3)Mississippi Shores (4)Goin' Back To The Blue Ridge Mountains (5)Let Your Conscience Be Your Guide (6)'Dis Train (7)Oh Susannah (8)Blues You Never Lose (9)Kentucky Mountain (10)I Swear By The Stars (11)Can't You Hear Him Calling (12)The Trail Of Time
前回からの続き・・・・
1930(昭和5)年の Athens fiddler's contest で優勝したことに勇気づけられると、1931(昭和6)年11月になってアルトンは友人の Bill Willet を説得して Columbia レコード会社のオーディションを受けるためにジョージア州アトランタまで車で連れて行ってくれるように頼んだのでした。 Willetが近年 思い出として次のように語っています ”タレントスカウトはほとんどレコード録音まで取り仕切っていたんだよ、だからその日のデルモア兄弟の Columbia での単独レコーディングが実現したってわけさ ”・・・と。 彼はまた次のようなことも覚えていて語っています・・・”(デルモア兄弟のレコーディングと)同じ日に あるバンドと一緒に盲目のギタリストが出ていたよ ”・・・・と。 それはおそらく Riley Puckett のことで、バンドというのは Skillet Lickers のことでしょう 。 デルモア兄弟は Willet の旧式 Whippett car で旅に出たものの 出かけてから25分きっかりで-たぶん家には決して戻ることはないだろう-という決めごとをあっさりあきらめてしまったのでした。
1932(昭和7)年にはデルモア ブラザーズはテネシー州ナッシュヴィルの WSM ラジオ局のオーディションを受けて合格。 単独出演するのに必要な人気を得るまでのしばらくの間は 兄弟には(自分たちで移動に必要な)車を持つ余裕がなかったのでグランド・オール・オープリーに出演のため土曜日ごとに車に乗せられて運ばれてくる状態でした。しかし、デルモア兄弟はすぐに大衆の心をつかんで Uncle Dave Macon のようなオープリーのスターと一緒に共演できるようになり、人気が急上昇するにつれて他のミュージシャンたちへの影響を聴きわけられるようになってきました。、例えば、Monroe Brothers や The Blue Sky Boys の初期のレコーディングの中にデルモア兄弟の影響を見つけ出すことができるくらいになったのでした。
ナッシュヴィルでの時代には、デルモア兄弟の生活にこっそりと忍び寄るかのように個人的な問題が出現してきました。二人は1938(昭和13)年にWSM(グランド・オール・オープリー)を去りましたが、それは過度の飲酒が原因だったことは明らかです。二人はノースカロライナ州 Raleigh へと移っていますが、それは南部や中西部でのたくさんのメジャーラジオ局での演奏出演のために来るべきその後の長い放浪の端緒でもありました。多くの歌がこの絶え間ないspiritを伝え、二人が歩んできた各地で経験した良き時代のノスタルジー(郷愁)を表しています。”Nashville Blues ”、”Happy On The Mississippi Shore ”、”Back To Birmingham ”といった曲には古い時代へのあこがれが表現されているのです。
二人が出演したたくさんの放送局への在籍期間はとても短いものでした。1950(昭和25)年にはデルモア兄弟はテキサス州ヒューストンへ移動しましたが、その地がデルモア・ブラザーズのプロとしてのキャリアの終焉となったのでした。巡業公演というハードな生活の積み重なりの影響と飲酒癖が破滅へのきっかけになったのでした。兄のアルトンは3歳の娘 Susan が亡くなると完全に心が折れて、ますます深酒するようになり音楽への興味を失なっていきました。兄弟は分裂し、1952(昭和27)年には弟の Rabon が重病にかかりデトロイト経由で Athens に帰っていきました。兄のアルトンはしばらくの間はバーテンとして働き、やがて Rabon に続いて故郷へと帰って行ったのでした。
1952(昭和27)年12月4日弟の Rabon Delmore は肺癌で亡くなります。その時に兄の Alton はデルモア・ブラザーズは兄弟でないと音楽的には成り立たないことを悟りましたが 復活の望みは( Rabon の死によって )永遠に断たれたのでした。兄のアルトンはアラバマ州 Huntsville 近郊へと移り、そこでしばらくの期間ローカル放送局で仕事をし、同時にギターを教えたり訪問セールスの仕事をして運を取り戻そうとしました。
Alton Delmore は1964( 昭和39 )年6月9日に Huntsville で亡くなり、妻の Thelma と3人の娘達、一人息子の Lionel が残されました。息子の Lionel は現在ナッシュヴィルでソングライターになっています。アルトンの妻 Thelma は1971(昭和46)年に亡くなっています。
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<ひとこと> 今回載せたLPレコードはデルモア・ブラザーズの King レコード時代のものです。珍しく日本盤が発売されていましたが、アメリカの Kingレコードは初期のころのヒルビリー、カントリー&ウェスタンの宝庫で、真に Rural American Music( 南部、南西部、中西部あたりのアメリカ向けといってもいいか も) を発信しているようなレコード会社だったという印象が強いです。日本ではほとんど輸入盤でしかお目にかかれないようなレコードが多かったと思います・・・・原盤は日本では値段がべらぼうに高くてしかも大都会でしか手に入らなかったのではないでしょうか 。今回の2枚のレコードはデルモア兄弟の全盛期に当たるのではないかな・・・と個人的には思っています。2枚目のレコードの中にフォスターの名曲 ”オー、スザンナ ” があります・・・私はデルモア兄弟が歌うこの曲がとても好きで録音して何度聴いたことか!! 続く