西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

アコーディオン教室

2018年02月06日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
アコーディオン教室
月に2回アコーディオン教室に通っている。始めは何〜にも解らず手探り状態だったけれど少しずつ進歩して来たんだな......と実感するようになってきたし、基礎練習の大切さを感じる。メロディを弾く右手の鍵盤の動きとリズムを刻む左手のボタンを同期させて弾くのがまだまだ難かしい。弾いていて思うのは、まず右手で鍵盤を見ずにメロディを空でスラスラと弾くことができることが一番で、そうすればボタンのリズムに惑わされることが少ないと実感する。なんとか練習が楽しくなってきたというところだけど道険し(^^)
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懐かしのカントリー&ウェスタン 201 [ ハンク・スノウ (5)]

2017年12月26日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)

Hank Snow (5) 
米国盤 Camden Records ACL1-0124 Snowbird / Hank Snow  
(1)Snowbird (2)A Legend In My Time (3)Heart Break Trail (4)Peach Picking Time Down In Georgia (5)Tumbling Tumbleweeds (6)I Love You Because (7)Address Unknown (8)Mansion On The Hill (9)Cool Water

今回の博多の中古レコード屋巡りで全く久し振りにハンク・スノウのレコードに出逢った、新品同様で300円。すでに持っているレコードでしたがこんなに安いと大好きなHank Snow がかわいそう、私を引き取ってくれよ~みたいな感じを受けたので買った。いいな Hank Snow は、今でも自分の中ではカントリー・ミュージックの大スターです。ジャケットを眺めながらハンクの唄声を聴く・・・・英語のライナーノートを訳しながら3回聴いた。以下は解説の一部です・・・”カナダのノヴァ スコシア州Halifax 出身のClarence Eugene Snow(ハンクの実名です)は40年もの素晴らしいキャリアの持ち主で、''Singing Ranger”と称した時代から”Hank Snow”と呼ばれるように出世していった世界的に有名なカントリー歌手の一人です、、、解説続く、、、いきなりアップテンポの(1)Snowbird でスタート、Train song かな? (2)A Legend in My Timeとサンズ.オブ.ザ.パイオニアズ風のカウボーイ調の(3)Heart Break 、(5)Tumbling Tumbleweedsとハンクの重厚な唄が続きます。(4)''桃の実の熟する頃''はハンクの永遠のアイドルだったジミー.ロジャースの唄。 B面も名曲揃い、盲目のカントリー歌手レオン.ペインの不朽の''I Love You Because''、そして珍しくもHank Williams で有名な''Mansion On The Hill''を歌ってくれます。最後がHank WilliamsやThe Sons of The Pioneers も歌っていた''Cool Water'' ですから素晴らしい❗️ 元々廉価盤の上にさらに捨て値みたいになっているHank Snow のLPレコード、救ってあげたくなりました。サウンド的にはややモダンな作りですが、年の瀬にいい気分にしてくれました(smile)
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ウーンこれはすごい!楽天の則本投手

2017年06月02日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
則本昴大(たかひろ)投手の7試合連続2ケタ三振奪取 
 
野球に興味がある人には解かると思うんですけど楽天ゴールデンイーグルスの則本昴大投手が7試合連続で10三振以上奪取という偉業を達成しました・・・ウーン素晴らしい。僕はこの則本という投手は大好き、投手としては決して体格的には大きくはないんですけどね でも気力が顔と全身に出てくるタイプで試合中はほとんど笑顔も見せなくて集中しているところがね・・・プロの投手はこうでなくちゃ、彼が投げて負けたらしょうがないか-と思わせるものなあ。 
セパ交流戦が始まって相手が巨人ということも闘志になったかも・・・でも相手の負け投手が森福投手というのがちょっと残念。彼は昨年まではソフトバンク・ホークスにいたし(私は大のソフトバンクファン)彼も体格的には小さくても投手としては応援していたから。 
則本投手は新人時代は佐藤義則投手コーチ(現在ソフトバンク・ホークスの投手コーチ)に指導を受けたし、現在の楽天の投手コーチが与田 剛(かつて中日ドラゴンズの救援速球投手)だから指導者にも恵まれているなあ・・・・・よかったよかった。  
森福も頑張れ(君は巨人のタイプじゃないんだよなあ、のびのびプレーできるパ・リーグに早くもどって来な! 日本ハムであれだけ活躍していた陽代鑑が巨人に移ったとたん↓、とか巨人では鳴かず飛ばずだった大田泰示が日本ハムに移ってのびのびプレーしている-なんて例を見ると巨人じゃダメだよ)
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日下武史さん亡くなる

2017年05月19日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
   
日下武史さんが亡くなった 
渋~い俳優さんでしたが 日下武史さんがなくなられました、H29.5/15 86歳だったそうです。私個人としては俳優としての日下さんの代表作というのはピッとは思い浮かびません、 1953( 昭和28 )年「劇団四季」の創設メンバーとのことですからキャリアはかなり古くて どちらかというと演劇畑での活躍が多かったからかもしれません。 映画やテレビで見かけても渋~い脇役という印象が強いです。 私のような団塊世代では何といってもテレビドラマの 「 アンタッチャブル 」 でアル・カポネ等のギャングを相手に辣腕をふるったFBI捜査官エリオット・ネス役の俳優ロバート・スタック(写真)の声の吹き替えとして有名かなあ・・・・・ロバート・スタックの風貌と声=日下武史がまさにマッチしている感じがしましたから( もちろん当時は日下武史さんの顔なんかは存じあげていませんでしたが )。 
「アンタッチャブル( The Untouchable )」 ああ、懐かしいな・・・DVD-Box で全作品が出されているようですが高価で手が廻らないです、いつの日か見てみたいなあ
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懐かしいポスター

2017年04月17日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
  
懐かしいポスター Country & Bluegrass Music
4/16(月)は終日雨だった・・・・博多での半日の仕事が終わって帰ってから要らないものの処分のための倉庫の片づけをした。すると昔のポスター類が沢山出てきた、思わず広げては見るの繰り返しで結局仕事がはかどらないまま余計な作業をすることになった。ポスター類を写真に撮って・・・・という作業、片付けよりかはずっと楽しい作業だけどカメラワークがどうも悪くてきれいに撮れないので何度もやり直す。結局はうまく撮れずで終わった、光の具合がどうもよくなくて見た目の通りに画像がなっていない・・・・丸めていたポスターも伸ばすと表面が波打ってまっすぐにならないしアイロンでもかけて後日改めて撮ることとしてとりあえず懐かしいレコード販売のポスターだけを撮影した。 
昔通っていたレコード店の店員さんに ” 要らなくなったら僕にください- ” と言っていたものを音楽に詳しい店員Hさん(女性)がわざわざとっておいてくれて貰らったもの。 お金がない時代だったから数枚しか買わなかったのにとっておいてくれた店員のHさんの顔を思い出して懐かしい。そのレコード店はなくなってHさんも数年前に亡くなったと風の便りに聞いた。 カントリー&ウェスタン、ブルーグラス音楽に熱心だったあの頃・・・・という思いが甦ってくるようだ(smile) 
ポスターはところどころ虫食い状態で僕と一緒に年をとってきているんだなあ、ノスタルジックな仕様のポスター・・・とても捨てられないなあ(smile)
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楽しい演芸会に出演

2017年04月17日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
 
小さな演芸会に出演 
私が土曜日に行っているHR病院がある南区若久地区で小さな演芸会に出てください・・・・と依頼があって4/9(日曜日)に出演した。小さな地区が開いている夏祭りみたいな演芸会のようで、春と秋に開催しているとのこと・・・・今回で8回目になるらしいのですが、今回はどうも応募者が少ないので先生出てくれませんかといわれた。どういう繋がりかというと、その地区にお琴の師匠さんがおられて、ちょっとした舞台(ステージ)をもった練習場があってそこを地区の人達の演芸会に使っているそうで、実はそのお師匠さんがHR病院での私の患者さんというわけなんですね。診療の中で私がギターを弾いてカントリー&ウェスタンを歌う・・・ということを知って依頼されたというルート(smile)。出演者が少ないと盛り上がらない・・・と予想されたので私でよかったら・・・という訳で一役買ったしだいです。 
 
当日のトップバッターは私。知らないところでカントリーを歌うのと盛り上げないと・・・と思ってなるべくみんなが知っている曲を・・・ということで ”オー、スザンナ ” のさわりをギター演奏してジャラーンで 「 皆さんこんにちわ~ハンク秋山でーす。呼んでいただいて有難うございます。この地区に住んでるわけではないですが近くのHR病院に週1回来ている関係で出ることになりました、院長先生の許可ももらっています~」との話で始まって ”Peach Pickin' Time in Georgia(桃の実の熟する頃)”、カントリーで一番有名な曲です-と話して ”テネシー・ワルツ ” 、そしてカウボーイ・ソングから ”Home On The Range( 峠の我が家 )”、ちょっと西部の無法者の話をしてマイナー曲で ”ビリー・ザ・キッド ” を歌い、”My Darling Clementine(いとしのクレメンタイン) ” でエンディング・・・・。 
私の後には若者2人組みのエレキギター演奏、ベンチャーズなんかをパソコンの伴奏に合わせて演奏するというスタイル。今は全員揃わなくてもこうした形でも演奏できることを知ってビックリ。そのあとはお琴の師匠さん社中の「さくらさくら」「黒田節」等の演奏、いずれのグループも素晴らしいものでした。   
私は麦わらのテンガロンハットにネッカチーフで服装を Cowboy Style で歌ったので珍しがられました。 年配の人からは久し振りに Country Style の曲を聴いた-といって喜んで下さったことと、来てくれたその地区にお住まいの来場の皆さんが喜んでくれて私も嬉しくなりました、ささやかだけど楽しい演芸会でした。 
秋にも御呼びが??(smile)
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肥後 宇土城を訪ねて

2017年04月12日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
 
肥後 宇土城を訪ねて ・・・・キリシタン大名小西行長の哀れ 
熊本市から鹿児島の方へ鹿児島本線を下って普通列車の各駅停車なら5つ目の駅が宇土市だ。そこは戦国時代にはキリシタン大名の小西行長(~)の城下町だったところ。 休日を利用して1日小西行長の宇土城を訪ねた・・・・以前からぜひ行ってみたい城跡だった。 
戦国時代には熊本の加藤清正と並んで肥後一国を北と南で分け合って君臨した2大大名だった二人、天下分け目の関ヶ原の合戦でたもとを分かち、徳川方についた加藤清正は生き残り 豊臣方についた小西行長は敗れて没落した。本来は二人とも豊臣秀吉の子飼いの武将だったのに・・・・である。よく加藤清正は武断派、小西行長は文治派と表現されることが多い・・・・でも私はそんなに簡単には決められないのではと思っている。 没落していった者には正当な記録が残らないから勝者による死人に口なし的な記録しか残らないのだと思う。宇土城を訪ねて本丸跡にポツンと立っている小西行長の銅像を見ていると歴史好きの私のような人間には この人は正当な評価を受けているのだろうかと とてもあわれさを感じた。  
記録を見ると小西行長は秀吉の野望である朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に2度とも参加して先方を務めて加藤清正にひけをとらない活躍をしている。 秀吉亡き後も徹底して豊臣方についている信義に篤い武将であったのではないかな・・・・という気がしている。熊本城の繁栄をみるにつけ、距離的に近い宇土城のひっそりとしたたたずまいはかえって古城としての味わいがあって私は好きだ。 
    
さて、何の変哲もない宇土駅を降りたものの観光案内所らしいものは何にもなくてただ市内案内の地図看板があるだけだった(宇土駅というのは昔は田んぼの中の淋しい駅だったんではないかなあ)。 江戸時代には熊本の細川氏53万石の支藩として宇土藩3万石の城下町としてちょっとは栄えたはずなんですが、残念ながら城下町としての面影はほぼ皆無で、活気のない通過町という感じです。駅からずっと歩いていくと運河のような小川に出て石作りの眼鏡橋があり散策していると武家屋敷らしい家が一軒ありました。熊本地震で橋の欄干が壊れたようで渡ることはできませんでしたが、この辺りは電信柱や車がなければちょっと江戸時代の風情がある雰囲気でした。 
  
さらに行くと宇土市の中心街に出ますが、大きなビルのような建物はないのでのっぺらとした町という印象です。宇土高校のグランドに出くわし、通りがかりのお年寄りに ” 小西行長の銅像はどこにあるんですか ” と尋ねると ” そこの畑の横の細い道を行けばグランドの裏に城跡があるけんそこにあるよ ” とのこと。 20m行くと林の中に忽然と石垣が見えてきました・・・・”ああ、ここが小西行長の宇土城かぁ ”と。 小高い山に石垣があって小さな空堀になっている・・・・・
熊本城の規模に比ぶべくもなく石垣も小さいが、宇土城の説明版があったので見てみると本来はもっと大きな城であったらしく、石垣も地中に埋もれていて今の倍以上の高さはあるとのことでした。はじめに目にした宇土城の石垣。
   
関が原の戦いには何故か加藤清正自身は出陣していません・・・なぜなのか不思議。出陣した小西行長は敗れて捕らえられ、京都の六条河原で石田三成、安国寺恵瓊らと共に斬首されます。

関が原に出陣して留守になった小西行長の宇土城を加藤清正が攻め落とします・・・・・もとは同僚だった清正も決していい気持ちではなかったのではないかなあ。でもそんな中、清正のえらいところは敗れて降伏した小西行長の家臣達の多くを自らの家臣として召し抱えたという話があることです。実際熊本には元小西行長の家臣たちが住んだという宇土小路という地区があるんだそうです。
   
ところで、上の写真「戦国廃城紀行」という本に宇土城が載っています。この本の作家 澤宮 優さんは宇土の出身だそうで宇土高校時代に宇土城には何度も行ったとのこと ”三十年前まではやぶに包まれた荒れ果てた小山だった ” そうです、元和の「 一国一城令 」で壊され、島原の乱でも関連付けられて壊された小西行長の宇土城は以後廃城となって忘れ去られた・・・・だから今の石垣は発掘された後とのこと・・・・それに、地元出身でないと解らないような事も書かれています・・・・・曰く「 関が原で負けたために斬首され、領地も没収され、キリシタン大名であったため多くの寺社を破壊・迫害した大悪人にされたこと、行長は二重三重に鉄の首枷(かせ)をはめられた人物である。 私は行長の居城である宇土城の傍らで高校時代を過ごしたため彼に対する悪感情を身を持って体験してきた。すでに死して四百年が経つにもかかわらずである。徳川政権やかつての庶民から見た行長像ではなくありのままの姿を描いてみたいと思った」 とのこと。 
昭和55年(1980)に銅像が立てられる時も市役所に市民から脅迫めいた苦情が寄せられたとのこと。積年にわたって蓄積された小西行長を徹底的に悪人に仕立てようとするための感情的な操作があってのことだった・・・・と思われますね。まさに ”死人に口なし ” の一方的な押し付けのようにも受けとれますが。 今ではそうした古老達も亡くなって感情的な嫌悪感はなくなっている模様です。 熊本の加藤清正と小西行長・・・・・こんなにも人気に差ができた由縁はやはり人工的な操作なんでしょうきっと。 訪ねた宇土城はそれを物語る哀愁の城でした。熊本城にある宇土櫓は宇土城の天守閣だったのではないかという説があながち嘘ではないような気がします、櫓に ”宇土 ” という名前をつけたこと自体に意味があったのではないでしょうか・・・・・小西行長の宇土城はあんまり有名になって欲しくない、そっとしておいて欲しい古城跡です・・・・・終わり
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アラン・ラッド

2017年03月19日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
  
アラン・ラッド 
毎週 博多から鹿児島への新幹線での単身赴任の生活をしているので車中では寝ているかCDで音楽を聴いているか、本を読んでいるかでその時の体調に合わせてしている。今日は川本三郎さんの文庫本をひろい読みした。前から積読(つんどく)状態だった古本1冊「ハリウッドの黄金時代」、ほとんどが女優さんですが男性のスターとしてアラン・ラッド、ケーリー・グラント、ゲイリー・クーパーの3人が載っている。中ではアラン・ラッドの小伝が珍しい。昭和生まれの人なら西部劇「シェーン」で有名なことはみんな知っているはず・・・・平成生まれの人達には知られているのかどうかは自信がありません。 
私もアラン・ラッドについては西部劇「シェーン」でしか知らないんです・・・でも川本三郎さんが書いているこの本には彼の素顔が書いてあるんですね、ざっとこんな具合です。 
・アラン・ラッド 去り行く男 
・1913~1964年アーカンソー州で貧しい家庭に生まれた。5歳の時に父親は死に、再婚した母親はその後に自殺した・・・といった逆境にあってアラン・ラッドはさまざまな職業をアルバイトとして経験しながらハイスクールを出た。俳優を志したが下積みの生活が続いた 
・25歳の時に元女優で当時ハリウッドで俳優のエイジェントとして活動していたスー・キャロル(後に二人は結婚)と出会ってから俳優らしい役を得るようになった。低予算の映画に多数出演。 
・代表作は1953(昭和28)年にジョージ・スチーブンス監督によって作られその年に公開された西部劇「シェーン」。西部劇には珍しい静かな演技で世代を越えた多くの人々に愛された。 
・「シェーン」は見るたびに違う新しい発見を与えてくれる。 
・アラン・ラッドは批評家からは「大根、無個性」と批判され演技力のない”映画会社によって作られたスター”とみなされた、彼自身もハリウッドの黄金時代をひたすら優等生として生きた 
・アラン・ラッドはスターになってからファンレターに返事を書くことで有名だった 
・身長172cmとアメリカ人としては低くて彼のコンプレックスであったらしい 
・1947(昭和22)年にはじめてマネー・メイキング・スターのベスト10に入った人気絶頂にあった時でさえファンの前に出ることを嫌がったとのこと 
・晩年は睡眠薬の常用者となり1964(昭和39)年に50歳で死んだ 
 
川本三郎さんが最後に次のように書いておられます・・・・・ 
「背が低いというコンプレックスに悩まされ他人の前に姿をさらすことを嫌ったメランコリックなアラン・ラッドにとって唯一の心休まる場所はカリフォルニア州の高原地帯に買った牧場だったという、この人里離れた牧場でだけ素顔を取り戻すことができたのかも知れない。アラン・ラッドの生涯を振り返ったうえで ”シェーン ”のラスト・シーンをもう一度見ると、その孤独な終り方に感無量になる 」・・・と。 
 
*「シェーン」は繰り返しビデオ、レーザーデスク、DVDと発売になっていました。ひところBlue-ray discの日本盤がでるという話でしたが結局立ち消えになりました。あまりにも安価なDVDが出回っていたせいでしょうか。私は中古屋さんに外国盤のブルーレイが500円で出ているのを見つけて買いました、日本語字幕が付いているのが嬉しいです。 これからの若い世代にも「シェーン」は見てほしいなあ
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つれづれに (色々)

2017年02月14日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
 
  つれづれに・・・・色々 
 
(1)先日、私の携帯を見てあるナースが 「 先生はガラケーなんですね、うちの主人と一緒だぁ~ 」 とからかい気味に言われた。「 ガラケーで悪かったナ、ガラケーてガラパゴス島のことなんだってね 。太古の生き物が生息しているあの南米にある隔絶した島からきている・・・って最近知ったよ。簡単に言えば遅れてるってことだろう? でも、電話とメールしか使わないもん、それで十分だよ 」・・・・と話す。そのあとそのナースは本人の実物を示しながらスマホのよさを色々話してくれた。 
 
ところがどうしたタイミングのよさか事務のT君が 「 先生、携帯をスマホにしませんか?、U先生と一緒に。 病院支給の携帯を変えるだけなんですよ、どうです? 」と。 一気に心が動いてスマホデビューにすることになりそう・・・・機械のことは何~にもわかっていないのになあ(smile) 
 
(2)欲しいなと思っても手に入らない曲がある・・・・自分がずっと好きで歌ってきた田辺靖雄の 「 二人の星をさがそうよ 」・・・という曲。でも、先日ある人がMEG-CDというのがあるよ と教えてくれた。 「 廃盤・製造中止になったレコードやCDをジャケット写真、歌詞喝掲載など当時のデザインをできる限り忠実に再現し、CDパッケージとして復刻する商品で、お客の注文によりオンデマンドで製造して届ける 」 形のCDとのこと・・・・試しにこの曲を1枚注文した。 カラオケで歌う機会がある時はいつも自己満足で歌う曲だから楽しみ 
 
(3)今日は仕事が終わったら神経内科女医のT先生を囲んでの飲み会。レントゲン、薬局、ソーシャルワーカー、各階のナースで都合のつく人達が寄っての集まり。辞めそうな雰囲気のあったT先生が何らかの意向を告げられるのかもしれない・・・・実は私自身も揺れていて20年も勤めてきたところだから簡単に気持ちの整理ができないでいるし、どこでどう切り出していいのか心苦しい気持ちを抱えている。ワッと飲んで一時的でも忘れたいことがいっぱいだ。 
 
(4)2/12(日)遠藤周作原作の映画 「 沈黙(サイレンス)」 を観に行った。 原作は読んだことはなかったけれど、日本の織豊時代~江戸時代初期のキリシタン弾圧時代に遭遇した外国人神父(パードレ)たちの苦悩を描いた映画。 農民や神父に棄教を迫るための残酷なシーンも多く、踏み絵などのシーンも何度も出てくる。おそらくは当時の実際の過酷な状況を絵で見るようで何とも重たいテーマの映画だった。 自らもキリスト教信者だった遠藤周作さんならではの原作だったと思われますが・・・・・私はいつの日か島原の乱の舞台になった原城跡を訪ねたいと思っていたけれど、こんな映画を見てしまうと何だか訪ねるのに気が重くなってすこし怖いなという気がしてきました。マーティン・スコセッシという映画監督が10年の構想を練った作品とのこと・・・・これは娯楽映画ではない、重たいテーマをもった映画だ。 
70人くらいの観客、キリスト教の人たちとか遠藤周作ファンもおられたかもしれない。 
前日の雪の秋月とは打って変わって晴れの日だった。
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雪の筑前 秋月

2017年02月11日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
  
雪の筑前 秋月 (トップ写真は秋月城の石垣と石碑)  
 平成29年2月11日(土)は建国記念日で祭日。前日 鹿児島で勤め先のT君と二人で近くの居酒屋さんで呑みながらお互いの今後の行く末について話をした。お互いのというよりか私自身の・・・・・といった方がいい。最近 移動のつらさと仕事のあとの空白の時間の寂しさに耐えられなくなっている自分がいる・・・・・と話をした。色々な話の後、最終の新幹線で帰った、帰り着いたのは12時近くで入浴後コトンと眠ってしまった。

明けて今日、祭日でゆっくりしようと思っていたら何と外は銀世界だった。ちょっと寝不足でつらいけれどめったにないことだからと雪の秋月城と秋月の町を写真に撮りたい・・・・・と日頃から思っていたこともあって出かけることにした。レンタカー屋さんに電話すると連休だから空車がない、どうしてもというなら事務所に直接来てキャンセル車を待ってくださいとのことでそうする。幸い雪の悪天でキャンセルがあって借りることが出来た、でも大分自動車道は通行止めで二日市から朝倉方面の一般道路を行く。 秋月に近づくにつれてひっきりなしの雪で背景の山は雪霞み状態で、空もどんよりと暗くなんとも寒々としている(写真)。 
   
秋月について駐車場に車を止めて歩いて回る、秋月には何度か来ているけれど冬の、しかも雪の降る秋月は初めてだった。シーズンオフということもあるんでしょうけど、連休とはいっても観光客は無いに等しかった。駐車場管理の人に ” 連休なのに人がいないですね、今はシーズンオフなんですね、雪の秋月を訪ねてみたくて来ました。写真を撮ろうと思っているんです ” というと、” 貴方と同じような人が先に何人か行かれていますよ ” とのこと。 似たような考えを持っている人がいるんだ・・・・・と思いながら歩き回った。 なるほど、防寒衣にスキー帽姿でカメラを持った数人の男性に出会った。 皆な独りで来ているようで 途中逢った人に ” 雪の秋月、いいですね ” と話しかけてみた。その人はしゃべらなかったけれどニッコリして相槌をうつようにうなづいてくれた。 お城の前のメイン通り ”杉の馬場 ”も写真のよう、それにしても人がいない・・・・・シーズン中なら出店が出ているのに全て閉鎖しておりうらぶれた感じだ。野鳥川の流れる水も超清んで冷たそうだ。
   
でも、自分はそんな町のイメージを想像していたので、雪が却って余計なものを隠してくれてすっきりした姿にみえるのだった。冬の景色の方が江戸時代に近い姿なのかも知れない。それにしても凍えるような寒さで手袋を持ってこなかった手には冷たさがこたえる、靴も雪でグシャグシャになりそうで冷たい。あまりの寒さに色々寄り道したくない感じになった、だから秋月郷土館の見学なんかはパスしてひたすら歩く、歩かないととにかくガタガタ震えるくらいだ。 流れてくる水も冷たそうで清んでいる、いつものように水に映る自分の影を撮った、訪問記念にいつもしている。 
    
杉の馬場をまっすぐ行くと左手はお堀、そして長屋門があり、さらに行くと黒門がある。黒門は一番古いらしく、黒田氏以前の秋月氏時代からの遺跡であるとか。門の黒さと雪の白さのコントラストが映えてきれいだった。黒門をくぐっていくと左手に秋月中学校のグランドと校舎がある、この校舎が昔ながらの木造校舎で、城跡と何となくマッチしていていい感じだ。 
   
城跡を後に前方に広がっている住宅街・田んぼの方に下っていった・・・・・田代家とか久野家とかの武家屋敷がある。モノトーン気味の冬の秋月に昔ながらの赤いポストがかわいらしくいろどりを添えていた。 
   
田代家の玄関では自分ででっかく握って持っていったおにぎりとキャラメル、日本茶を出して腹ごしらえ。無料開放されている武家屋敷、誰れもいない寒い時期ならではのことだった。そしてさらに道なりに行くと右手に今光教の教会があって入り口を入ってすぐ右に大きな石があります・・・九州征伐で秋月に来た豊臣秀吉が腰掛けた石と伝えられています。私も過去に何回か腰掛けてみたことあり、今回はおにぎりに腰掛けてもらった。 
  
さらに下っていくと有名な眼鏡橋があった、古い町には時々残っていますね。秋月の眼鏡橋は由緒あるもののようです。 
   
最後に今回初めて訪ねたいなと思っていたことがある。秋月は幕末から明治にかけて面白い(ちょっと語弊がある表現ですが)事件があったところです。それは西南戦争に先立つ不平士族による(1)秋月の乱と(2)元秋月藩士臼井六郎による日本最後のあだ討ち事件・・・・・といわれているものです。それにかかわった人達のお墓がこの地のお寺にあるんですね・・・・・日本の歴史に興味があればの話ですが、訪ねていきました。秋月の乱の首謀者宮崎三兄弟(宮崎車之助ほか)のお墓は今回もわかりませんでしたが、臼井六郎のはありました、古心禅寺というところ。この人の前半生は両親の仇討ちだけに捧げた人生・・・・・秋月藩の幕末における攘夷派と公武合体派の抗争で父親 臼井亘理が暗殺され、巻き添えで母親も斬られて殺害された・・・・・六郎10歳の出来事で凄惨な現場を見た少年の心は・・・・・というわけです。墓碑のそばの説明板には”日本最後の仇討 臼井六郎 父簡堂 母清子 の傍に眠る苦節13年 六郎の心はいかに 明治13年10月17日 ”・・・・・書いてありました。  こんな小さな町にたくさんの歴史が埋もれている・・・・・という感じです。もっと色々なことを知ってから訪ねてきたい町・・・・・かな。なお、この実話は2011(平成23)年2月にテレビドラマとして放送されていて臼井六郎を藤原竜也が熱演して見ごたえのあるドラマになっています、DVDにもなっていて見ることが出来ます(以前来た時に秋月郷土館の人が教えてくれました)・・・・・・・以下 未完につき続く 
   

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